Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

釈尊の生没年  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
2  カラン・シン ご指摘のとおり、ブッダの生没年が正確にいつであるかについては、きわめて不明確であり、また種々議論されてきました。しかし、いまさら私が、この点についてのさまざまな説に細かく立ち入って検討しても、意味がないのではないかと思います。あなたは幾人かの学者の説に言及されましたが、そのなかで中村元教授は、私も個人的によく存じ上げています。たいへん博識な方です。
 一九五六年の五月、ブッダの入滅二千五百年を祝う式典が全世界で行われました。このことは、西暦前五四四年説が広く受け入れられていることを示しています。もちろん、すべての国が受け入れているわけではありません。インドにおいては、当時副大統領であった著名な哲人S・ラーダークリシュナン博士とジャワハルラル・ネルー首相が主催して盛大な記念式典が、一九五六年五月の満月の日に行われました。この西暦前五四四年説にしたがい、ブッダが満八十歳まで生きたとする伝統的な考えに立ちますと、ブッダが生まれたのは西暦前六二四年になります。そしてこの考えは、インドで一般に受け入れられているものです。
 私は考古学その他の研究でまったく疑問の余地のない年代が確定するまでは、一つの作業仮説としてこの説が申し分のないものだと思います。ただし、付け加えさせていただくならば、ブッダの教えは時代を超越したものですから、生没年にあまりこだわる必要はないでしょう。ヒンドゥー教の伝統では、いかなる場合でも教えの内容のほうがその年代よりも重要なものとされています。
3  池田 私も、もとより同じ考えです。信仰において大事なことは、その教えの内容が、現に生きている人間の苦悩を解決する力をもっているか否かであって、その教えが歴史的に、いつ始まったかということは二次的、三次的な問題です。ただし、信仰者とは違った視点で見る歴史学者などは、当然、それがいつの時代に始まったかに重大な関心をもちますし、他の宗教思想との交流等が問題になる場合は、こうした歴史学的課題も、無視しえない要素になります。私としては、こうした問題も、インド古代史がより明確になることによって、解答が出されていくことを期待したいと思います。

1
2