Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第十一章 演劇的家庭論  

「子供の世界」アリベルト・A・リハーノフ(池田大作全集第107巻)

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2  「善の言葉」が堕落する時代
 池田 そうした「人類がもつ美しい資質」が、そのまま美しいもの、善なるものとして認められにくくなっています。そこに、現代の最大の問題があります。
 「現代は善の言葉が堕落している」と言ったのは、シモーヌ・ヴェイユです。その堕落は結局のところ、野放しのエゴイズムに由来します。
 人間である限り、エゴイズムを完全に捨て去ることはできないでしょう。しかし、むき出しのエゴイズムを悪であると自覚することは、人間的素養、教養、文化の必要条件です。
 その自覚を欠くと、たとえば自由や権利などという「善の言葉」も、あっという間に堕落の坂道をころげ落ちていってしまいます。
 人工受精は、否定できない面もありますが、ノーベル賞学者の「精子銀行」などは、あまりにも多くの問題があります。
 リハーノフ そうですね。同様の結末を引き出すものに、極端な政治思想があります。社会主義革命直後のわが国では、「共有化」の理想が家族のあり方にまでおよぶ勢いでした。
 とはいっても、当時のロシア社会は、しっかりした家庭観、道徳観をもっていました。ゆえに、この「共有化」の考えを全面的に拒否し、のちには過激な政治家たちもあきらめざるをえませんでした。しかし、いずれにしてもそのようなことがあったわけです。
 共産主義の下では、あらゆるものが共有化されるのだ――工場も、土地も、住宅も、財産も、そして女性も、というような、いかがわしい似非共産主義思想が蔓延したのです。あたかも、解放された女性たちよ、いつでもだれでも気の向くままに選べばよい、家庭? それよりも自由を大切にしたほうがいいのでは?――と言わんばかりでした。
 そういう極論を構えた女性たちと、彼女たちを支えた男性たちが数百人もいたでしょうか。その多くは知識階級崩れの人間たちでしたが、しばらくは革命の渦のなかで、全国民を誘惑すべくうごめいていました。
 しかし、彼らはその後、いずこへともなく消えてしまいました。
 不貞、離婚、その後に残される子ども、そして、その子の将来といった問題が深刻な今、家庭そのものの内部に多くの問題をかかえていることは、言うまでもないことですね。
3  家庭は劇場、家族は俳優
 池田 話を元に戻しますが、私は、社会が現在直面している危機的状況を打開する一つの方法として、演劇的家庭論というアイデアに着想してみたいのです。
 リハーノフ それは、どういうアイデアなのですか。
 池田 俳優が、ドラマのなかでそれぞれの役割を演じていくように、家庭という劇場で、父親役や母親役、一定の年齢に達したならば子役などの役柄を演じていくという発想です。
 現状を固定的にとらえるのではありません。名優がみずからの役柄を見事に演じきっているときの余裕や落ち着き、自己統御などの徳目を、家庭という劇場の俳優たちが備えているとするならば、家庭の雰囲気も、よほど変わっていくにちがいありません。
 仏法では「願兼於業」(願って業を兼ぬ)ということを説きます。自分がどんな悪業(恵まれない立場や境遇)を負って生まれても、宿業を転換して法を弘めるために、みずから願ってそのような姿で、今世に生を享けたのだという法理です。
 であるならば、「願兼於業」を自覚する人には、みずからの境遇に対する不満も恨みも慨嘆もありません。その人は、勇気をもって現状を肯定したうえで、未来へ力強い一歩を踏み出していくでありましょう。ゆえに、私どもの宗祖は、筆舌に尽くしがたい大難を受けられたとき、「本より存知の旨なり」と、悠然としてそれに対処していかれたのです。
 また、私の恩師も、軍国主義下の二年間の投獄生活の苦労を問われたとき、「願ってもない、えらい目に遭いました」と、いかにも恩師らしく、豪放磊落に語っておられました。
 まさに名優の面影が彷彿としております。人生観の根幹にかかわることですから簡単にはいきませんが、こうした余裕や落ち着き、自己統御、あるいはある種のユーモアのセンスのようなものをもとうと、おたがいが努力をすることです。
 親であれ、子どもであれ、いずれも一個の人格であり、人間として平等の存在です。家族という同じ舞台の上で劇を演じている一人一人は、ともどもに家庭創造のドラマを支えているという意味においても平等なのです。
 役者が協力しあわなければ、どんな舞台も失敗に終わります。おのおのが、その役回りを賢明に演じ、責任を果たさなければ、成功は望めない。
 また、劇にハプニングはつきものです。その場合でも、皆で団結して乗り越えていく。家庭も、これと同じではないでしょうか。
 もう五十年近くも前です。恩師の事業が行き詰まり、進退きわまった一夜、私は恩師のお宅にうかがいました。
 奥様も心配されていたのでしょう。若い私を、なにくれと、もてなしてくださる立ち居振る舞いの端々にも、深い苦悩と心労が、ありありと浮かんでいました。ご長男も、まだ小さかった。
 しかし恩師は、奥様に「仕事のことは、心配するな」と、一言。そして、「大作、将棋盤だ!一局、やろう!」と将棋盤を用意された。すでに夜半を過ぎていましたが、恩師は、まるで子どものようにはしゃぎながら、将棋の駒を並べ始めたのです。
 今思えば、これもご自身の楽しみからというより、むしろ沈みがちな家庭の気分を引き立てる意味あいがあったのではないかと思えるのです。
 「一家の長」といえば古めかしい言い方ですが、苦境のさなかにも泰然自若と振る舞うことで、父親としての大きさ、存在感を示されたのではないか。恩師は、父親として、夫としての一幕の劇を、みごとに演じられたと思えてならないのです。
 ある意味で、「家庭は劇場」であり、「家族は、その劇場の俳優」と言える。大事なことは、各人がそれぞれに“よりいい演技を”と心がけていくときに、家庭はもっと豊かで、もっとはつらつとしたものになるのではないでしょうか。
4  波瀾万丈の家庭ドラマを経験して
 リハーノフ ある部分ではあなたは正しいと思いますが、ある部分では、私はあなたに論争を挑みたいと思います。(笑い)
 池田 いいですね。どうぞ、どうぞ(笑い)。七年前に、当時のゴルバチョフ・ソ連大統領とクレムリンでお会いしたさい、私は冒頭に「ケンカしましょう」と。大いに議論しましょう、ということを、ユーモアこめて申し上げました。(笑い)
 建設的な議論からは、必ず“何か”が生まれます。ソクラテスの対話(ダイアレクティック)が、いみじくも“産婆術”と呼ばれていたように――。
 リハーノフ 家庭生活を劇を演ずるかのようにとらえることは、私にはとうていできません。むしろそれは、永遠の波瀾万丈なのではないでしょうか。
 夫も、妻も、そして子どもも、社会にあってつねに複雑な個々の状況に立たされていきます。大人たちは職場や知人たちの間で、子どもたちは学校で――それぞれが家庭の外で遭遇するドラマは、やがて家族全員が関知するところとなります。
 家族の絆が深く、強い土台の上に築かれている場合には、妻や、夫や、子ども、だれか一人が家庭の外でぶつかった問題を乗り越えるために、家族が支えとなることもあります。しかし、そのような外的な問題や環境が、家庭を変貌させ脇へ押しやり、壊してしまう場合も少なくありません。
 私の家庭のドラマをお話ししましょう。私は、三十九歳のとき、病気をしました。なかなかはっきりした診断が出ずに、しばらく入院をしたままでした。ついに診断が下り、手術が必要とのことでした。
 私は手術を受けました。担当の医師は有名な外科医で、私の手術の執刀をする前日に科学アカデミーの会員に選ばれたところでした。そういうわけで、私は彼の「アカデミー患者」第一号になったのですが。
 手術は成功し、退院し、一年が過ぎ、三年、十五年が経ちました。私は病気になる前よりもっと仕事をし、主な著作を書き上げ、作家として認められるようになり、そして児童基金を設立しました。
 そんなある日、ある会合で、あの時の外科医にばったり出会いました。今は老碩学になっていました。別れ際にクロークのところで、彼は私にこう尋ねました。
 「あれから何年経ったかね?」私が答えると、彼は言いました。
 「君の病気、何だったか知ってる?」
 私がちょっと当惑しながら、当時、知らされていた病名を言うと、「いや、それは違うよ。あれは、ガンだったんだよ」と、彼は声高に笑いました。
 私は、何かで頭を強く叩かれたようでした。気が動転した私は、あいさつをすませ、外に出ると一目散に家に向かいました。
 家に着くなり、私は、妻のリリヤを呼び、外科医と会ったことを話し、今度は彼女に尋ねてみました。
 「君は知っていたのかい?」
 「もちろん」
 なぜ私に知らせなかったのかは、問うまでもないことでした。
5  家族の勇気と愛情に感謝
 池田 ガンの告知の問題は、非常にデリケートな問題で、わが国でも議論が繰り返されております。私も、ケース・バイ・ケースで対処すべきであって、是非の間に明確な一線を引くことはできないと思います。それはともかく、奥様の苦悩は察するにあまりあります。
 リハーノフ 言うまでもなく、腫瘍は再発の恐ろしさで知られています。私はある一定の周期で、再発の可能性にさらされていたわけです。一年後、三年後、そして五年後、と。
 その時、もし私が愛する妻の立場にあったらどうだっただろうか、と考えました。彼女はどれほどの苦しみを秘めて耐えてきたことか、ずっと緊張の連続だったにちがいないことを知ったのです。
 彼女は言いました。選択をしなければならなかった、と。私の健康のために周りに囲いをめぐらせ、仕事からも遠ざけたほうがよいのか、それとも、以前と同様に、私がやりたいことを全部やらせておくべきなのか。彼女の選択は後者でした。
 そこで、もしだれかが、彼女は家庭という場で上手に役を演じただけだと教えてくれたとしたら、私はおそらく愕然とし、同時に笑ってしまうでしょう。いかに昔、彼女がテレビのアナウンサーと演出の仕事をしていたといってもです。
 いいえ、あれは演技ではありません。苦難への挑戦です。それも、もっとも近しい人間に打ち明けられず、苦しさを分かちあうわけにはいかない。家族と医師との秘密である以上、ほかのだれにも助けを求めることもできない。そうしたなかでの絶え間ない葛藤との闘いだったことでしょう。
 ですから、妻は、何年も経ったのちとはいえ、私に真実を暴露してしまった、かの碩学の外科医にいちばん腹を立てていました。もしも私が、真実をもっと早い時期に知らされたとしたら、私がどう受けとめるか、だれも保証できない。くじけてしまうかもしれないことを、妻は了解していたのだと思います……。
 したがって、敬愛する池田さん、どうか悪く思わないでください。でも、夫と妻が演技をできるのは、とても限られた場面だけなのではないでしょうか。
 たとえば、二人の意見が合わない、でも、ささいなことでケンカをするのは賢明ではないと判断して、おたがいが角を立てずに折り合いをつけるといった場合には、当てはまると思います。
 でも、家族が困難に本気で立ち向かわなければならない状況に立たされたとき、同苦と愛情と支えを必要とするときにまで演技が持ち込まれたとしたら、悲しいことではないでしょうか。
 わが家では、先ほど述べた真実が明るみに出て以来、何事につけ、私は妻の勇気と力と慈しみの心に崇拝の念を抱き続けています。
6  真の「演技」は人間性の輝きから
 池田 心にしみ入るお話ですね、リハーノフさん。
 私の申し上げた「演劇」、あるいは「演技」という言葉の含意を申し上げますと、それは人間性の発露から生じる行為――といった意味なのです。ですから、奥様のなされたことは、まことにすばらしく、感動的であり、豊かな人間性に満ちた行為です。
 「演技」というと、どこか嘘っぽく本心を偽ることを、心ならずもやらなければならない擬制、といったニュアンスで受け取られがちな点は、日本でもロシアでも同じでしょう。しかし、私の言う「演技」は、人間の本然からの営為なのです。
 ですから、表面上のこしらえごとを言ったのではありません。人間が本能に支配されることなく、自己をコントロールしゆく人間性、人間であることの証を体得していくための必須の行為であり、いわば人間性の勲章とでも言うべきものなのです。
 私が、真の意味での「演技」が漂わせている「余裕や落ち着き、自己統御などの徳目」を指摘したゆえんであります。
 たとえば、私どもの宗祖の生涯は、迫害に継ぐ迫害の連続でしたが、五十歳のとき、生涯最大の難である斬首刑に処せられようとします。
 その時、不思議な出来事があって、結局、刑は取りやめになったのですが、その直後、宗祖は、何と捕吏たちに酒を振る舞っておられるのです。驚嘆すべき境涯の高さであり、「余裕や落ち着き、自己統御」のお手本のような振る舞いというしかありません。
 私が、進退きわまった苦境に立たされたときの恩師の悠揚迫らざる態度に見て取ったものも、それに通ずるような人格の力であり、輝きでした。
 すなわち、真の意味での「演技」とは、そうした卓越した人格の力のおのずからなる流露です。孔子が「徳孤ならず、必ず隣あり」(『論語』)と言っているように、それは、巧まずして人々を魅了してやまない振る舞いへと結実してくるものです。
 宗祖のような宗教的巨人の振る舞いを、万人に要求することは無理かもしれません。しかし、通底するものは同じなはずです。
 リハーノフ さん。あなたの夫婦愛のエピソードからうかがえる、奥様の内なる闘いこそ、まさに人格の力であり、人間性の輝きです。奥様の苦渋の選択、その後の忍耐強い支えの背景に、「余裕や落ち着き、自己統御などの徳目」があったのです。人間性の奥深くから発する「迫真の演技」「真実の演技」と申し上げたいのです。
 そうした意味から、私は、家庭生活に限らず人生そのものがドラマであり、人間は、本質的に劇的性格をもっている、と信じているのです。

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