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日蓮大聖人・池田大作

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第八章 傷ついた心を癒す“励ましの社会…  

「子供の世界」アリベルト・A・リハーノフ(池田大作全集第107巻)

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5  苦しんだ人こそ、幸福になる権利がある
 リハーノフ そのとおりです。さらには、じつの娘への暴行――これはもう法精神医学の範疇です。この問題は、社会ではよく知られておらず、むしろこのような問題を恥として、耳を塞ごうとします。
 アメリカ人は、このような状況の打開策として、法廷の判断と、リハビリテーション(社会復帰療法)を組み合わせることに成功しているようです。裁判所は、該当の少女(または少年)を家族から引き離し、特別のリハビリセンターで回復訓練を行います。その後、あらためて裁判所の決定を受ける形で、通常、その子どもの苗字を変更して、重責に堪えうると判断されて選ばれた、新しい家庭に引き取ってもらうというものです。
 このような、有無を言わせぬプラグマティズム(実用主義)は、アメリカ人社会では十分、受け入れられるのでしょう。しかし、ロシアの伝統的な精神風土に照らしてみると、過去に、わが国で新しい教育法をいくつも試みたときがそうであったように、この米国式のアプローチ(取り組み方)も、ロシアに取り入れるとなると、どこかではきちがえられ、ゆがめられてしまい、純粋にロシア風の解釈がされかねません。
 池田 「ロシアふうの解釈」とは、どのような解釈ですか?
 リハーノフ それは、善意の思いつきも悪意にまみれてしまい、まったく逆の結果となるということです。善意で子どもの過去を隠そうとすればするほど、それだけ悪意のマスコミによって、恰好のスキャンダルネタとなってしまうのです。
 だからといって、手をこまぬいているわけにはいきません。現在のロシア政府が、このようなリハビリテーションを行える制度をつくるための資金を捻出することは、簡単とは思えませんが。
 ただ、何か行動を起こさねばと思うと心が痛みます。そして、わが愛するロシアが、いつまでも思索と助言に明け暮れているのにも疲れてしまったのです。第一、社会も政府も、だれもそういう言葉に真摯に耳をかたむけてはいないのですから。
 他の国々では、どういう状況なのでしょうか。日本はどうですか。こういう環境に置かれてしまった子どもを救うには、どんな方法があるとお考えですか?
 池田 事件が起きないようにすることが先決ですが、起きてしまった場合、やはり、対症療法と根本療法の両面から考えていかなければならないと思います。
 対症療法に関して言えば、日本は遅れており、ようやく緒についたばかりといっても過言ではありません。カウンセリング、リハビリテーション、すべてに知恵と経験を持ちあい、学びあっていくべきでしょう。
 それと同時に、私は、仏法者として、どうしても根本療法のほうに目を向けざるをえません。それは、傷を受け、罪悪感に苦しんでいる人を、どこまでも温かくつつみ、励ましていける社会でなければならない、ということです。
 「もっとも苦しんでいる人、もっとも悩んでいる人こそ、もっとも幸福になる権利がある」というのが、仏教の根本精神です。仏教に限らず、そこにスポットを当てていくのが、宗教の生命線ではないでしょうか。
 私どもの信奉する日蓮大聖人は、こう述べています。
 「今、法華経というのは一切衆生を仏にする秘術がある御経である。いわゆる地獄界の一人、餓鬼界の一人、ないし九界の中の一人を仏にすることによって、一切衆生が皆、仏になることができるという道理が現れたのである。譬えば、竹の節を一つ破れば、他の節もそれにしたがって破れるようなものである」(御書一〇四六㌻、通解)と。
 「地獄界の一人」「餓鬼界の一人」とは、もっとも苦しみ、悩んでいる人々です。その「一人」にスポットを当て、救済していくところに、一切の人々の救済の可能性が開かれる、としているのです。
 事実、創価学会は、草創以来、「貧乏人と病人の集まり」などと、傲り高ぶる人から蔑視されてきました。しかし、私どもの宗祖ご自身が、「日蓮今生には貧窮下賤の者と生れ旃陀羅せんだらが家より出たり」と、高貴な出自でないことを、むしろ誉れとしてきたのです。
 私どもは、その精神にのっとって、徹して無名の庶民の側に立ち、胸を張って戦ってきました。その“汗”と“涙”の集積が、今日の創価学会の揺るぎない礎となっているのです。
 私が、なぜ「母と子を救う」ことに、政治の本質を見たのかも、ご理解いただけると思います。このような思いやりに満ちた社会と文化こそ、傷ついた心、悩み苦しむ魂にとって、このうえない“癒しの水”となり、“励ましの風”になっていくと思います。

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