Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第十一章 演劇的家庭論
「子供の世界」アリベルト・A・リハーノフ(池田大作全集第107巻)
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真の「演技」は人間性の輝きから
池田
心にしみ入るお話ですね、リハーノフさん。
私の申し上げた「演劇」、あるいは「演技」という言葉の含意を申し上げますと、それは人間性の発露から生じる行為――といった意味なのです。ですから、奥様のなされたことは、まことにすばらしく、感動的であり、豊かな人間性に満ちた行為です。
「演技」というと、どこか嘘っぽく本心を偽ることを、心ならずもやらなければならない擬制、といったニュアンスで受け取られがちな点は、日本でもロシアでも同じでしょう。しかし、私の言う「演技」は、人間の本然からの営為なのです。
ですから、表面上のこしらえごとを言ったのではありません。人間が本能に支配されることなく、自己をコントロールしゆく人間性、人間であることの証を体得していくための必須の行為であり、いわば人間性の勲章とでも言うべきものなのです。
私が、真の意味での「演技」が漂わせている「余裕や落ち着き、自己統御などの徳目」を指摘したゆえんであります。
たとえば、私どもの宗祖の生涯は、迫害に継ぐ迫害の連続でしたが、五十歳のとき、生涯最大の難である斬首刑に処せられようとします。
その時、不思議な出来事があって、結局、刑は取りやめになったのですが、その直後、宗祖は、何と捕吏たちに酒を振る舞っておられるのです。驚嘆すべき境涯の高さであり、「余裕や落ち着き、自己統御」のお手本のような振る舞いというしかありません。
私が、進退きわまった苦境に立たされたときの恩師の悠揚迫らざる態度に見て取ったものも、それに通ずるような人格の力であり、輝きでした。
すなわち、真の意味での「演技」とは、そうした卓越した人格の力のおのずからなる流露です。孔子が「徳孤ならず、必ず隣あり」(『論語』)と言っているように、それは、巧まずして人々を魅了してやまない振る舞いへと結実してくるものです。
宗祖のような宗教的巨人の振る舞いを、万人に要求することは無理かもしれません。しかし、通底するものは同じなはずです。
リハーノフ
さん。あなたの夫婦愛のエピソードからうかがえる、奥様の内なる闘いこそ、まさに人格の力であり、人間性の輝きです。奥様の苦渋の選択、その後の忍耐強い支えの背景に、「余裕や落ち着き、自己統御などの徳目」があったのです。人間性の奥深くから発する「迫真の演技」「真実の演技」と申し上げたいのです。
そうした意味から、私は、家庭生活に限らず人生そのものがドラマであり、人間は、本質的に劇的性格をもっている、と信じているのです。
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