Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

インダス文明のアーリア人への影響  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
2  カラン・シン 古代史のうちでも、インダス川流域の文明が依然として未解決の、大いなる神秘の一つであることは事実です。遺跡から発見されたおびただしい数の印文の解読作業はかなり行われていますし、この分野の傑出した学者たちには、ジャワハルラル・ネルー大学から二つの権威ある奨学金が与えられていますが、広く認められる解読は、まだなされていません。この解読がなされるまで、ヴェーダ文明とインダス文明の相互関係については、われわれは推測に頼るしかないのです。
 ジョン・マーシャル卿は、インダス諸都市の没落とアーリア人の侵入には時期的に隔たりがあると主張しましたが、その後、モーティマー・ウィーラー卿をはじめとする学者たちは、ハラッパーが滅ぼされたのはアーリア人によってであり、ヴェーダの讃歌中に表れる「堅固な砦で固めた都市にたてこもる敵」とは、実際にはインダス文明の住民であったと述べています。
 建築物や芸術作品、わけても都市の設計・開発の分野における高い水準からすれば、インダス文明が幾世紀にもわたって繁栄したであろうことは明らかです。ヴェーダ文学自体に織り込まれている証拠、とりわけ戦闘や戦勝祈願に絶えず言及していることに加えて、インダス川流域の印章に刻まれた人物や装飾についてあなたが指摘しておられる点は、アーリア人とインダス川流域住民がたしかに相互に影響を及ぼしていたという見方を裏づけるもののようです。
 両勢力の衝突があったにもかかわらず、牛とか樹木といった双方に共通するいくつかのシンボルは、
 インド文明では相変わらず意味をもち続けています。加えて、母神崇拝とたぶんシヴァに結びつくと思われる神像を崇拝するという、たがいに密接な関係をもつ信仰も、ヴェーダ文明とインダス文明の間により深いつながりがあったことを示しているようです。
 インダス川流域の住民がドラヴィダ民族であったかどうかは、まだ推測の域を出ません。それらの人々は色白のアーリア人よりも明らかに色黒であったようですが、それは彼らの祖先がドラヴィダ民族であったということを立証する決め手とはなりません。
 いずれにせよ、アーリア民族の偉大な才能は、みずからの経験の枠外にあった考え方をも同化してしまう能力にありました。『リグ・ヴェーダ』に「高貴なる観念をあらゆる方面からわれらに来たらしめよ」とあるとおりです。それゆえ、もし相互作用があったとすれば、ヴェーダ文明は、インダス川流域住民の最良の特色を吸収したものと想定することができます。インド文明の輪郭が形成されていったこの魅力的な時期について、さらに多くの研究が必要であることはたしかです。

1
2