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日蓮大聖人・池田大作

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第五章 政治と宗教のあるべき関係――人…  

「太平洋の旭日」パトリシオ・エイルウィン(池田大作全集第108巻)

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5  閉塞の時代を打開する「宗教間の対話」
 エイルウィン ラテンアメリカでは、カトリックは共同社会に関心をおき、プロテスタントは個人にもとづくという点で、アメリカやヨーロッパの北部とは文化的に異なります。
 ラテンアメリカに併存するカトリックとプロテスタント双方には、類似した教義も多くあります。このカトリックとプロテスタントは、日常生活のなかにそれぞれの宗教性が息づいている二つの宗教的文化であります。
 宗教が過去において人々を分離し、現在において人々を結合させる一つの機会になっているのは、なぜであるとお考えになりますか。
 池田 現代のような、“精神の大空位時代”を迎えて、心ある人々は、自身の存在意義を確かめようと、また人生の意味を問い直そうと、あらゆる思想や宗教についての吟味を始めるようになりました。
 つまり、人間精神の危機が、宗教間の接近、そして「対話」をうながす契機となってきているのです。閉塞した時代を打ち破る鍵となるものを真摯に模索するなかで、「宗教間の対話」も試みられるようになってきたのではないでしょうか。
 宗教が長い歴史のなかで、いつしかわが身をおおうようになったドグマ(教条)を離れ、その原点に脈打つみずみずしい宗教的生命――哲学者デューイのいう“宗教的なもの”――を謙虚にそれぞれが見すえていきながら、たがいに「対話」を重ねていくなかで得られる実りは、決して少なくないと思うのです。
 かつてトインビー博士は、「今から一千年後の歴史家が、この二十世紀について書く時がくれば、自由主義と共産主義の論争などにはほとんど興味をもたず、歴史家が本当に心奪われるのは、人類史上初めてキリスト教と仏教とが相互に深く心を通わせた時、何が起こったか、という問題だろう」と述べております。私は博士の巨視的な見方に意を同じくするとともに、各宗教間の対話、なかんずく仏教とキリスト教の対話が、今日ほど大切な意味をもっているときはない、と考えています。
 また詳論はしませんが、一九九五年(平成七年)に制定した「SGI憲章」においても、こうした「対話」の精神がその重要な骨格をなしており、“人間性の尊厳に対する危機”には宗教間の対話をもとに、宗派を超えて共闘していく方針を明確に打ち出していることも、付言しておきたいと思います。

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