Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十三章 「父性」のあり方  

「子供の世界」アリベルト・A・リハーノフ(池田大作全集第107巻)

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2  父不在のなかでつちかった責任感
 リハーノフ 父のことを思うたびに感じていたのは、何度も繰り返すようですが、不安感でした。父の身に何か起こりはしないかと心配し、恐れてばかりいました。
 あの子ども時代から今にいたるまで、私は心配性が身についてしまい、つねに孫や息子、妻のことや自分の仕事など、時にはまったくくだらないことで気をもむのが習性となっています。
 つねに何かを気に病むことが、はたしていいのか悪いのか、それは私にはわかりません。一つ言えることは、父のことを、父の安否を気づかうことが、ある種の責任感を育ててくれたということです。子どもが責任感をもつということは、大人になっていくうえで重要な資質です。とくに男の子にとっては、父性を養うことにつながると思います。
 戦争が異常事態であることは言うまでもありません。子どもが皆、父の安否を気づかわなくてはならないような事態は、あってはならないものです。――ちなみに私の父は四年間戦地にいましたが、生き残ることができました――しかし、私には、父の不在がむしろよい影響をあたえてくれました。
 池田 「責任感」という視点は、父性を考えるうえで欠かせませんね。
 私の場合、父は病気がちで年齢もあって、出征しませんでした。私は八男一女の九人兄弟の五男でしたが、四人の兄たちは次々に戦地におもむき、実質的には、私が一家の中心とならざるをえませんでした。
 とくに一時除隊になっていた長兄――結局、ビルマで戦死します――が、戦火の拡大とともに、ふたたび戦場の人となるときに、私に言い残した「お父さん、お母さんを頼んだぞ」という一言は、いまだに耳朶に残っています。
 戦争といえば、いやな悲しい思い出ばかりですが、そこで“家長”的役割を演じざるをえなかったことが、私の男の子としての自覚というか、責任感を育んだことは否定できません。
 リハーノフ 父が帰ってきたときの喜びは、計り知れないものでした。しかし、一、二年もすれば、幼年時代から少年時代へと成長するにつれて当然、私も変わっていきました。
 父は忙しく働いていましたが、どうもあまり満足感が得られなかったようで、つねに何かを探し求め、平和な生活に飽き足らないようでした。加えて、ロシアでは、戦争中よりも終戦直後のほうが生活はたいへんでした。
 わが家にも子どもがまた一人、つまり私の弟が誕生し、私は十四歳になっていました。母は幼い弟にかかりきりで、父は仕事に忙しく、私は孤独でした。父とのふれあいが少ないことが淋しく、強い不満を感じていました。
 もっとも一つ、共通の関心事がありました。ハンティング(狩り)です。わが家には祖父が持っていた古い銃が壁にかかっており、ハンティングに連れていってほしいと父にせがんだのですが、どうしても聞き入れてくれません。しかし、私のあまりの熱心さに母が口添えをしてくれたのです。
 父親と同じ趣味を共有できたことで、父とはさまざまに語りあうことができました。その楽しかったときのことは、今でも覚えています。
 池田 いいお話ですね。
3  父親にはルールを教える役割がある
 リハーノフ ここで、本来の父親の義務とは何かを思い出してみたいと思います。
 それはまず、「厳格さ」です。「厳格さ」を欠いては父親とは言えません。厳格であるということは、当然、衝突も避けられないし、義務を説いたり、子どもが羽目を外せば戒めなければなりません。
 仕事に厳しい父親は、優しくしたり、愛情を表現したりするのが苦手な場合が多く、なかなか自分を切り替えることができません。とくに努力をしなくても、しぜんにそれができる父親はすばらしいと思います。そうすれば、子どもも「公明正大さ」を感じるからです。
 悪いことをするとお父さんは叱るけれども、行いがよいときは、いつも心を開いてくれている。いわば閉じたり、開いたりする扉のようなものです。決められたルールを破らないかぎりは、お父さんの心の扉はいつも開かれているのです。
 池田 よくわかります。家庭であれ学校であれ社会であれ、人間の生活が円滑に運営されるためには、必ずルールがあります。
 「名月を とつてくれろと なく子かな」(小林一茶)の状態を脱し、そのルールにしたがって、どう自分のわがままや欲望をコントロールしていけるかどうかに、人間の成熟はかかっています。
 そのルールを、身をもって教えていく責任は、母親以上に父親の双肩に担われていくでしょう。
 リハーノフ まったく同感です。
 恐縮ですが、もう一度、私の父と私、そして、私と私の息子、つまりイワン・ドミートリーに話を戻させていただきたいと思います。
 私が自分の職業を選んだのは、高校の時でしたが、父の影響を受けることはありませんでした。私は文学に熱中していましたが、父は文学に無関心でした。別にそのことで、亡くなった父を責めているわけではなく、父が天国でやすらかに眠っていますように祈っています。
 ただ、もっと親密な親子関係であったなら、機械工だった父にならって、ジャーナリストなどというふわふわ空でも飛んでいるような職業ではなく、もっと堅実な仕事を選んでいたかもしれません。
 しかし、父が私を地上に引きずり下ろすようなことは決してしなかったことを、ありがたく思っています。
 池田 じっと見守っておられたのですね。
 リハーノフ ええ。一方、私の息子はといえば、とくに仕事の話をしたわけでもありませんでしたが、私の生き様をじかに見て育ちました。私の友人が来るたびに、さまざまな問題や衝突が話題にのぼりますし、息子の耳にしぜんと入ります。私も息子に隠し立ては、一切しませんでした。
 ひょっとして、それがかえってあだになってしまったかもしれません。他の職業を知るチャンスを逃してしまったかもしれません。父親の影響が大きすぎたかもしれないとも思いますが、やはりあくまでも間接的な影響であって直接的なものではありません。
 ジャーナリストという、私と同じ職業を選んだ息子のイワンは、それとともに精神的重圧も受けなければなりませんでした。それに私が気づいたのは、かなり後のことですが。
 一応名の通った作家であり、発行部数二百万部の雑誌編集者である父親と同じ業界に足を踏み入れるのは、息子にとって決して生やさしいことではありません。そのなかで、独立した人格として生きぬいていかなくてはなりません。
 横やりもあったようですが、彼はこの業界に入るとまもなく、独立したジャーナリストとしての本領を発揮するようになりました。今は、父親の応援なしで自分でゼロから作った雑誌「ニャーニャ(子守り)」のオーナーでもあります。
 池田 しかし、現代のように自由が保障された社会で、そのような親子の連携プレーがなされているということは、すばらしいことです。
4  厳愛の余韻を伝える「父」の肖像
 リハーノフ ありがとうございます。
 あなたがおっしゃるように、父親が子どもにとって精神的権威であるという考察は、まったく正しいと思います。
 子どもが少年期に入るころは、とくに父親は、精神的に子どもを放っておいてはいけません。この時期は、すべての大人と――母親にせよ、教師やもちろん父親も――子どもとの間に目に見えない「溝」ができるものです。
 これは、厳格な声の響きや叱正、はねつけで乗り越えられるものではありません。かといって、おべっかや小遣い、うそでなんとかしようとしてもだめです。
 とにかく自分なりに、なにげない行動で真心と尊敬の気持ち、愛情を示していくことです。肝心なのは、心の奥深くから発した気持ちがこもっている、ということです。
 子どもに愛情を注ぐことが母親の本領発揮であるならば、父親は子どもとの間に一定の距離を保ちながら、正しい方向に導いて、社会で独り立ちできるようにしてあげることが役目でしょう。
 池田 それは、人類の長年にわたる文化であり、生活の知恵、常識というものでしょう。ところが、その文化や常識が根底から揺らいでいるのが現代です。
 一九九七年の日本の各紙の新年号――日本の新聞は、新年号でその年の最大の課題と予想されるものを取り上げるのを常としています――の多くが「家族」「家庭」の問題にスポットを当てておりました。
 おっしゃるとおり、「母性」は子どもを愛情でつつみ込んでいくのに対して、「父性」は、子どもと一定の距離を保ちながら、子どもたちを社会的に自立させ、進むべき正常な道をさし示していく働きがあると思います。
 「父性」というと、私の胸に鮮やかに思い浮かぶシーンがあります。
 リハーノフ それはどのようなものですか。
 池田 太平洋戦争末期、心ならずも、世界最大の戦艦「大和」に乗って出陣し、目的地・沖縄のはるか手前でアメリカ軍の爆弾と魚雷攻撃によって撃沈され、九死に一生を得て、奇跡的に生還した青年士官の「手記」です。
 「大和」の沖縄突入作戦は、絶望的な戦局下、燃料を片道分しかもたぬ無謀なもので、かの“カミカゼ”と同様の“水上特攻隊”でした。
 九分九厘、生還を望めぬ限界状況下での若い魂の模索――「手記」は、それ自体、誇張もなければ矮小化もなく、卓越した戦記文学をなしています。その末尾に慰労の休暇で実家に帰ったときのくだりがあります。さりげない描写ですが、当時の「父」「母」の像のもっとも良質の部分を巧まずして浮かび上がらせています。
 「途次、電報を打つ遺書すでに参上したれば、父上、母上、諦め居らるるやも知れず――喜びの心構えをしつらえ給え家に着く 父、淡々として『まあ一杯やれ』
  母、いそいそと心尽しの饗応に立働く ふと状差しに見出したる、わが電報――文字、形をなさぬまでに涙滲む かくもわが死を悲しみくるる人のありと、われは真に知りたるか その心の無私無欲なるを知りたるか 故にこそ生命の如何に尊く、些かの戦塵の誇りの、如何に浅ましきかを知りたるか」(吉田満『戦艦大和ノ最期』講談社。原文はカタカナ)
 日本古来の文語調――簡明にして格調の高いその行文の含意性が、翻訳を通してどこまで感じとっていただけるか危惧します。が、ともあれ、そこには、伝統的な家族制度のもとでの家族像――「父」があり「母」があり「子」があって成り立つ調和体の一つのあるべき姿が、美しい輪郭で描き出されております。
 そして、その調和体の軸をなしている「父」の肖像は、哀切と言ってよいほどの抑制された厳愛の余韻を伝えている。私は、電報ににじむ涙の幾条かは、必ずや「父」のものであったろうと、確信しております。
5  「威厳」と「自信」と「責任感」を
 リハーノフ 胸打たれる話ですね。
 このエピソードは多くを物語っていると思います。男はそう涙を流すものではありません。父親の涙は、周りには、ましてや息子には見えないものです。
 たしかに、男は日々の教育にはあまりかかわっていませんが、父親の存在そのものが子どもにとっては大きな意味を持っていると思います。
 フロイトは、母親をめぐって、息子は父親に嫉妬を抱いているという説を立てています。もしかしたらそういう感情が、もっとも「動物的」な形となって表れる場合もあるかもしれません。
 男の子は父への敵対心を経験します。しかしこの敵対心は、成長期にあって、支配するものを乗り越えて自分が一人前であることを見せたい、権威という土俵で父と一騎打ちをしたい、という願望からくるものだと思います。
 「支配者」打倒は必ずしもうまくいくわけではなく、むしろうまくいかないほうが多いものです。だからこそ私は、東洋には残っているが、西洋では不幸にもみずから壊してしまった古典的な家族制度を支持するのです。
 池田 なるほど。いきすぎた個人主義がもたらす弊害という側面であるならば、理解できます。
 リハーノフ 母親である女性からはいちばん大事なものを子どもは受け取りますが、それがすべてではありません。いざという時には、家庭の主導権は父親が握るべきだと思います。
 しかし、力だけに頼っていては、その役割は果たせません。威厳がなくてはなりません。自信がなくてはなりません。そして責任感がなくてはなりません。
 ひとたび口を開いたならば、最後まで言いきらなければならないのです。いったん事を始めたならば、自分の弱さに負けて、途中で放り出してしまうわけにはいかないのです。
 息子あるいは娘に応援の手を差しのべたならば、中途半端にはできません。ただ、その応援も適度なものでないと、過保護になってしまい、あるいは強制となって子どもにも嫌悪感を呼び起こしてしまいます。子どもを必要な地点まで導いて、あとは一人で進めと送りだしてやることが、どんなに大事なことでしょう!
 子どもの身に何か起こったとき、父親は悲しみ、嘆くでしょうか――などと聞くのは愚の骨頂です。ただし、それは目には見えない場合がありますし、目に見える場合もあるでしょう。またどうすることもできない状況を前にして、男親は深く苦しんでいるのだけれども、外には出さないこともあるでしょう。それこそ本当の父親というものです!
 池田 おっしゃるとおりです。子どもの人格の背骨をつくるのは、やはり父親の存在です。父親が弱々しくては、子どもがかわいそうです。
6  無関心は父親の責任放棄
 リハーノフ あなたの言われる父性の弱体化は本当だと思います。これはとりもなおさず、人間性の弱体化ではないでしょうか。ただ、それぞれの国の社会状況によって、その表れ方はさまざまかもしれません。
 ロシアでは、残念ながら父親は、家庭の状況が複雑になってくると、たとえば、子どもが不治の障害をもって生まれた場合など、そこから逃げようとする場合が見受けられます。
 子どもがガンになった場合、多くの父親は家庭を捨ててしまうのです。長い長いガンの治療をするのに、母親にとって男親こそ唯一頼れる柱となってくれるはずが、ある日突然、その柱が倒れてしまう――妻と病気の子どもを捨て、新しい家庭を作ってしまうのです。
 これは男として、父親としてあってはならない行為です。信じられない裏切りです。子どもが死ぬときにこのような父親が、はたして涙を流すでしょうか。
 池田 もし、そうだとすれば、“父親失格”以前に“人間失格”でしょう。
 ところで、霊長類の研究で名高い日本のある学者は、父親史、母親史というユニークな造語をしています(以下、河合雅雄「かつて『父』は家族の司令塔だった」、「BOSS」一九九七年二月号、三笠書房、参照)。そして、母親の歴史は哺乳類誕生とともに古く、二億年の歳月を数えている。しかし、父親が存在するようになったのは、人類の誕生をもって嚆矢(始まり)とし、たかだか五百万年の歴史でしかない。人類以外に父親が存在するのは、ゴリラなど、ごくわずかな類人猿にすぎないということです。
 リハーノフ 興味深い視点ですね。
 池田 その学者は「父親とは何か」という定義について、次の三条件を備えている必要があるとしています。
 それによると、
 ①自分の属している集団を防衛すること
 ②集団の生活を維持するための経済的活動をすること
 ③子どもの養育にあたること
 の三点ですが、現代の日本の父親は、この条件を満たしていると言えるでしょうか。
 二つ目の「経済的に支える」は、まず合格点以上。一つ目の「家庭を守る」は、やや怪しいけれど、ある程度はできている。しかし、三つ目の子どもの養育については、ほぼ形無しだと。
 私もまったく同感です。
 日本の男性は、「企業戦士」となって家庭をかえりみず働きに働いてきました。それが男の美徳とされた時代でした。しかし、それでは「父親合格」とは言えません。
 核家族化が進み、地域社会もバラバラになるなかで、母親は、「助けてくれる手」もなく、育児書を開いて子育てに挑戦しているのです。母親まかせや無関心は、父親の責任放棄です。
7  人生は理屈どおりにはいかない
 リハーノフ それでも池田さん。日本の男性は少なくとも、本物の企業戦士という誇るべき面をもっています。ところがロシアではどうでしょう。
 多くの男性たちは、とくに管理職がそうですが、何もせずに、働いているふりをしているのです。社会主義下の社会保障のおかげで、多くの人はプロ意識もなく、消極的な態度を決め込んで生きてこれたのです。
 社会が食べさせてくれたおかげで、うぬぼれは強いけれども、仕事となるとまったく不能者、という新しい男性のタイプが出現しました。
 そのような人間が家庭ではどうかというと、このような場合、父親は仕事ができるからではなく、環境への順応性が高いということで、かろうじて権威が保たれているのです。今でもそのような傾向性は残っていますが。
 池田 党官僚による独裁体制の網の目が、社会のすみずみにまで張りめぐらされてしまった結果、生みだされた病理ですね。
8  社会のあらゆる面から、創意と活力を奪ってしまう……。
 リハーノフ ええ。そのような父親は、遅かれ早かれ、職場ではなく、家庭で、子どもたちの前で権威が失墜することになり、そうなると、もはや元に戻すことはできません。子どもは、とくに親に対しては容赦ない評価を下すものです。
 では、どうしようもないような社会状況が生まれたらどうでしょうか。たとえば、ロシアでは失業は今やよくあることとなりました。職を失った父親は、家庭で何とか自分の評価を落とすまいとするでしょう。
 ロシアではつねに「酒」が不幸のもととなっています。アルコール中毒の父親は、権威などすべて失ってしまいますが、愛情は必ずしも失いません。失業していて、アル中で、運がなくて、という人間でも、不思議なことにロシアでは子どもにとても愛され、同情される場合があるのです。
 運のよさや出世、権威と、愛情とは必ずしも一致しません。イコールではないのです。
 たいへん権威があって、社会でも成功した父親でも愛されず、それどころかかえって憎まれる場合もあります。
 そもそも人生は、理屈どおりにはいかず、一貫しているのでもなく、数学的な法則にあてはまらないものだと、ことあるごとに感心させられます。人生というのは、本当にいろいろあるものです。
 池田 酒びたりの好色漢のように見えながら、魂の奥には、無垢な美質を秘めている――たとえば、ドミートリー・カラマーゾフのような人間群像を描きだしている点では、ロシア文学は、世界に冠絶しているでしょう。
9  夫婦の連携プレーが必要
 リハーノフ では、いわゆる健全な家庭で、親としての責任から逃れようとする父親の話に戻ることにしましょう。あなたのおっしゃるとおりで、こういった父親は、家族を養うためにまず稼がなくてはいけないという口実を口にするものの、じつはただ自分の弱さ、怠惰と無責任さを露呈してしまっているにすぎないのです。
 今、「責任感のある」親という用語が使われるようになりましたが、親というのは母と父からなるものですから、「責任感のない」父親という存在も、たとえ健全な家庭であっても十分ありうるでしょう。
 子どもには銀行と同じく、「資本投入」をしていかなくてはなりません。物理的にはそれは食べさせて、着るものを与えて、学ばせる、ということになります。しかし、いちばん大事なのは、そういった物理的な資本ではなく、精神的なものです。
 心を子どもに与えた分だけ、返ってきます。「おーい」と呼んだとおりに、こだまは返ってくるものです。この点においては、母親と父親は相互責任があります。父親が与える精神的なものは、母親のそれと調和していなくてはなりません。たがいの努力を相乗的に支えあわなければならないのです。
 子どもは私たちの未来、とよく言われます。しかし、それは正しくない言い方だと思います。私たちが子どもたちの未来なのです――つまり、子どもたちの未来を作るのです。
 子どもは親にとって現在です。未来が訪れたとき、初めて母と父とどちらが、あるいは両方、どれくらい偉大なる「人間銀行」に資本投入したかが明らかになるでしょう。
 池田 精神的な「資本投入」が成功するかどうかのカギは、親が精いっぱい生き、みずからの生き方に自信を持っているかにかかっています。
 私にも三人の息子がいましたが、短時間でもスキンシップをして話を聞いたり、海外の出張など長期間不在の場合は、それぞれに絵はがきを送るなどして、「心」を通わせる努力をしました。
 また足りない分は、妻が私の気持ちをくんでくれ、「どれだけ子どもたちのことを思っているか」を上手に話してくれました。そういう夫婦の連携プレーも必要でしょう。
 「忙しいから仕方ない」ではなく、時間を工夫し、母親と協力して子育てに力を入れていくことが大切です。秩序の混乱した不安の多い社会にあって、「自信」と「責任」を背負った父親の存在こそが、子どもの心に「秩序の柱」をつくっていくからです。
 リハーノフ すばらしいご指摘ですね。

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