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日蓮大聖人・池田大作

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第十八章 環境保護か経済成長か――チリ…  

「太平洋の旭日」パトリシオ・エイルウィン(池田大作全集第108巻)

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2  汚染されていない環境で暮らす権利
 池田 現在、サンティアゴには国家の人口の三分の一である四百五十万人が住んでいるそうですね。より高い賃金を求めての地方からの人口流入は、都市の過密化を促進させ、失業者の増加、住宅不足など、貧困の堆積とスラムの拡大をもたらす一因となり、環境を悪化させる。このような悪循環の現象はチリにかぎらず、ラテンアメリカ諸国でも、世界の各地にも同様に発生していると思います。
 エイルウィン ええ。五百万の人口に近づきつつあるサンティアゴは、ご指摘のとおり、たいへんに深刻な課題をかかえています。しかし、この都市だけがチリで唯一の環境問題をかかえている都市ではありません。大きな鉱業精錬所や工業施設のある近隣の都市でも、大気汚染現象に悩まされています。
 また一方では、沿岸に住む住民、ならびに工場が排出する廃棄物や漁業にともなう汚染などにより、河川、湖あるいは海岸の水質汚染が深刻化してきています。農村地帯では、これまで広大な森林や草原だった土地の破壊が問題となっています。
 ですから、ここ数年ほどで国民の間に環境保護の意識が形成されてきました。一九八〇年に制定した憲章で、あらゆる人々が“汚染されていない環境のなかで生活する”権利と、“この権利が侵害されないよう監視し、自然保護を推進する”国の義務とが、すでに認められています。
 これをうたいあげた宣言を実現するため、私は在職中に環境問題への取り組みとして一つの法律を定めました。その規定では、経済活動および都市開発における人間の健康と自然の保護の義務が明確化されています。
 この法律の規定とともに、ここ数年間にサンティアゴでも、他の都市においても、水および大気の汚染をなくすための政策がとられています。最近、ますますわが国では環境問題に対する配慮がなされるようになってきています。とりわけ新世代に、そのような傾向が強くあります。
 池田 一九九二年、ブラジルのリオデジャネイロで、「地球サミット」(環境と開発に関する国連会議)が開催され、全世界から約百七十カ国の代表が参加し、環境保護に関する協議が行われました。
 会議では、環境破壊を先進工業国の責任とする開発途上国と先進国間の対立が、あらためて浮き彫りになりました。しかし、政治的立場の違いを超えて、人類が環境問題への本格的な取り組みを開始したという点では、歴史的な会議であったと評価すべきでしょう。こうした環境への関心の高まりを、一時のブームに終わらせてはなりません。
 私は環境問題においては、豊かな自然と資源を有し、一方で多くの犠牲を強いられてきた立場から、ラテンアメリカ諸国が世界をリードし、解決へのイニシアチブ(主導権)を発揮していくべきであると期待しております。「地球サミット」が開催された意義は、そこにこそあると思います。
  
 チリの環境問題への取り組み
 エイルウィン このサミットにチリも積極的に参加し、その取り決めの遂行に責任をもち、しっかり取り組んでおります。
 今日、人類に害をおよぼしている深刻な環境問題、たとえばオゾン層破壊、生命の種の保存などは、たいそう取り組みがいのある重要なテーマです。しかし、チリのような小国はごくわずかなことしかできないと思います。
 主として責任を負うべきなのは、歴史的に見て、このような問題を引き起こしてきた開発大国で、私どもの立場からは、このような開発大国の国々は、地球サミットの取り決めや勧告を遂行する熱意が十分でないように見えます。
 いずれにしても、チリ国民は精いっぱい、私たちの役目を果たしていきたいと思っております。チリでは、工業、エネルギー、都市計画、交通、あるいは環境に影響をあたえるいかなる事業も、新しいプロジェクトはすべて、おのおの該当する役所において環境にあたえる調査をあらかじめ受けなければなりません。また、私たちはチリの都市の空気や、海岸や河川や湖の水の浄化に取り組み始めています。これから先も、この取り組みが続くものと思われます。
 池田 おっしゃるところの開発大国の責任は、いうまでもありません。
 また、環境問題では協力こそ大事です。貴国と日本、南米と日本とは、さまざまな環境プロジェクトで協力しています。今後、さらに両者の間でどのような協力が可能でしょうか。
 エイルウィン 私どもの努力に対して、世界の先進工業国が行ってくれる協力は、とりわけ重要です。日本の場合、現在、国立環境問題研究所の設立に協力してくださっています。
 環境という視点から見れば、環境開発にとってブレーキとなりうる諸問題を解決する経験や技術を、チリは必要としています。公害防止のための工業処理とその技術、危険物や毒素を含んだ廃棄物の処理センター、節水技術、天然資源を工業化するにあたっての処理、豊富な環境情報の提供と、モニター・システム(調査機構)、リサイクルおよび大型廃棄物の処理などです。
 これらに対する取り組みが、環境問題に関する協力のなかで、とりわけ必要とされているのではないでしょうか。
 また当然のことですが、基本的研究(たとえば気候、水資源、生物発生、地球物理メカニズムなどの面について)をする研究者や技術者のトレーニングや養成、共通する経験を相互交流させるプログラムの推進が重要です。いくつか具体例をあげますと、地震や洪水の被害の軽減や、情報管理や処理などです。他の大きな分野は、包括的な取り組みと関連しています。たとえば、大気圏の温暖化やオゾン層の消耗などは、このような状態を引き起こした原因に対処するための、監視装置や代替の促進が問題の中心面となるでしょう。
 日本の経験は、このような取り組みのいくつかを解決するにあたり、たいへん大きな意味をもつことでしょう。チリの経験も、世界の他の地域における類似した問題に取り組む場合のモデルとなりえます。私たちと同じような国々に対して、具体的な事実をもって持続可能な開発がなしうることを示せるでしょう。
3  いかに環境保護と開発を統合するか
 池田 前の会談のさい、あなたは、「チリの環境問題解決の鍵は『環境保護』を『経済成長』と調和させることにある」と指摘されていました。これは、貴国ばかりでなく地球全体の環境問題を克服するための、メルクマール(指標)であると思います。
 一九九二年の「地球サミット」で焦点となったのも、環境と開発を統合する理念としての、「持続可能な開発」という点でした。また、ローマ・クラブも、最近の報告書(一九九一年)の中で、「『環境保護』と『経済成長』、『開発』と『もっと公正な世界秩序』の建設、の間に適正なトレード・オフを求めることは、世界をより安全な場所にすることにつながる」(アレキサンダー・キング、ベルトラン・シュナイダー『第一次地球革命』田草川弘訳、朝日新聞社)と、その重要性を指摘しています。
 エイルウィン 私としては、国の開発について話すときには、経済面同様、環境、政治、社会、文化、精神のそれぞれの面についても、人間生活の質を決定づけているあらゆる局面を含んでいると考えます。
 経済という側面では、開発は住民の所得によって評価されます。環境保護、あるいは環境面では、自然への配慮や留意、環境保護や天然資源の回復による評価です。政治的側面では、以前(第七章)、論じあったように、人権が守られているかどうかです。その結果として当然、自由と平和のなかで民主的に共存することが守られているかが評価されます。
 社会的側面では、真に人間的な生活の質の高さを、全員が実際に享受しているか。食料、衣服、住居などの基本的必需品について満たされているか。効果的な教育や福祉の便宜を受けているか。適切な基本的衛生施設を備えているか。比較的安定した、割の合う報酬が得られる仕事に就いているか。家庭生活をいとなむために必要な用具が整っているか。老齢期のための保障が用意されているか。娯楽のための余暇があるか――。これらの点が評価されます。
 開発の文化的・精神的側面については、人類が人間としてその能力をやしない、優れた本質的な才能を鍛えることが可能となり、美徳の実践――真実を尊重し、他の存在を愛し、正義を切望し、事実の究明――が可能な、科学や技術の進歩と一致した知識の普及をめざしたいと思います。
 池田 現在、先進工業国の間には深刻な環境破壊が経済の停滞につながると考え、環境保護に経済力をそそごうとする機運も見受けられます。なかには“エネルギー開発は環境の敵である”といった、環境保護を絶対視する極端な主張もあるように思われます。
 しかし、第三世界にあっては、みずからの資源を開発することなく、深刻な貧困問題を克服することはできません。そのため、これらの国々では経済成長こそ緊要な問題であり、環境保護を二の次とする傾向もうかがえます。それでは、いずれ豊かな資源を枯渇させてしまいます。
4  要請される環境を守る“人間の知恵”
 エイルウィン 開発という概念を、たんに経済成長のみで受けとめるべきではないと思います。たとえ国内総生産(GDP)が、国の一つの開発指数であるとしても、開発とはたんにそれだけを意味しているのではありません。開発指数は同時に、先ほど申し上げたように、他の次元の広がりをももっているのです。政治や社会や文化や精神・倫理などの次元においても、また環境保護の次元においてもです。
 このように理解し、国連は、国連開発計画(PNUD)を通して“持続可能な人間開発”という概念を作りあげました。その概念は人間生活にもとづいており、未来世代の生命の可能性を守り、生命そのものが依存している自然体系の維持を支援しているのです。一九九四年の「人間開発報告書」では、“開発の目的は、あらゆる人々がおのおのの能力を高められ、現在および未来の世代のための可能性を広げられるような、環境を創造することである”と表現されています。
 池田 「成長」を拒否して「環境」を守るのか、「環境」を犠牲にして「成長」を守るのか。それとも、「成長」を維持しつつ「環境」を守るのか――。われわれの前には、複雑なジレンマが横たわっていますが、「保護」と「成長」の調和こそ求められなければなりません。
 今こそ人類は、大いなる知恵を発揮しなければなりません。私は、「人間の知恵」こそ、涸れることのない最大にして無限のエネルギー資源であると確信しております。
 エイルウィン 私も、知識が――あなたが“人間の知恵”と呼んでいるものですが――諸問題に取り組み、より良い未来へと進むために世界が所蔵する最大のエネルギーであることに同意いたします。
 この二十世紀におけるもっとも顕著で意義深い出来事は、疑いもなく現在、私たちが享受している科学技術革命でしょう。物理、化学、天文学、生物科学、医学、エネルギーの利用とコントロール、交通通信手段の迅速な進歩、コンピューターや情報科学の目まぐるしいほどの発展が、人間の生活条件を驚くほど一変させました。この新しい現実のなかで、環境保全の問題は、開発と両立しえないどころか、開発の一部を形成するようになっています。
 池田 あなたの提案により、(一九九五年三月、デンマークのコペンハーゲンで)国連の「社会開発サミット」が開催されました。ここでは、世界各国の首脳が参加し、貧困や失業問題など開発途上国の直面する諸問題が協議されたことは以前(第十一章)おうかがいしましたが、あなたはサミットのラテンアメリカ特別委員会の中心として、みずから全世界の貧困に関するデータを集めるなど精力的に取り組んでおられました。
 また、あなたは大統領在職中に、都市化や貧困、失業者の増大の問題についても、情熱的に取り組んでおられました。今後の問題解決には、どのようなアプローチの仕方があるとお考えになりますか。
5  恐るべき不公平な分配の現実
 エイルウィン たしかに社会発展の可能性は、経済によって左右されるでしょう。経済的に遅れている国では、高い社会発展指数を期待できません。経済的な遅れは、ほぼ一般化された貧困に結びつき、その結果、国民の低生活水準となるのです。しかし、これまでの経験は、次のことを明らかにしています。
 社会発展の達成のためには、経済成長だけで十分なのではない。成長の結果が公平に分配されないような方法では、国民のいくつかの分野の人たちが発展から取り残され、貧富の差がいちじるしくなるということです。
 これが、「社会開発サミット」の中心テーマでした。このイベントは一九九〇年九月、じつは国連の総会に対して私自身が働きかけチリ政府主導のもとで行われましたが、現代における貧困や失業や社会的な疎外という問題の解決に、より高いレベルであたろうというのが目的でした。
 ここに憂慮すべき数値があります。世界人口の約五分の一、つまり、十一億の人間が貧困状態のなかで生活し、そのほとんどの人たちが空腹のままで毎晩床についているということです。公式に発表されている数字によれば、一億二千万人が失業しており、さらに多くの人々が不完全な就業状態におかれています。
 先にも紹介しましたが、世界の国内総生産額の八二・七パーセントを、二〇パーセントのより裕福な人たちが受け取っています。一方で、二〇パーセントのより貧しい人たちは、たった一・三パーセントしか受け取っていません。裕福な人たちは、貧しい人たちの六十倍もの収入を得ています。
 あなたもご存じだと思いますが、このテーマに対して、私は熱意をもって取り組んでいます。なぜならば私の考えでは、私たちの生きる現実は恐るべき不正義を引き起こしていて、まさにそれゆえに不道徳だと思うからです。
 コペンハーゲン・サミットでは、このように認識するとともに、出席したほとんどの国が最高統治者を派遣していましたが、満場一致で次のことを表明しました。
 貧困撲滅のためには、貧困率を下げるだけでは十分とは言えず、また市場のメカニズムだけでも十分ではない。社会生活、とりわけ福祉、教育、生活環境や中小企業助成など、国と市民団体が明確に深くかかわっている政策が必要不可欠である、と認めたのです。
 池田 歴史的に見ますと、「保護」と「成長」のバランスの問題は、南北の発展の不均一と密接な関係があります。これまでの北の先進国主導の開発政策は、南の途上国の貧困の解消に結びつくことはありませんでした。かえって膨大な累積債務さえ生みだしてきました。その結果、途上国の人々は、環境保全に目を向ける余裕さえも失っていったのです。
6  地球益を優先させる「環境国連」を
 エイルウィン 真の開発であるためには、持続可能な開発でなければなりません。そのためには、環境を守るための成長の抑制と、発展の恩恵を受けるなかで環境におよぶ影響の程度との間の的確な均衡をはからねばなりません。
 環境を切り離して開発を考えたり、不可避の環境保護問題をおろそかにしたまま、真の開発を推進できると判断することは誤りであり、有害である――とのあなたの意見に大いに同意します。
 現実的な試みとしては、人間の活動が展開される空間を管理することです。それは日々解決していかなければならないさまざまな問題に取り組み、効果的な解決法を見いだすことです。たとえば、どこにどのように宅地を開発し、排水溝を設け、工場を配置するのか? 水質や空気の状態は許容範囲か? 人間の健康をどう守るか? 「環境保護」と「成長」の調和は?――このような問いに対して実際にどう答えるかにかかっているのです。
 池田 よく理解できます。「環境保護」は、個人や企業、さらには国家のエゴを超えて取り組むべきです。人類益、地球益を優先すべき課題が多くあります。そのために、私は一貫して、国連の機能の強化と改革を訴えてきました。とくに十数年前に、環境問題を全人類的課題として取り組むための「環境国連」の構想を提示しました。その後も構想を発展させ、「環境・開発国連」と、そのもとに「環境・開発安全保障理事会」を設置することを提案しました。
 エイルウィン これまでお話ししたように、人類が必要不可欠な調和を求めて前進するためになすべきことは、明快に絞られています。国連が、この重要なテーマに対して果たすべき役割はきわめて大きいと考えます。

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