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日蓮大聖人・池田大作

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第十章 環太平洋時代への展望――日本と…  

「太平洋の旭日」パトリシオ・エイルウィン(池田大作全集第108巻)

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1  池田 さて、歴史を概観すると、文明の中心はエーゲ海から地中海、そして大西洋へと移動し、今、太平洋へ移りつつあります。私たちの対談も来るべき環太平洋時代をふまえ、「太平洋の旭日」ということで一致しております。そこでこの章では、その洋々たる未来を展望しあいたいと思います。
 エイルウィン 賛成です。“環太平洋時代”が始まりつつある――という点について、私も、あなたと意見を同じくしております。この地域のあらゆる国々が、歴史的必然のごとく担わざるをえない大きな役割が、それを象徴しています。
 環太平洋は、広さ、人口、多様性、可能性においてたいへん重要です。私たちが推進しつつある力強い経済展開は、環太平洋という範囲を超えて注目をあびております。
 現在の環太平洋沿岸諸国の発展や統合の過程は、コロンブスのアメリカ大陸到達に由来する社会経済の展開と、十五世紀以降の多様な天然資源を有するアメリカ経済の統合、あるいは十九世紀の産業革命に匹敵するものと思われます。
 池田 歴史家のアーノルド・トインビー博士も、未来の文明の中心は太平洋へと移動する、と洞察しておりました。現在、太平洋を取り囲む地域には、地球上の人口の六〇パーセントが集中し、経済的にも全世界の生産の約七〇パーセントを担いうる巨大な市場となりつつあります。国境や民族を超えた地球的な共生をめざすうえで、環太平洋諸国の活発な往来と協力は、どの地域にもまして大きな影響力をもっております。
 このことは、私がお会いしたEC(欧州共同体)構想の生みの親クーデンホーフ=カレルギー伯、フランスの行動的知識人アンドレ・マルロー氏、アメリカの二十世紀における外交政策を彩ったヘンリー・キッシンジャー博士等、多くの識者が一様に認め、主張していたことでもあります。
 エイルウィン 多様な国々の存在は、経済面で補完しあう相互依存体制を作りだします。相互依存体制は、より強固な絆や団結力を築きあげつつ、強力な経済相互作用を誘発します。社会・文化的交流は、とりわけ重要です。おのおのの文化に関してより多くの知識を得て、理解を深めることにより各国民は各文化を尊重するようになり、より良い友好関係が結ばれることとなるでしょう。
 社会・文化的側面での理解を欠いた関係は、不完全なものです。交流の制限や疑念の原因となり、必要不可欠である協調関係が築きあげられなくなります。未来の太平洋共同体においては、さまざまな文化の個性あふれる貢献を高く評価することが大切なのです。この共同体を形式的なもの、あるいは閉鎖的なものと受けとめるべきではありません。太平洋地域で友好関係を築こうとして始められた努力の結果として、自然発生的に生まれたものと理解してほしいのです。
 池田 おのおのの文化への理解を深めることにより、各国民は各文化を尊重するようになり、より良い友好関係が結ばれるという主張に、全面的に同意します。
 環太平洋における交流が、現状では政治・経済の協力に力点が置かれているのは、やむをえないことかもしれません。しかし、より本源的な友好交流を願うのであれば、文化・教育の交流が底流に必要です。軍事や経済を表にした交流では、真の相互理解、相互信頼が生まれないからです。
2  親近感を大切に育てる「民音」の文化交流
 エイルウィン 文化・教育の交流および協力を重視されているあなたの心づかいを、私も共有したく思います。太平洋のこちら岸とあちら岸に分けているほどに大きい、あるいはそれ以上の隔たりは、相互の無知であり不案内に由来しているのです。
 ラテンアメリカの人々は、アジアに関して、ほんの少ししか知識はありません。アジアの人々が、ラテンアメリカ諸国に関して多くの知識があるとも思われません。隣人同士として住む私たちの存在が、真の連合国家共同体となるためには、さらにより良く知りあうことが不可欠です。交易や経済協力は必要です。しかしそれだけでは、おっしゃるとおり十分ではありません。
 池田 私は貴国を実際にお訪ねし、多くの方々とふれあい、チリが大好きな日本人の一人になりました(笑い)。私はこの感情が大切だと思うのです。なぜなら近しい人がいる国に銃を向けないというのは、素朴な庶民感情です。そうした親近感を大切に育てていくことが重要です。為政者はいたずらに反目や対立、分断の感情をあおることはさけるべきです。
 エイルウィン 私も、同じ思いです。ちょっとしたことですが、けれどもとても明快な実例をお話ししましょう。
 それはチリの大統領としては初めてのアジア訪問だったのですが、一九九二年十一月、私は日本を公式訪問いたしました。東京滞在中、ぎっしり詰まった日程の合間をぬって、民音(民主音楽協会)が企画したコンサートに行きました。
 そのコンサートは、バロッコ・アンディーノというチリの室内管弦楽団の公演で、アルマジロの甲羅を共鳴胴にした五複弦の弦楽器であるチャランゴ、パンの連管笛のサンポーニャ、大太鼓などその他のアンデス地方の楽器で、ラテンアメリカの民族音楽やヨーロッパのルネサンス様式の古典音楽を演奏しました。
 コンサート会場は満席で、全聴衆は、大半が日本人でしたが、演奏を楽しんでいました。文化が国境を越えることができる、そしてまた人々を一つにすることができる。このことを目のあたりにすることは、なんという喜びでしょう。
 池田 私も、その模様はうかがっています。民音の創立者として、このようなすばらしい交流の機会をつくっていただき、深く感謝しております。百万言を要するよりも実効があるのが文化交流です。これまで民音が世界各地のアーチストたちを招き、芸術・文化の交流を積み重ねてきた経験からもはっきりいえます。
 エイルウィン すばらしいことですね。チリと日本両国民の間で、おたがいに関する知識を普及していく努力を精いっぱい重ねることが大切だと思います。
 相互訪問、とくに学生たちの往来、大学生のための奨学金プログラム、芸術分野やスポーツ分野における交流などが、優先的に推進されるべきです。
3  太平洋文明は未来世代が開く
 池田 二十一世紀を担うのは、青少年たちです。彼らがおたがいを理解しあえば、未来は明るい。青少年の往来と友好の舞台を開くことが、私たちの世代の大きな責務です。
 私はこれまで、「世界青少年交流センター」とも呼ぶべき機関を設置する構想をあたためてきました。私が創立した大学、学園でも、各国の教育機関と交流を進めてきました。またSGI(創価学会インタナショナル)は、毎年、世界青年平和文化祭を開催するなど、若人の国際交流を積極的に推進してきました。まず、たがいを知りあうことが、なによりも優先されるからです。
 エイルウィン 環太平洋のあらゆる国々の関係を緊密化しようという壮大な作業は、環太平洋を構成しかつ繁栄させているさまざまなアイデンティティー(主体性、個性)を尊重し、容認するとの発想で展開されなければなりません。そうすれば、環太平洋地域で新たに結ばれる関係が、いずれの文化の延長線上にあるのでもなく、参加する諸国の真の平等を礎とした関係が構築されていくことでしょう。
 池田 まったく同感です。私は、一九八七年の「SGIの日」の記念提言(第12回、「『民衆の世紀』へ平和の光彩」。本全集第1巻収録)で、カリフォルニアは太平洋のイメージと密接に結びつくとして、作家メルヴィルの『白鯨』の次の一節を引用しました。
 「放浪と瞑想とを愛する神秘家ならば、ひとたびこの静穏の太平洋を眺めたとすれば、終生これを彼の心の海とするであろう。それは世界の水域の真只中にうねり、インド洋と大西洋とはその両腕にすぎない」「かくして、神秘で神聖な太平洋は、世界の全胴体を帯のように巻き、あらゆる岸辺をおのれの一つの湾とし、その潮鳴りは地球の心臓のひびきを思わせる」(阿部知二訳、岩波文庫)――。
 そして、記念提言では「太平洋文明というものに明確な輪郭を与える労作業は、おそらく、何世代にもわたって未来世代の手に委ねなければならない」と、息の長い取り組みの必要性を論じました。経済の交流をとってみても、あなたが今おっしゃったように、さまざまなアイデンティティーを尊重し、容認していくことが基本となると思うからです。
 エイルウィン よく理解できます。現状から統合の過程を見ていきますと、自然な形での太平洋共同体を形成し、実現していくためには、経済構成の歴史と状況をふまえなければなりません。そのうえで、市場の潜在力、進歩した技術などを活用する努力が必要であることがわかります。APEC(アジア太平洋経済協力会議)に加入している諸国のなかで重要な位置を占めているグループが、そのための新しい国際秩序に関する原則を明確化し、発展をうながそうと試みております。とともに互恵関係を促進していこうとしています。
 このすばらしい発議にチリが参加することは、私の政権の大きな目標の一つでした。前にも述べましたように、一九九三年末、シアトルで開催されたAPECの第五回高級事務レベル会議の席上、私どもの参加も認められました。APECは、基本的には経済ビジョンから発生したものです。
 しかし、その成功によって経済協力は発展し、最終的にはそれにともなう利害関係が重要視されて、実際には政治戦略的なものとなるでしょう。この大きな挑戦に取り組むことを可能とするためには、全体計画の着想にあたって、文化・社会面における多様さ、発展段階の差異など、この地域の大きな多様性を基本的原則としてとらえていかなければなりません。その多様性が複雑なところですが、これを乗り越えた、とくに文化的広がりがより豊かなものとなり驚異的な結果が得られることでしょう。
4  発展段階の差異が各国の協力関係を強化
 池田 大切なご指摘です。むしろ一様性より多様性のほうが、はるかに豊かな広がりを見いだす可能性をもっているのではないでしょうか。
 「多様性の調和と融合」こそ、人類の課題です。富の蓄積へ経済一辺倒で走った近代文明は、多様な個性を切り捨て、画一的な目標を追いかけました。
 人間の欲望を肥大化させ続けた文明が、物質的な豊かさや便利さと引き換えに、人間疎外や環境破壊というマイナスの結果をもたらしたのは、皮肉という以外ありません。
 エイルウィン よく理解できます。そこで統合を進めるためには、先進国の立場にいたっていない国々の状態改善を積極的に支援する必要があると判断するならば、社会・経済の協力は不可欠です。発展段階の差異は、豊かな協力関係の機会をあたえ、また同時により強力な連合体の結成を容易にするでしょう。環太平洋諸国の統合は、均衡がとれていなくてはいけません。
 また、統合過程は関係諸国に、そして同時に国民の一人一人に対して、発展への期待や選択権を制限するものであってはならないのです。いや、それどころかむしろ、発展途上国が先進国から技術を学び吸収しようとしたときに、その可能性を阻もうとする障害を取り除くための手助けをすべきなのです。
 その協力関係は、エコノミストたちによる純然たる経済的観点から取り組むというより、生産や消費という要素を超えたところのさまざまな社会的局面に留意したものでなければならないと考えます。私たちは、公正な社会という骨組みのなかで、個人と社会が補足しあうような発展を、推進しなければならないのです。
 これは、倫理面で重要であるばかりでなく、国際関係の安定にも大きくかかわっています。太平洋地域における統合が、社会正義や公正さを尊重しつつ推進されるならば、可能性はより大きなものとなるでしょう。
 池田 各国の発展段階の差異が、むしろ協力関係を強化し、連合体の形成を容易にする、という視点は斬新な発想です。多彩な民族、文化、言語の存在が、環太平洋が人類融合への「実験の海」と期待されるゆえんです。
 エイルウィン おっしゃるとおり、公正な交流を通して、相互の知識がふえ、発展のための協力が進展すれば、交易がさかんになります。こうした統合のための協力関係を通して、おのおののアイデンティティーや文化的価値が尊重され、相互の繁栄に貢献するようになります。こうした関係諸国の平等という原則を土台にした橋が、北と南の諸国に架かり、隔たりが縮まっていくことでしょう。
 ここ数十年は、北太平洋沿岸諸国に交流や発展が継続的に集中してきたように思います。この傾向を修正するには、多大な努力をはらう必要があると考えます。北太平洋沿岸への集中は、この地域が世界市場の中心になることを容易にしました。
 今度は、南太平洋沿岸諸国に対しても、同様の交流を継続的に拡大していくことが急務だと思われます。
5  日本が担う平和維持への歴史的責任
 池田 そのとおりです。そこで、太平洋時代をめざすにあたって日本に望まれる点を、率直にお話しいただきたいと思います。
 前にもふれましたが、私はヨーロッパ共同体の父であるクーデンホーフ=カレルギー伯と対談集を編みました。
 そのなかで私は日本の果たすべき役割について、四周を海に囲まれた“島国”だからこそ日本は、“全世界に開かれた島”として、どう平和へ貢献するのかが問われる、と申し上げました。同伯は「日本が、第一に世界平和のためにベストをつくすこと、そして第二に、明日の太平洋文明を築いていくこと」(『文明・西と東』。本全集第102巻収録)と言及され、大西洋文明から太平洋文明へ移行する過渡期に、日本は主体的に取り組むべきだと指摘しておりました。
 エイルウィン 先ほども述べましたが、ここ数十年の世界史の大きな動きは、北太平洋が中心になり展開されてきた結果、この地域が世界市場の中心となりました。この地域で日本は経済界のスーパー・スターとして、国際的に広く認識されております。
 アジア地域で経済的に優位に立つと同時に、文化的アイデンティティーを守り続けてきたことは、高く評価されているところです。そのような立場から、みずから努力を重ねて獲得した独自のやり方を大切にするとの前提のもと、国外にその価値観を広げていかなければならない状況にあります。日本は経済的にも社会的にもめざましい発展をとげたことにより、現在、国際政治や経済の分野でたいへん有利で、特権的な立場を占めております。
 このような状況のなかで、日本がたんに大きな可能性を有しているだけでなく、新しい国際秩序を構築、強化し、平和維持のための歴史的責任を負っているという点で、私はあなたと同意見です。
 日本の外交政策が、一貫して国際紛争の平和的解決を支援しているのは喜ばしいことです。第二次世界大戦後、日本は全方位外交で平和を維持してきたことにより、国際レベルで生産力をつけ、経済力を増すことができ、成功することができたのです。
 池田 おっしゃるとおり、平和がいっさいの前提です。平和なくして、何事も成就しえません。
6  『人生地理学』の先駆的思想
 エイルウィン その平和と友好関係のもとで、太平洋の時代は、繁栄と相互の信頼を基礎として築きあげられます。日本は、その影響力と可能性で、統合のために精いっぱい尽力すべきでしょう。
 池田 そのさいに大切な視点は、「相手の立場に立って考える」ことでしょう。「相手の文化を独善的に否定する」という愚をおかしてはなりません。「知性の力」「文化の心」で、相手を理解し、交流をはかっていくことです。
 エイルウィン 文化的な面では、日本は高度に工業化された近代化を達成していると同時に、西欧文化とは異なる土台の上に、完璧なほど発展した文化を有する唯一の国であると、私たちは認識しています。
 伝統文化の豊かさと多様な近代文化の様式を、同時にあわせもっていることに驚かされます。
 経済力、他国との活発な交易、偉大な技術的進歩などを通して、日本の影響力は、アジアの周辺をはじめ世界の国々におよび、重要な文化の伝達媒体となるでしょう。日本は、文化面で“雁の群れ”の先頭に立ち、アジア文化に多大な貢献を行っていますが、それが最終的には世界の文化を豊かにするのだと思います。
 日本が高度な先進国として成功するまでの過程から、独自の価値観や伝統文化をたもちつつ、環境や経済発展の利点を融合させることにより、調和のとれた社会を創りだすことができることを学びました。当然のことながら、いかなる国々も日本を手本として、自国の陸や海や空を意のままに動かしたいと願っていることでしょう。
 池田 よく理解できますが、課題も多いのです。明治以来、日本は、西洋に追いつけ追い越せとばかり、進んできました。戦後も、経済最優先できました。その過程で、日本古来の価値観や東洋的なものを否定しようとしたのも確かです。しかし、今、社会は大きな曲がり角にきており、あらゆる分野を閉塞感がおおっております。人々は、前途へ希望や確信をもてなくなっております。この時に、たんに技術や製品だけではなく、次の時代をいかに築くベきかという思想なり哲学が必要である、という認識が生まれてきています。
 エイルウィン なるほど……。
 池田 ともかく、太平洋時代の本格的開幕は、これからです。牧口初代会長は、その著『人生地理学』で「世界の国々は経済上、今や地球という一大市場に軒をつらね、互いに協力しあって全体の生活を向上させる一部の役割を分担し、その分業の産物を販売する店舗にすぎない」「日本も、この大市場では、(中略)凸凹の多い細長い場所に、みすぼらしい商店を構えた、そして端座して店頭の火鉢を守り、呑気に煙草をくゆらせて客を待つ、四千万の番頭を有する生糸屋、お茶屋兼雑貨商店にすぎない」(『牧口常三郎全集』第一巻、第三文明社、要旨)と書いています。
 『人生地理学』は、第一次世界大戦前、世界各地で列強による植民地政策が幅を利かせていた時代の著作です(一九〇三年刊)。日本においても、日露戦争(一九〇四年―五年)勃発直前で富国強兵策が推し進められ、排外主義的なナショナリズムが高揚していました。そうした時代背景から初代会長の主張を検証しますと、その思想がいかに先駆的であったかがうかがえます。その卓見は、今日にも通用する人類的視座に立っており、地球文明ともいうべきものを分担して築いていくのだという一体感にあふれております。
 凸凹の多い細長い場所とは、南北に細長く中央に山脈の走る日本列島をたとえたものです。「みすぼらしい商店」という表現は、資源もないこの国の姿を的確にとらえる一方、現在の経済大国うんぬんからくる尊大さはありません。先にもふれた「太平洋通り」という発想も、環太平洋時代を予測した確かなものと思うのです。
7  「文化」の交流と「対話」推進の場を
 エイルウィン 世界の国々は地球という一大市場に軒を連ねる店舗にすぎない、との牧口氏の考えに、全面的に賛同します。
 しばしば、私は“生きることは共存することである”との確信を深めています。これは、個人と個人の間の関係のみならず、国と国の関係についても言えることです。だれも、一人きりでは生きていないのです。いかなる個人も国も。したがって、おのおのは(個人も社会も国家も)他者の存在を考慮し、他者を理解しようと努め、他者の立場に立って考えることが求められます。
 このようにして初めて、友好的で実りある関係が築きあげられるのです。家族のなかでも、仕事のうえでも、また国内外の政治関係も同様です。寛容と相互理解の精神を礎として“太平洋時代”が構築されるとのあなたの意見に、私も賛同いたします。
 池田 私は、「アジア・太平洋平和文化機構」の創設などの諸構想とともに、地域の平和的共存、多様な文化の調和について話しあう審議の場の設置を訴えてきました。これは現在、創価大学が中心となって開催している「環太平洋シンポジウム」という形で結実をみています。
 すでに五回を重ねるシンポジウムは、一九八八年以来二年おきに行われ、アジアを中心に多くの研究者が集う、環太平洋地域におけるグローバルな「文化」の交流と「対話」の“場”として着実に成果をあげつつありますが、私は、こうした機会を通じてラテンアメリカの国々とも積極的な交流をはかることは、きわめて有益であると考えております。
 エイルウィン 世界の世論は、太平洋時代といえば日米関係である、というような理解をしてきておりました。他のアジア諸国、オーストラリアおよびニュージーランド等の経済的な成功とあいまって、これらの国々も“太平洋クラブ”の一員を形成し始めております。
 ただ最近になって、太平洋沿岸のいくつかの国、とくにメキシコとチリも、この複雑な政治的、社会的、経済的なシステムの一員として見なされ始めてきております。
 池田 ご指摘のとおり、太平洋の問題をたんに「日米」を中心とした二国間関係で論じるだけですむ時代は、とうに過ぎ去りました。
 その意味では、一般に「環太平洋時代の到来」といわれる場合、そこで対象とされるのは、まさに地理的意味でいうところの“太平洋に面する地域における多国間の関係”ととらえるべきであることは、国際社会の共通の認識として確立しつつあると言えましょう。
 しかし、こうした新しい地域協力が、「経済」を主軸としたものにとどまっている感はいなめません。この地域の有する可能性は、たんに経済面のみに限定されるべきものではなく、次なる千年の地球社会の未来を占う、文明史的な重責を担っていると考えます。
8  差別の少ないラテンアメリカ諸国に学ぶ
 エイルウィン すると、「環太平洋時代」におけるラテンアメリカの役割はなんであるとお考えですか。
 池田 平和学者のガルトゥング博士は、太平洋文明のめざすべき方向性として、「開かれた」「寛容」の文明を示唆しておりますが、私も同感です。環太平洋地域は、民族、宗教、言語、文化などの面で変化に富んでおりますが、その多様性をたがいに認めあい、共存共栄する開かれた文明を、私たちは真摯に模索していく必要があるでしょう。
 「摩擦」ではなく「触発」へ、「対立」ではなく「調和」へ、「破壊」ではなく「建設」へ――私は、こうした地球社会の規範ともなりゆく、「相互性・対等性」、また「漸進性」にもとづく地域協力のあり方を追求するにあたって、ラテンアメリカ諸国がこれまで培ってきた知恵と歴史の教訓を、他のアジア太平洋地域の国々と分かちあうことの意義は、まことに大きいと考えます。
 とりわけ、多人種社会における融和性など、歴史的にみて人種や民族などにもとづく組織的(国家的)な差別が比較的少なかったといわれる、ラテンアメリカ諸国の経験から学ぶべき点は多いのです。
 エイルウィン 北はリオグランデから南はフエゴ島にいたる中南米大陸の地域は、同一起源を有する同一地域、同一宗教、および単一言語を共有する二十カ国以上の国から成り立っています。つまり、共通の要素をもっている国々の集合体であるといえるかもしれません。
 池田 一般に中南米と呼ばれる地域は、貴国チリを含むラテンアメリカ諸国と、カリブ海とそれに接する大陸の周辺部にある国々に大別されています。このうちラテンアメリカは非常に広大な地域にまたがっているにもかかわらず、あなたが指摘されるように、世界の他の地域とくらべてみても、まことに特筆すべき等質性を有しています。
 面積や人口の面で圧倒的部分を占めているスペイン系やポルトガル系の国々は、イベリア的な文化・伝統・価値観を共有しております。
 また住民のほとんどがローマ・カトリックの信者であることも含め、共通の基盤はかなりの部分が、すでに形成されつつあるといっても過言ではないと思います。
  
 開放性をもったグローバル化
 エイルウィン ええ。ですから二十一世紀を展望するにあたり、私どもの先祖の建国者たちの夢は、統一されたラテンアメリカであったと思います。この夢は、私どもの間では、この統一思想の最大の象徴であるシモン・ボリバルという人物による「ボリバルの夢」として知られております。
 池田 シモン・ボリバル以来の、壮大な“夢”であるラテンアメリカ地域の統合は、たしかに胸躍るものです。
 これまでにも中南米統合連合(ALADI)や中南米経済機構(SELA)などが設立されたり、中米共同市場や南米南部共同市場が発足をみるなど、さまざまな試みによって一定の成果をあげてきております。しかし、最終的なゴールにいたるまでには、いまだ多くの難問が横たわっています。
 十九世紀に相争った記憶や、今日も続く国境紛争、また独立後の歴史がつくりあげた国家への帰属意識と国家につらなった利益の存在等々――「連帯」を阻む要素はいずれも容易ならざるものがあるようにも思います。
 こうしたなかで貴国チリが、ラテンアメリカの統合推進に一貫して積極的な立場をとられていることは、よく存じております。現フレイ大統領の父君であるエドワルド・フレイ・モンタルバ元大統領は、ことあるごとに国益という小異を捨てて団結するよう各国へ働きかけておりました。あなたもまた、一九九〇年九月の国連演説に象徴されるように、ラテンアメリカ地域の平和と民主主義を強化するための、今日的意味での安全保障を確立するための地域統合の実現をめざして尽力されています。
 エイルウィン あなたは中南米大陸を訪れ、ある程度、距離をおいた視点からこの大陸を観察されています。中南米民族の進むべき行方はなんであり、将来において太平洋沿岸の
 国々が果たすべき役割とはなんであるとお考えでしょうか。
 池田 歴史的に見ても、アフリカと同様、ラテンアメリカにおける国境の多くは、「お互いの民族的・文化的相違によって定められたのではなく、植民地時代の行政管轄区分に基づくものであった」(大井邦明・加茂雄三『ラテンアメリカ』朝日新聞社)と指摘されているように、元来、国と国を隔てる“垣根”は低かったと考えるべきでありましょう。
 あらためて申すまでもなく、クーデンホーフ=カレルギー伯が、ボリバルに端を発する“パン・アメリカニズム”に範をとり、“パン・ヨーロッパ運動”を唱導したことが時を経て、今日、ヨーロッパ連合(EU)として結実をみたことは周知の事実です。
 こうした点をふまえたうえで、私が強調させていただきたいのは、グローバル化(地球規模化)が進む現代の国際社会にあっては地域統合といえども、その体制は域内だけではなく、域外までも視野に入れた――いわゆるオープンネス(開放性)を十全に確保したものでなければならない、ということです。
 太平洋と大西洋という二つの海に面する広大な大陸からなるという特性を鑑みても、私は、ラテンアメリカが“開放性”を兼ねそなえた地域統合をめざすことが重要であり、もしその試みが成功するならば、他の地域への良きモデルになると確信するものです。
 その意味から申すならば、ご質問にあった太平洋沿岸の諸国の役割について私は、まさに地域ブロックの“玄関”となり“窓”となって、経済だけでなく、文化や教育といったあらゆる面での交流を積極的に進め、そこで得られた活力を域内へつねに注入していくことにあるのではないか、と思っています。                               

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