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日蓮大聖人・池田大作

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ウパニシャッドと仏教の相違  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
1  池田 ウパニシャッド哲学の内容を見るとき、仏教の思想と共通するものがかなりあります。もとより、仏教そのものが、ウパニシャッド哲学によって開拓された精神的土壌の上に開花したのですから、これは当然ともいえましょう。
 バラモン教も一分の真理を説いているとして日蓮大聖人は「仏教已前は漢土の道士・月支の外道・儒教・四韋陀等を以て縁と為して正見に入る者之れ有り」と仰せられ、またそうしたバラモンの思想が仏法への理解を助ける土壌になったことを「外道の所詮しょせんは内道に入る即最要なり」と位置づけておられるのです。
 しかしながら、仏教は、ウパニシャッド哲学の限界への自覚から生じたのですから、両者には根本的に違っている点があります。それは、ウパニシャッド哲学がもっぱら思弁的であり、形而上学的思惟を重んじたのに対し、仏教は実践を重んじ、現実の人生の苦悩をいかに克服していくかをめざしたということです。
 釈尊自身、その修行においては山林に隠遁し、現実社会と交渉を断ちましたが、悟りを得てからは前述のとおり、現実の人生の苦にあえぐ人々のなかに入り、彼らに生きていくうえでの英知と希望、勇気をあたえるために法を説きました。
 したがって、そこで説かれた教えはきわめて平易であり、文字を読めない人々にも理解でき、しかも、現実の生活のなかに生かしていけるものでした。
 私は、釈尊にとっては、ウパニシャッド哲学も、その広大な悟りのなかの一部分にすぎなかったと考えます。
 単純化しすぎた言い方になるかもしれませんが、ウパニシャッド哲学は、悟るべき真理を志向したものといえるのに対し、釈尊は、この真理をみずからにおいて悟る人間の智慧の開発――広くは人間の幸福生活を実現せしめること――に取り組んだといえます。
 そのゆえに、ウパニシャッド哲学が決して大衆化されなかったのに比べ、仏教はカーストの障壁を越えて、あらゆる階層の人々の間に広まりえたのではないでしょうか。
2  カラン・シン 仏教そのものが、ウパニシャッド哲学によって開拓された精神的土壌のうえに開花したという事実を強調するのは正しいことです。
 またあなたは、ブッダは可能性としてありうる悟達に関する理論的知識だけでは満足しなかった、と述べられましたが、私も賛成です。ブッダは、悟りの福音を一般大衆に広めたいという抑えがたい内的欲求に満ちあふれておりました。それゆえ、古今を通じて偉大な教師の一人として、歴史上変わることなく尊敬されるのです。
 私の所見では、ブッダとウパニシャッドの先覚者たちとの根本的相違はどこにあるかといえば、ウパニシャッドの先覚者たちがその直弟子を悟りに導くことのみに努めたのに対して、ブッダは全人類の悟りをめざしたのです。ブッダの説いた教えに対して広範囲にわたる反応があったことも、このことから納得できます。
 もう一つは、あなたがいわれたように、ブッダはみずからの教えを、階級やカーストの差別にかかわりなく、一般大衆が理解できる平易な言葉で説いたということです。
 ウパニシャッドには高雅なサンスクリットが用いられていたために、主として教育を受けた上位カーストのみのものとなっていました。ただし、ヴェーダーンタ哲学は、後世のプラーナ文献によって社会全般に容易に溶け込める形になり、普及しました。
3  池田 なぜブッダは階級やカーストの差異を超えて、一般大衆が理解できる平易な言葉で説くことができたのか、という点をさらに考えてみますと、
 おそらく釈尊の到達した“悟り”の内容と性質に密接な関連性があるように私は思います。
 これは、『法華経』において「諸法実相」という法理に表現されていることから明らかですが、人間ならだれびとであれ、目の当たりにしている諸法を洞察したのが、釈尊の“悟り”でした。
 最古の経典に属する『スッタニパータ』の第五章「彼岸に至る道の章」で直弟子たちが語る釈尊の説法の内容に関する説明を見ても、これは明らかでしょう。
 すなわち、「かれはまのあたり即時に実現され、時を要しない法、すなわち煩悩なき〈妄執の消滅〉、をそなたに説示した。かれに比すべき人はどこにも存在しない」(『ブッダのことば―スッタニパータ』中村元訳、岩波文庫)、あるいは「即時に効果の見られる、時を要しない法、すなわち煩悩なき〈妄執の消滅〉、をわたくしに説示しました。かれに比すべき人はどこにも存在しません」(同前)というのがそれです。
 ここで、「まのあたり即時に実現され」とか「時を要しない法」と表現されていることに関連する内容として日蓮大聖人も、多くの書簡の中で、だれびとも目の当たりにしている“虚空”や“睫”のようなものであると表現されています。あまりに身近すぎて見逃してしまうような真理を悟ったということは、これを人々に伝えるにあたり、釈尊はただ人々に、そのことを気づかせることのみに焦点を合わせた説法を行ったといえるように思われます。
 これが先ほども述べたとおり、ウパニシャッド哲学が、悟るべき真理を志向したものであるのに対し、釈尊に始まる仏法が、真理を人々がみずからにおいて悟るための智慧の開発へと向かっていった根本的な理由であります。

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