Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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序文  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
1  〔対談者略歴〕
 カラン・シン(Karan Singh)
 一九三一年生まれ。四九年から十八年間、ジャンム・カシミール州の首長を務め、六七年、インド史上最年少の閣僚として入閣。観光・民間航空相、健康・家族計画相、教育文化相を歴任。ジャンム・カシミール大学とベナレス・ヒンドゥー大学の総長、インド文化関係評議会副会長を務め、科学、哲学のエッセー等著作も多い。
2  私たち両著者が初めて会ったのは、一九七九年(昭和五十四年)二月のことであった。この時、池田大作はICCR(インド文化関係評議会)の公式招待によりインドを訪問し、ICCR副会長を務めていたカラン・シンと会ったのである。
 翌八〇年十月、その返礼として、池田大作がカラン・シンを日本に招き、両者はさらに友情を深めるとともに、この時の語らいのなかから、対談集をまとめることが合意されたのである。
 カラン・シンは北インドのジャンム・カシミールの藩主を父として生まれ、カシミール、デリー両大学で学んだ。その宗教的素養はインド古来のヒンドゥー教によって培われたものである。池田大作は日本の東京に生まれ、創価学会インタナショナル(SGI)の会長であり、日蓮大聖人の仏法を基調として平和教育の運動に挺身してきた。
 仏教はその源をインドの釈尊に発しており、中国、日本において数多くの分派が生じたなかにあって、
 日蓮大聖人の教えは源流たる・釈尊の思想に純粋に立ち返るべきことを他のだれよりも強く訴えた。本源に立脚することによって、時代に即応したもっとも独自の宗教思想を生みだしたといってよい。
 カラン・シン自身は仏教徒ではなくヒンドゥー教徒であるが、仏教発祥の国の教養人として、仏教経典に頻出するさまざまな象徴や世界観、人間観は深くなじんできたところである。両者の語らいは大河の源と河口のごとく遠く離れて見えながら、多くの点で親近性と一致点を見いだしたのである。
3  はるかな遠い昔、ヒンドゥー教の原初の段階というべきヴェーダの宗教、そこから発展したウパニシャッド哲学が支配しているなかから、釈尊は人類史上に特筆すべき偉大な精神文化の種子を生みだした。この種子は、インドに壮麗な文化の花を咲き薫らせたのみでなく、中国、チベット、ミャンマー(ビルマ)、タイ、インドネシア、朝鮮、日本と、ほぼアジア全域にわたって、それぞれに特色のある華麗にして豊饒な文化を開花させたのである。
 今日、仏教発祥の地インドでは、仏教徒は少数である。しかし、釈尊は偉大な聖者として崇められ、その由緒ある遺跡は、神聖な地として大事にされているように、その思想的遺産は、インド民衆、さらにアジアの人々のなかに深く残され伝えられている。
 仏教発祥の地に生まれたカラン・シンと、それが到達した果ての地である日本に生まれた池田大作と、この二人は、これほどの地理的隔たりがあり、一方はヒンドゥー教、他方は仏教という異なりはありながらも、考え方や知識の深い底流においては、多くの相通ずるものを見いだしあったのである。なかんずく、両者が共鳴したのは、科学技術が驚異的発達を遂げ、巨大な力を手にしながら、人間の心は本能的欲望や衝動による支配を脱しきれないでいる現代の文明社会が招いている危機への挑戦に関してである。ヒンドゥー教と仏教という違いを超えて、共通に有している人間の心への洞察と、その本能的・盲目的衝動を克服せんとする英知の開発の伝統は、必ずや、現代の危機に対する人類の挑戦に資するであろうとの合意が、この対話を生みだしたといってよい。
 この観点から、この対話は、ヴェーダ神学からウパニシャッド哲学、仏教へと思想的系譜をたどりながら、その底流にある精神的伝統を浮かび上がらせ、この精神文明が人類にとって、いかなる貢献をなしうるかを明らかにしようとしたものである。
 概括的であるため、専門の研究者の方々から見れば、物足りないとの印象は避けがたいであろうが、より多くの人々に、東洋の精神文化の伝統についての認識・理解をもっていただき、現代のあまりにも技術主義・物質主義に走って、人間の真の姿を見失った文明への反省を呼びさますよすがともなればとの願いから、世に問うことを決意したのである。
 本書が一つの契機となって、人類精神文化の蘇生への努力が、多くの人々によって成されていくことを心から期待してやまない。
  カラン・シン 池田 大作

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