Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

輪廻観の起源  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
2  カラン・シン 輪廻という概念が、世界の偉大な宗教の多くに見られるのは事実です。セム系の諸宗教ですら、死後も霊魂は存続すると信じています。しかし、それらの宗教はただ一度の生のみを仮定しており、その後は霊魂が幾劫もの間リンボ界にとどまって最後の審判を待つのだとしています。
 これに対して東洋の諸宗教では、再生がその哲学全体の中心概念であり、これと密接に結びついているのがカルマ(業)という概念であるわけです。
 “業”の概念を正しく理解することは非常に大切です。西洋の思想家のなかには、“業”とは人間のおかれた状況を宿命的なものとして甘受することにすぎない、という誤った主張をする者もいます。事実はこれとまったく反対です。
 “業”とは、各人がいかなる時点においても、種々の択一的行動様式のいずれかを選ぶ能力をもっており、また事実そうした選択が必要なのであって、各人は自分が行った選択にもとづいて自分の行為の結果を刈り取ることになる、ということを意味します。
 “善”の行為とは無知と激情からの解放を助ける行為のことであり、“悪”の行為とは個人が無知や激情にますますはまりこむ原因となり、それによって究極的な解放をより困難にする行為のことです。
 ウパニシャッドの真髄は、不滅のアートマンという概念と業の概念をうまく結びつけ、それによって個々の人間が道徳的・精神的に発展するための骨組みを生みだすことができた、という点にあります。
 輪廻・業という二つの概念が密接に結びついていることは明らかです。しかし、アートマンの存在の認識が業の概念に先立つものであったかどうかは判定のむずかしいところです。
 私の考えを述べますと、ウパニシャッドの先覚者たちが不滅のアートマンを直接体験したとき、彼らの周囲に存在する現実の不平等を説明するためだけではなく、究極的には悟りにいたる明確な行為の軌道を人類に提示するためにも、業に関する綿密な理論を発展させようという知的要求が生じた、ということです。仏教の立場も、これと非常によく似ているように思われます。

1
2