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日蓮大聖人・池田大作

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ウパニシャッドへの発展の起因  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

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2  カラン・シン ウパニシャッドは別名「ヴェーダーンタ」ともいいます。その意味は二つあり、まず、成立年代的には各ヴェーダ聖典の最終部分にくるということ、いま一つは、ヴェーダ聖典の思想内容の本質を表現したものであるということです。
 しかし、忘れてならないのは、ウパニシャッドはヴェーダ聖典の必然的集大成であって、決してその思想的伝統から大きく逸脱したものではないという点です。ウパニシャッドにおいて見事な展開をみた思考・概念も、その多くが初期ヴェーダに源流を求めることができます。たとえば『リグ・ヴェーダ』のとくにすぐれた創造讃歌(X―129―1/7)は、哲学的見解を叙述したもので、世界の宗教文学の最高傑作の一つといってもよいでしょう。ですから、ヴェーダが、もっぱら豊饒と幸運を祈る生贄の儀式の執行にかかわるものであったと断定するのは、正確ではありません。
 事実、シュリー・オーロビンドが、その直感を駆使したヴェーダ注釈書の中で指摘しているように、インド思想のなかで当初から一貫して優位を占めてきた偉大な概念は、すべてヴェーダのなかに見いだすことができます。ただ、たぶんに象徴化されている場合が多いので、その隠れた意味が秘伝を受けた者にしか理解できないのです。ウパニシャッドは、これらの諸概念を知的な用語で表現したものといってよいでしょう。
3  池田 ヴェーダにもその萌芽があったことは当然です。それはそれとして、ウパニシャッドが一つの大きな飛躍であったことは事実です。
 たとえば、こうした人間精神の飛躍や変化を説明するのに、生産力の増大とそれによる非生産階級の出現を挙げる唯物論者もいます。たしかにそれも、一つの条件ではあったでしょう。もし、生産力が低く、すべての人がみずからの衣食の欲求を満たすための作業に専念しなければならないとしたら、深遠な形而上学的な問題を考えるなどということは不可能かもしれません。
 インドのウパニシャッド哲学が誕生した背景にも、農業等における技術革新が行われ、生産力が飛躍的に増大したことが、一つの要因になったと考えられます。
 しかし、人間は余裕が生ずれば、そうした思惟に打ち込むとはかぎりません。現代の先進社会は、古代インドの社会とは比較にならないほど物質的に豊かであり、時間的余裕にも多くの人が恵まれているはずであると思われますが、残念ながら、そのような社会に属する日本の現状を見ても、高度な哲学的思惟に心をかたむけるというよりは、余暇をいかに楽しむかといった刹那的風潮も強いようです。
 インドのウパニシャッド哲学の発祥とほぼ同じころ、同じアーリア民族を祖先として枝分かれしたギリシャ人は、ソクラテスやプラトンを生みだしています。このことからも、本来、アーリア人には、形而上学的な問題を志向する特徴があったのではないかと思われてなりません。
 アーリア人の故地としては、南コーカサス地方とする説や北欧とする説があり、特定はできませんが、いずれにせよ、風土や、それに対応して営まれた生活・社会形態が、そのような素地を養う働きをしたとも考えられます。
 そうした故地での生活が数万年に及んだとすれば、彼らのインド亜大陸やバルカン半島への移動後、今日にいたる三千年間よりも遥かに長いのですから、この故地で刻み込まれた特質がより強いことは十分にうなずけるところです。
 このようにして、長い年月にわたって性格や考え方の基礎的な特質が形成され、それが経済・社会的な条件によって開花したとみることができます。インドにおけるヴェーダ時代からウパニシャッド時代への発展は、このようなものであったにちがいないと私は考えています。
 しかし、その最初の基礎的特質がどのような条件のもとに形成され、その開花が何によってもたらされたか、それはインド以外の世界と無関係になされたのか、あるいはなんらかの影響を受けてなされたのか――。これらの点については、定説は立てられない諸問題でもあろうかと思いますが、博士ご自身はどのように考えておられるでしょうか。
4  カラン・シン ウパニシャッドと“ソクラテスの対話”との間に興味深い共通点があるというご指摘は、まったくそのとおりだと思います。私も三十年前、初めてこの対話を読んだとき、鮮烈な衝撃を受けました。
 たしかにヴェーダが、無数の予言者や哲人たちの神秘的内観が自然に外界へ湧き出したものであるのに対して、ウパニシャッドは、より明確な構成と論理的一貫性のある教義となっています。ウパニシャッドでは対話形式を用い、これによって師が弟子に奥義を伝授するという形をとっています。ですから、わかりやすい言葉遣いや表現で教えを説かざるをえなかったのです。
 かくしてウパニシャッドにおける師弟の対話は、人間の精神的な探究における高い水位標の一つに数えられるようになったのです。
 アーリア人が形而上学的問題を志向する傾向があったとするご意見には賛成です。たしかに、気候および社会・経済的な条件が多少影響していたと思いますが、通常の覚めた意識が、ある状況のもとでは、まったく違ったレベルの神秘的な意識にとってかわられるという事実のなかに、この問題を説くカギがあると思います。
 ヴェーダの予言者たちは、このような至福の意識状態を経験し、ヨーガという複雑な体系を発展させました。ヨーガは、肉体、道徳、知能および精神の修行を含むものであり、これが、そうした超越的経験をもたらすものと考えられたのです。山頂、川岸、森の中のあき地など、特定の場所が高度な意識の顕現をもたらすということは十分に認められているところです。
 また、ソクラテスの対話が、アテネという都市の雑踏の中で行われたのに対し、ウパニシャッドの教えは、必ず静かな森の中で説かれたという事実は、決して意味のないことではありません。おそらく、インド人とギリシャ人の基本的な違いも、このあたりにあるのではないでしょうか。
 また、この基本的相違は、今日にいたるまで、東西の哲学を分ける一種の分水嶺となっていると思います。
 ギリシャ人にとっては、すばらしい知的思索それ自体が一つの目的になっていた観すらあったのに対し、ウパニシャッドにあっては、その用語がいかに表現に富みかつ印象的であったとしても、神秘的な体験はいつでも明らかに通常の言語表現を超えたものでありました。
 実際、『タイッティリヤ・ウパニシャッド』には、神秘的境地とは「ことばも知性もたじろぎ、とうてい及ぶところにあらず」という有名な一節があります。その意味するところは、インド哲学の伝統的目標である意識の変容を実現することは知的活動のみでは不可能だということです。
5  池田 この時代のインド人とギリシャ人が同じような形而上学的な思惟を展開したということに関連して、私が想い起こすのは、かのドイツの哲学者カール・ヤスパースがその著『歴史の起源と目標』において述べている「枢軸時代」という概念です。ヤスパースは世界史のなかで、諸民族が“人間”を根本的に問い、人間自身ならびに人間の限界、さらには人間の最高の目標を定めた時代があり、これを「枢軸時代」と規定しております。
 具体的にいえば、この時代は、西暦前五〇〇年ごろを中心としてその前後の西暦前八〇〇年から前二〇〇年の間の、約六百年間にあたります。この期間がなぜ、“枢軸”と名づけられるかといいますと、この期間を境として人類の精神内容において前と後とに決定的な“切れ目”があり、今日のわれわれはこの期間に生まれた思想や思考の基本的な範疇、世界宗教の萌芽にもとづいていまだに思惟し、生き続けているという歴史的に重要な転回軸となった時代というわけです。
 一説によると、ウパニシャッドにおいては、さまざまな哲学説の表明が、個人の名前と結合されて伝承されている事実から、この時代以降、各個人固有の独立した哲学的な思索の重要性とその意義が認められるようになったと述べられていますが、これなども、“人間”の発見、という枢軸時代の潮流と密接な関係があるように思われます。

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