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日蓮大聖人・池田大作

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第十九章 共生の哲学――意識の転換うな…  

「太平洋の旭日」パトリシオ・エイルウィン(池田大作全集第108巻)

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2  “七世代後の人類に美しい自然を残せ”
 エイルウィン あなたが創立した教育機関が、日本やアメリカの教育施設で実行していることは、すばらしいことです。実際、新しい世代、若者や子どもたちは、環境問題に対して、たいへん敏感です。
 ですから、潜在能力を引き出して可能性を伸ばし、責任感を生じさせるよう指導する過程を踏むゆえに、教育は新しい世代の環境意識を形成し、堅固なものとするために、よりふさわしい手段といえるでしょう。
 池田 SGI(創価学会インタナショナル)では、国際的な環境保護の啓発運動として、世界各地で、展示運動なども進めています。
 先ほどふれたブラジルでの地球サミットにおいては、「環境と開発展」を地球サミットの公式行事として行いました。小・中・高の四百七十八校が、授業の一環として訪れました。観賞者は合わせて七万人を数えました。
 私は、「七世代後の声を聞け」というエコロジー運動のモットーにふれ、開会式にメッセージを贈りました。
 「自分たち世代だけの豊かさと満足のために自然を破壊してはならない。この美しい緑と水の惑星を子々孫々のために守り受け継いでいこう」と。
 一九九六年、ボリビアでは「アマゾン――環境と開発展」を開きました。「持続可能な開発のための首脳会議」(米州サミット)の公式行事でした。「『共生と希望』のテーマのもと、とくにアマゾンを取り上げていること自体に重大な意味があります」とサンチェス大統領がメッセージを寄せてくれました。このアマゾンに関しては、創価大学などが熱帯雨林の再生研究プロジェクトに着手した成果も問いました。
 民間次元ですが、反響は大きかったようです。
 エイルウィン SGIが、世界各地における展示運動などを通して行っている環境保護のための意識啓発の努力に対して、心から称賛申し上げます。そのすばらしい熱意は、必ず大きな成果を得るものと私は確信いたします。
 池田 環境保護に果たす環境教育と、意識啓発の重要性について、多くの一致点を見ることができ心強く思います。私はあなたのような方に、ぜひリーダーシップをとっていただきたいと思っています。
3  アマゾンの詩人「まず、あなたが行動せよ」
 エイルウィン チリは、環境への配慮を行う心構えの育成をめざして、国民にその意識をもたせ、また全体に行きわたらせようとする対策を推進しております。あらゆる面で大きな変化があるものですから、成果が目に見えるようになるまでには、相当の努力が必要とされます。それにもかかわらず、すでにかなりの進展が見られ、確固とした基盤が整えられています。あらゆるレベルの公教育の場で、環境保護概論を義務として取り上げなければならないことを定めるとともに、その種のさまざまな学習等に市民が参加する仕組みを奨励している「環境基本法」がその事例でしょう。
 また一方で、わが国は環境についてのさまざまな講演や集会や会議を通して、この方針を実行に移し始めました。政府内の、とりわけ行政レベルにおいて、また非政府のレベルにおいても、正規の教育の場でも、私的な教育の場でも、自発的に取り組まれているのです。市民団体は意識を育て決定に関与することを奨励するうえで、ますます重要な役割を担うことになりました。
 池田 地道な活動こそが必要です。アマゾンの中心地マナウスで、先ほどの展示を催したときのことです(一九九二年十二月)。アマゾンの詩人として世界的に著名なチアゴ・デ・メロ氏が「この地球の生命は脅迫されている。……一人一人が“地球の生命”を救うために、みずからの使命を果たさなければならない。それは、人間であることの誇りを奮いたたせることに通ずる」と、訴えました。
 環境保護は地道な活動だからこそ、根底にはこうした大情熱が必要でしょう。メロ氏は貴国の誇る詩人ネルーダとも、友人であったとのことです。私も、二度お会いしましたが、アマゾンの詩人の魂の叫びは、“一人一人が、まずあなたが行動せよ”というものでした。
 エイルウィン メロ氏は、よく存じあげております。ブラジルの軍事政権から逃れ、チリにおられ民主主義回復に努力されましたし、その後、在チリ大使館の文化顧問も務められています。
4  依正不二――人間と自然は一体
 池田 環境問題を考えるとき、私は、自然と人間の確かな共生の哲学が求められると思うのです。私どもの運動の理念として、仏法で説く「依正不二」の法理があります。ここに環境と人間の密接なかかわりを見ることができます。
 「正」とは正報のことで、人間主体それ自身をさし、「依」とは依報のことで、主体が拠り所とする対象世界を意味します。「依正不二」とは人間主体とその対象世界が、現象面では一応別々であるが、その内実においては一体であり、相互に密接に関係していることを表しているのです。
 かつて私は、ハーバード大学での講演(一九九三年九月)で仏教の自然観について、次のように論及しました。
 「仏教では『共生』を『縁起』と説きます。『縁起』が、縁りて起こると書くように、人間界であれ自然界であれ、単独で存在しているものはなく、全てが互いに縁となりながら現象界を形成している。すなわち、事象のありのままの姿は、個別性というよりも関係性や相互依存性を根底としている。一切の生きとし生けるものは、互いに関係し依存し合いながら、生きた一つのコスモス(内的調和)、哲学的にいうならば、意味連関の構造を成しているというのが、大乗仏教の自然観の骨格なのであります」(「21世紀文明と大乗仏教」。本全集第2巻収録)と。
 「地球サミット」(一九九二年)で決議された“リオ宣言”では、「わたしたちの家、地球の自然と人間は、共生と相互依存の関係にあることを認識しよう」と訴えています。
 「共生」と「相互依存」――人間と自然に固有の内在する尊厳性を認め、たがいに傷つけることなく、依存しあい、生き延びることの大切さに世界はようやく気づき始めました。
 エイルウィン 正直に申し上げますと、私はこのテーマに関して、熟考したことがありません。でも、あなたが私に説明してくださった仏法の法理は、たいそう賢明なものであると思われます。
 人間と自然は相互依存の関係――私は根本的で自然発生的な関係、と呼びたいのですが――にあるとする「地球サミット」の確認は、当然のものでしょう。人々が生活し、歴史をつくっている自然環境や地理的環境は、前にも論じあったように、なんらかの形で人間の性格形成にかかわっています。
 気候(寒冷、酷暑、温暖)、起伏(平野や山)、植物や海辺に近いなどの条件が、国民性や個々人の性格に影響をおよぼしているのです。人間と、人間の生命を育む自然環境とが、共生関係にあることは明らかでしょう。いずれにしても人間も動物も、自然が生みだした子どもたちなのですから。
 池田 これまで人類は、自然界を自己とは別の実体とみて対象化し、収奪や支配の対象としてきました。こうした考えに対する深刻な反省が、今、なされ始めたといえるでしょう。
 人間と自然との共生を可能にするには、もはや技術革新や政策、市場システムだけでは不十分である――これが多くの心ある識者の共通した認識です。
5  他者を思いやる思想的基盤の確立を
 エイルウィン ご指摘のとおり、文明の発展が自然から人間を遠ざけるにつれ、人間生活は本物を見失って人工的なものになってきました。
 私自身の個人的な経験から分かることは、自然との接触は、山や海から自宅の庭にいたるまで、私が生きていくうえで不可欠なものであり、私の肉体を勇気づけてくれるだけでなく、精神をも蘇生させてくれるということです。失っていた快活さや情熱を取り戻し、無力感を自信と楽観主義に変え、神を身近に感じるのです。
 池田 必要とされているのは、思想的基盤の確立だと考えます。技術や知識も大事ですが、それらを生かす人間の「知恵」と「精神性」が求められているのです。次の千年を展望し、これから続く世代のために、人類は共生の哲学を確立しなければなりません。
 “人間対自然”という課題では、人間社会のあり方自体が問われます。“人間対自然”は、“自己対他者”に通じます。他者の生存の権利を脅かし、欲望の奴隷になるような行為は、人間の内から外へ向けられたもので、自然環境に対しても同次元です。“内なる環境”が“外なる環境”の支配、収奪、破壊へと進むことを直視すると、人間自身の内面世界こそ問われるのであり、つまるところ他者の苦を同苦できるかどうかという問いが、一人一人に突きつけられるのです。     

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