Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第六章 権力の腐敗を正すものは何か――…  

「太平洋の旭日」パトリシオ・エイルウィン(池田大作全集第108巻)

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9  時代は一人一人の内面の改革を要請
 エイルウィン ゴルバチョフ元大統領が政治の世界における純粋性や道徳性の欠如に関して、あなたに述べた意見には、その歴史的課題は最大の評価に値するものの、同意しかねる面があります。もっとも旧ソビエト連邦の諸国で起こったことに関して意見を述べるほど、事情に明るいわけではありません。しかし先に述べたような意味で、それを普遍化することは不可能だと私は考えます。
 私はみずからの経験を通して、民衆の道徳性はその社会の一般的道徳性のたんなる反映にすぎず、それ以上でも以下でもないと受けとめています。人間が行うさまざまな職務のなかで、政治の世界は他の分野と比較して、不正や腐敗に対する倫理的非難を、より繁雑に受けていることは確かです。このことは、私の判断では、以下の二つの事情によって説明がつくかと思われます。
 一つは政治活動というものは、その性質上、公的で集団の利害にかかわっているため、あらゆる目がそそがれており、いかなる間違いや過失もただちに発見され、告発されやすいこと。もう一つは、政治活動が探求するところの公共の利益という目的を実現するために、必要な手段である権力とかかわっており、権力は一般的に大きな情熱や野心、嫉妬や誘惑や不安、乱用や譴責を引き起こすからだと思います。
 池田 民衆の道徳性は、その社会の一般的道徳性のたんなる反映にすぎず、それ以上でも以下でもない、ということは分かります。
 社会を構成する一人一人が、いかにレベル・アップしてみずからを高めゆくか。民衆の自発の運動が求められるゆえんです。また、社会や時代の道徳性の指標となるものを、だれが掲げていくかが問われると思います。道徳性は、知的・心理的成熟ともいえるでしょう。
 振り返って見ますと、この二十世紀、人々は外側のみの変化や豊かさを求めてきました。いや、狂奔してきたといってよいでしょう。人々は気づき始めました。一見したところ豊かになったように見えて、じつは精神は貧しくすさんでいるのです。外側の改革だけでは、完全に行き詰まってしまいました。環境問題が、その良い例です。
 私は、真の豊かさを求めるには、人間の内側からの改革が要請されると、力説したいのです。そろそろ人類は、外側から内側へ、無限の可能性を求めて、探求の旅に出るべきではないでしょうか。そして崩れない道徳性の確立をめざし、内側から変革の力を汲みだすべきでしょう。                 

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