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日蓮大聖人・池田大作

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人生の四段階観  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

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2  カラン・シン 人生の四段階説は、たしかに初期のインド社会によって受け入れられた理想でした。もっともこれは、少数の人々以外には、たんなる理想にとどまっていたようです。私の意見を述べる前に明らかにしておきたいのですが、四つの段階にそれぞれ配する年月は、二十年ではなく二十五年であり、これらをまっとうすれば人間の寿命はちょうど百歳になります。実際、ヴェーダのなかには、百歳までの長寿と健康を祈る讃歌がいくつかあります。
 四段階説の形式化は、ヴェーダを信奉する人々の生活のなかで後世になって発展したものと思われます。しかし、この立て分けの重要性は、最初から明らかでした。
 学習期(ブラフマチャーリン)が大切なことは明白で、複雑なサンスクリットと伝授されるべき広範な知識を考えると、教師のもとで少なくとも十四年間の学習をすることが必要でありました。仮に、子どもが十歳のころに教師のもとに行ったとすれば、教育を受け終えるころには二十五歳ぐらいになります。
 第二の“グリハスタ”という家庭の段階では、若者たちは当然結婚し、社会の有用な成員となり、家族を養っていくことになります。
 第三の“ヴァーナプラスタ”期では、子どもたちは成人し、家長は物質的財産を徐々に子どもたちに譲り、偉大な死への準備にとりかかることになります。
 “サンニヤーサ”という遁世遊行の段階も定着していました。ただおもしろいことに、これは年齢には関係ありませんでした。人々が遁世したいという強い内的欲求を感じたならば、人生のいかなる時点においても遁世できたのです。これは、今日のヒンドゥー社会でいまだに行われていることです。
 しかしながら、古代インドの四段階説では、遁世遊行は、高齢に達し、子どもたちが皆家庭をもち、孫たちも成人した後に行われるものとされていました。そのころには人は社会的責任から解放されていますから、最後の段階として隠遁生活に入ることができたのです。妻が生きていたとしても、子どもや孫たちがよく面倒をみてくれることになっていたので、妻の遺棄という問題は起きませんでした。
 忘れてならないのは、ヒンドゥー社会の秩序はすべて、年齢や職業に関係なく、家族全員に経済面やその他、物心両面で援助を与え続ける複合家族にもとづくものであったということです。
 四段階制度は、ヒンドゥー社会の活力を保ち、指導者たちの更新と交代が絶えまなく確実に行われるための、広大な体系であると考えられていたように思われます。他のいくつかの社会で勢力を保っている老人政治に対して、四段階制度は、高齢者に優雅で社会的に容認される生き方を勧め、指導者たちの交代が自然のうちに容易になされるようにするものだったのです。

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