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日蓮大聖人・池田大作

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古代インドの宗教と近代ヨーロッパ  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

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1  池田 近代西洋におけるインド諸宗教の研究は、今から約二百年前にさかのぼります。
 その先鞭をつけたのはイギリスであり、イギリス人は、インド統治という現実的必要から、土着の宗教的・社会的慣習を理解しようとしたのでした。したがって、あくまで植民地の支配・統治を目的に始まった研究でしたから、インド固有の文化そのものを尊重する精神は最初はなかったようです。しかし、発端・動機はどうであれ、古代インドの文献や宗教書の研究や翻訳が進められていくうちに、イギリス人たちもしだいにその神秘的な魅力にとらえられていったようです。
 宗教詩『バガヴァッドギーター』を皮切りに、五世紀の詩人であるカーリダーサの戯曲『シャクンタラー』や『マヌ法典』などが次々と英訳され、ヨーロッパ各国に大きな反響を呼びました。なかでも『シャクンタラー』は英訳からドイツ語に重訳されて、ヘルダーやゲーテを非常に感激させたといわれています。また『マヌ法典』の仏訳をニーチェが愛読し、この法典の中に「権力への意志」の完全な表現を見いだしたという話は有名です。
2  カラン・シン 西洋、とくにイギリスやドイツの学者たちが、過去二百年にわたって、インドの精神的伝統の再発見に主要な役割を果たしてきたというあなたのご指摘は正しいと思います。
 あなたが名前を挙げた人々のほかに、私はマックス・ミューラーならびに、さらに時代を下ってハインリッヒ・ツィンマーを加えたいと思います。ツィンマーはインド諸思想の哲学図像法について幾多の才気縦横の注釈書を書いています。とりわけ、マックス・ミューラー教授などの人々は、ヴェーダを初めて活字で記録するというきわめてすぐれた業績を残しました。何千もの聖歌の集大成であるヴェーダが数千年前に作られ、以来今日まで、世代から世代へとまったく暗誦のみによって伝承されてきたという事実は、一般的には知られていませんが、人類史上他に類例のない人間の記憶力のなした壮挙です。ですから私たちは、そうしたヨーロッパの学者たちから、大恩を受けているのです。
3  池田 なるほど。このように、インド思想の研究は、イギリスが先鞭をつけ、ドイツ、フランスなどの西欧諸国に波及していったわけですが、インドの宗教と思想からもっとも深い影響を受けたのがドイツ民族であったように思われます。それにはさまざまな原因があるでしょうが、なんといっても、ドイツ民族がインド民族のなかに、共通する神秘主義を見いだしたことがいちばん大きな要因ではなかったでしょうか。ドイツにおいて、インド文化の影響を受けたとされる文学者、哲学者、芸術家の名を列挙してみると、ゲーテ、ヘルダー、ショーペンハウアー、ニーチェ、ワーグナー、カイゼルリンク、ヘッセなどが代表的です。
 なかでもショーペンハウアーは、インド文化、なかんずくウパニシャッド哲学の影響を自己の哲学の核心に受けたことでよく知られています。ショーペンハウアーは、『ウパニシャッド』のラテン語訳『ウブカネット』を読んでいたく感動し、「地上にありうるもっとも有益な書」と絶讃し、自分の生と死の慰藉であるとまで叫んだそうです。
 さらに、ニーチェは、仏教の哲学をキリスト教との対比のうえで絶讃し、みずからの思想を構築するのに大いに援用しています。
 また、音楽家で楽劇の創始者として知られているワーグナーも、仏教の影響を強く受け、その楽劇には、仏教の涅槃(ニルヴァーナ)思想を表現しようとした作品が多いようです。
 しかし、ショーペンハウアー、ニーチェ、ワーグナーと続くドイツの哲学者・芸術家に共通して見られるのは、一種の厭世思想であり、重々しくて暗い、深刻な思想が展開されているという点です。
 ここに、今日から見るとき、先にふれたインド宗教の両極性のうち、厭世的、禁欲苦行的な側面だけがとくに強く受容されていることに気がつきます。
 仏教の場合でいえば、上座部(小乗)仏教だけが仏教として受け入れられたように思われます。
4  カラン・シン 上座部仏教が他の仏教諸派に先立ってヨーロッパに紹介された経緯は、インド亜大陸にやってきたヨーロッパの学者たちが、最初に接触したのがスリランカ(当時のセイロン)の仏教の伝統や文献であったという事実にさかのぼることができます。
 E・ビュルヌフとC・ラスンは、一八二六年に、パーリ語に関する論文をフランス語で出版しました。一八三七年には、ジョージ・ターナーが『マハーヴァンサ』の最初の三十八章を英訳付きでローマ字出版しました。その後、ヨーロッパの大乗仏教学者たちがチベットや中国を旅行して、その偉大な教えをヨーロッパに紹介した時も、やはりインドを経由しております。
5  池田 もっとも、第一次世界大戦後になると、そのころの西欧の虚脱状態を反映してか、東洋の叡智を西洋に紹介したカイゼルリンクは『哲学者の旅日記』という書物の中で、大乗仏教に説かれる菩薩像を高く評価し、世界を変え人間を真に向上させる道は大乗仏教の菩薩の精神しかないとまでいっています。
 私は、寡聞にして、インドの宗教ならびに仏教が近代西洋の哲学・文学思想に影響をあたえた事例については以上のほかは知りませんが、まだまだ西洋文化の底流には、インドからの大きな影響性と交流があったのではないかと思います。
 また、現代先進諸国の精神的頽廃を見るにつけ、今後、東洋の叡智の源泉たるインド文化の西洋への浸透が、ますます要請されていくのではないかと思います。
6  カラン・シン あなたは、近代工業諸国の精神的発展において、いやそれどころか差し迫った災厄から世界を救済するうえでインド文化が果たすべき役割について指摘されましたが、これこそ私の心をとらえている重大関心事の一つです。
 たしかに、仏教ならびにヒンドゥー教を含む東洋の宗教的伝統はすべて、この核時代に生きる人類の生存と福祉にとってきわめて重要な貢献をすることができます。
 池田 かつて私が対談した西洋の多くの識者も、東洋、なかんずく仏法への志向性は一致しておりました。この点については、章を改めて論じあいたいと思います。 

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