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日蓮大聖人・池田大作

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第三章 教育と文化の花開かせる“祈り”…  

「子供の世界」アリベルト・A・リハーノフ(池田大作全集第107巻)

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2  子どもたちへの日本の伝統の影響は?
 リハーノフ わずかでも日本の民族的伝統を知ってみると、また一度でも石庭にたたずんでみると、ふと次のような問いかけをしてみたくなります。
 日本という伝統を重んずる民族文化のなかで、子どもたちはどのように育っていくのだろうか、伝統は子どもの創造性にどう影響しているのだろうか、と。伝統は、子どもの創造性を萎縮させてしまわないか、それとも反対に子どもの創造性をユニークな形で膨らませてくれるのだろうか、と。
 美しく賢明に生きる日本人の大人の世界が、どのように子どもの創造性、子どもの世界に影響しているとあなたはお考えですか。年長者を敬い、礼儀作法を尊ぶ日本的なものが、子どもの心と行動にどのように発現してくるのでしょうか。
 これは、固有の民族的習慣、伝統をかなりの部分で喪失してしまった私たちロシア人にとって、より広くはロシア語圏に住む人々にとって、重大な関心事でもあるのです。
 池田 リハーノフさんに限らず、ロシアの友人と対話していて、いつも面映ゆく感ずるのですが、現代の日本に、民族文化の伝統的美質が、正当に受け継がれているとは言えないのです。
 たしかに、ボルシェビキがロシア正教を弾圧し、教会を徹底的に破壊したような野蛮な形ではありませんでしたが、明治維新にしても、第二次世界大戦後の民主改革にしても、伝統をふまえた上での内的必然性に突き動かされた変革とは言えません。
 ペリーの砲艦外交といい、マッカーサー率いる進駐軍といい、変革の主因は、いずれも外圧でした。
 外圧によるものである限り、無理が生じ、伝統文化との何らかの断絶がもたらされざるをえません。ゆえに、明治の文豪・夏目漱石は、明治維新の変革を「外発的開化」と呼び、断絶に苦しみぬいたのです。
 リハーノフ とはいっても、日本人はたいへん礼儀正しい国民で、歳事を大切にすることで知られています。
 この歳事は、日本では文化的、精神的現象とすらなっているようです。都市化現象で、必ずしも以前のとおりではないにしても、日本の人々は清潔好きです。
 また、幼稚園から始まって、学校、大学の中で、そして政治その他のあらゆる場面で、さまざまな式典が行われていますね。そのようなセレモニーに準備の時間とお金を費やすことを、日本人は少しももったいないとは考えないようです。
 ロシアではこのような行事や式典は軽視され、より日常的、実利的なことが先行されています。ところが日本では、すべてが世代から世代へと、大人から子どもたちへと受け継がれていっているように見えました。
 池田 温かいご理解に感謝いたします。ただ、近年の日本の祝日の決め方など、すべてが伝統をふまえているとは言えません。
 「文化の日」「体育の日」等々、伝統や折節のリズム感など関係ないのです。式典に関して言えば、“ハレ”(正式)と“ケ”(日常)のリズムを欲する人間の本然的な欲求に根ざすものでしょう。
 もっとも、四季の折々のなかで、生活にリズム感をあたえている歳事、たとえばお正月のための餅つきや、女の子の成長を祝う三月の雛祭り、五月の男の子の成長を喜ぶ節句など、好ましいものもあります。
3  子どもたちの瞳の輝きに無限の希望が
 リハーノフ 一方、日本は、一般的にそのような伝統的、民族的なものの枠外に位置づけられる技術の分野でも、先端を行く国として、別の側面をもっています。
 みごとな自動車、テレビ、オーディオ、バイク、コンピューター、エレクトロニクス――この強力な技術の創造物が、社会全体にどのように影響しているのでしょうか。
 それが本来の日本的伝統や習慣を脇へ押しやってしまうようなことはありませんか。それとも、逆に、たとえば厳格なしつけといった伝統があるからこそ、驚くべき技術生産が可能となっていると理解すべきなのでしょうか。
 いずれの場合にしても、伝統と技術は対抗しあっているのですか、それとも対抗関係にはないのですか。そしてそれは、子どもの世界にどのように投影されていますか。
 好むと好まざるとによらず、幼児はかなり早い時期から、社会のいたるところに浸透している技術的創造物の影響のなかに生きていくと思われます。テレビに代表されるような技術性が、冒険とファンタジー、想像力をかき立てる良書との出あいなどを特徴とする幼年期の本来の姿と、どのように融合しているのか考えるべきでしょう。
 池田 おっしゃるとおりです。テレビやテクノロジーのことは、日本でも大きな問題です。
 ただ重要であるがゆえに、じっくり論じる意味でも、次章に大きなテーマとして取り上げたいと思うのですが、よろしいでしょうか。
 リハーノフ おっしゃることはよくわかります。そうしましょう。
 池田 先に「差別なき心」と申し上げたように、「“少年と少女の国”は、国境も偏見もない王国である」――私も、あなたとまったく同じ実感をいだいております。
 私はこの三十七年間で、五十四カ国を旅してきました。その折々に、さまざまな国の子どもたちと出会ってきました。
 子どもたちの瞳の輝きには、民族や境遇を超えた、ある共通のものを感じます。瞳の奥に宿る無限の希望、とでも言えばいいのでしょうか。こうした実感は、決して私だけのものではないはずです。
 印象深かったのは、一九九五年、訪問したネパールでの「出会い」でした。
 ヒマラヤを撮るために、宵やみ迫るカトマンズ市郊外の丘にのぼったときのことです。
 村の子どもたちが、遠巻きに私を見ていました。手まねきすると、私の元にやってきます。夕陽に照らされて、ほんのり赤く染まったヒマラヤの峰々が、私たちを見つめていました。
 私は励まさずにいられなかった。
 「仏陀は、偉大なヒマラヤを見て育ったんです。あの山々のような人間になろうと頑張ったのです」「みなさんも同じです。すごい所に住んでいるのです。必ず、偉い人になれるんです」と。
 リハーノフ そのほほえましいシーンが、目に浮かぶようですね。
 池田 子らの身なりは貧しかった。しかし、瞳はきらきらと、まばゆいほど光っていました。
 おっしゃるとおり、幼年期の心のカンバスに、差別や偏見という色はありません。そのカンバスに、泥を塗りつけるのか、色彩豊かな人間性のハーモニーを描いていけるのか――大人の責任は重大です。
 だからこそ私は、大人に対する以上に真剣に、子どものなかの「大人」に語りかけるように接するよう、自分に課してきました。
 リハーノフ 子どもというのは、うそを敏感に感じとり、
 とくに大人が子どもに話すときに大人が子どもっぽいしぐさで話しかけるのをきらうものです。
4  教育の理想を失えば社会は闇
 池田 たしかに、あなたは、「幼年期こそがもっとも国際性豊かな世界なのかもしれない」とおっしゃいました。それにつけても私は、大教育者でもあったトルストイの言葉が思い出されてならないのです。
 「子供はわれわれよりも、またすべての教師よりも真・善・美に近い。子供を教えるということはむしろ僣越である。われわれこそ子供より学ぶべき多くのものをもっている」(『国民教育論』〈『世界教育宝典』昇曙夢訳、玉川大学出版部〉の「訳者解説」から)
 世界の大人たちは、今こそ、子どもたちから学ぶという眼をもつべきではないでしょうか。
 ただ、こうした子どもを全人格的存在として尊重していくトルストイ流の、あるいはルソー流の理想主義的な児童観、教育観をそのまま実践していくことが、口で言うほど容易なことでないことは、前章でも一言ふれたとおりです。
 歴史を振り返ってみても、性善説的な人間観に基づく世直しの運動は、たとえば「空想的社会主義者」ロバート・オーウェンの“ニュー・ハーモニー運動”や、トルストイ主義の強い影響下にあったわが国の「白樺派」が興した“新しい村”などに見られるように、失敗とまではいかないまでも、予期したものとはほど遠い成果しか得られなかったと言ってよい。
 現在でも、トルストイやルソーの児童観、教育観を、そのままのかたちで復興しうると考えている人は、教育現場の手のつけられない荒廃を知る人であればあるほど、一人もいないのではないでしょうか。
 その荒涼たる精神世界の冬景色には、素朴な楽観主義の介在する余地など、とうていありそうにありません。しかし、だからこそ、子どもたちの理想的な環境を思い描き、働く人々が必要なのでしょう。
 リハーノフ たいへん残念なことに、国をあげて、この問題に心を痛めているようなところはほとんどありません。
 あなたがおっしゃるように、学校が徐々に、しかし確実に荒廃してきており、教師と生徒の関係がむしばまれてきています。それはやがて、子どもが大人の世界を拒絶するという、破局に行き着きかねません。
 トルストイやルソーの理論は理想的すぎると言う人がいるかもしれません。しかし、それらを忘れてしまえば、親も教師も、そして社会全体としても、多くのものを失うことになるでしょう。
5  成長を見守る「子やらい」の伝統
 池田 子どもを全人格的存在として尊重し、それにふさわしい成長をうながしていくには、それなりの文化的背景が必要のようです。
 文化とは生き方の様式ですから、独自の文化に基づく価値観、風俗・習慣のなかに、青少年の健全なる育成のプロセス(過程)がきちんと様式化されていてこそ、子どもの全人格的な成長も可能となります。
 その点、日本の封建時代というものが、一つの興味深い事例を提示していることは事実です。
 一例を挙げれば、十六世紀の末の天正十年(一五八二年)、日本の九州のキリシタン大名が、イエズス会の宣教師にすすめられ、ローマ教皇のもとに四名の少年使節を派遣したことがあります。
 彼らは、八年あまりにわたって親善使節の大役を果たしてきましたが、いずれも出発時には十四、五歳の少年であったにもかかわらず、その振る舞いは武士の息子としての襟度をいささかも乱すことなく、臆することなく堂々としていました。
 異なる文明に対しては、いささか辛口な評をものする当地の人々も、少年たちの人柄や振る舞いに関しては「才智がある。高尚である。答弁は賢明である。礼儀が正しい」などと、異口同音にほめていた、と言われます。
 このような史実が、あなたのおっしゃる「年長者を敬い、礼儀作法を尊ぶ日本的なもの」「固有の民族的習慣、伝統」に根ざしたものであることは確かです。
 そして、その伝統的な美質は、明治の“開国”に前後して日本にやってきた多くの欧米の人々に、鮮烈な印象をあたえたようです。彼らは一様に、その印象を「文明」(civilised)と表現しています。
 リハーノフ その感触は、とてもよく理解できるような気がします。
 池田 ここでも、代表的なものを一つだけ挙げれば、伝統的な美質が濃密に残っていた明治初期に来日した、アメリカの動物学者E・S・モースは、日本が「子ども達の天国だ」として、次のように語っております。
 「この国の子供達は親切に取扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子供達よりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少く、気持のよい
 経験の、より多くの変化を持っている。(中略)日本の子供が受ける恩恵と特典とから考えると、彼等は如何にも甘やかされて増長して了いそうであるが、而も世界中で両親を敬愛し老年者を尊敬すること日本の子供に如くものはない」(『日本その日その日』1、石川欣一訳、平凡社)
 近代化以前の日本には「子やらい」というよき習慣がありました。「子やらい」とは、子どもを前に出し、後ろから押していくという意味です。
 そこには、子どもを「一個の人格」と認め、共同体の大人全員が、その成長を温かく見守るという、みずみずしい精神が脈打っていました。
 モースらを瞠目させた日本の子どもたちの立ち居振る舞いは、そうした伝統的美風のなかでつちかわれていったものでしょう。
 リハーノフ 「子ども」という時代を、年齢というものさしではかるのではなく、民族、モラル(道徳性)といったところから見ており、教育と文化がみごとに調和した一例ですね。
 子どもを後ろから押していくという伝統は、偉大な民衆の知恵だと思います。すばらしい庶民の教育学です。
 池田 残念ながらその美風も、最近では“今は昔”の語り草になりつつあると言っても過言ではありません。
 欧米流の個人主義の流入は、そうした伝統的な美風、「忠」や「孝」を軸とする文化のかたちや様式の根底を揺さぶり、古いものとして片隅に押しやってしまいました。それは、ある意味では抗しがたい時代の流れでもあったのですが、だからといって、キリスト教と不可分に結びついている欧米流の個人主義が、宗教的伝統を異にする日本に、そう簡単に移入できるはずはありません。
 リハーノフ その問題は、いわゆる市民社会というものを経験してこなかったロシアにとっても、決して他人事ではありません。
 池田 いじめや暴力、不登校といった現代日本の社会や教育の混乱のほとんどは、伝統文化のかたちや様式が崩れ去り、なおかつそれに代わりうる秩序感覚の形成も手つかずの状態にある、過渡期の混沌に由来しております。
 天正遣欧使節の少年たちとはまったく対照的に、毎年おびただしく海外へと繰り出していく日本の若者たち――もちろん、若者に限りませんが――のかんばしからぬ行状、風聞の数々は、経済優先・文化不在という現代日本の混沌、混迷の悲しき写し絵なのです。
 リハーノフ ソビエト政権時代のわが国はどうかといえば、政治優先と真の文化の不在でした。
 今は、経済も政治も文化も不在の状態です。まさに、本当の混沌です。
6  人間教育の基本に「祈り」の復権を
 池田 では、どうすればよいのでしょうか。古きよき時代に帰れ、といくら呼号しても、叶わぬ夢でしょう。また、そうした復古主義が、さして生産的とも思えません。
 唐突に聞こえるかもしれませんが、私は、ここでは「祈り」ということを、文化のかたち、様式の根底に復権させることから始めてはどうか、と提案したいと思います。
 「祈る」ということは、言葉以前の、またあらゆる価値観の相違を超えた、人間であることの原初的な行為のかたちであり、美しさではないか、と信ずるからです。
 ちなみに、総裁は日本語の漢字についてふれられましたが、「躾」という漢字は“身体”の“美しさ”、つまり、行為のかたちを意味しています。
 そして、現代は、何よりも「祈り」を忘れた時代であり、そこから、現代人の迷妄、傲慢さや思い上がりも生じているようにも思います。
 リハーノフ 社会主義が失敗したいちばんの原因も、その傲慢さ、思い上がりにあると思います。
 池田 自分が、すべてを思いどおりになしうるのではなく、有限な自己を超え、自己をつつみ、生かしめている“永遠なるもの”“大いなるもの”への感謝、そして敬虔なる「祈り」こそ、古来、人間を人間たらしめ、文化を文化たらしめてきた基調音と言ってよい。
 身近に例をとれば、あなたの作品『けわしい坂』で、戦争中、赤貧洗うがごとき生活に追いうちをかけるように、泥棒に家じゅうを荒らされたとき、主人公の少年に「おばあちゃん」が語るすばらしいセリフがあります。
 「背広はまたかせげばいいんだよ!」
 「肝心なことは、(=父さんが)生きていてくれること。背広はまたつくればいいんだよ。一着だって二着だってつくれるよ。たいしたことじゃないじゃないか。そのならず者たちは、ひどい目に会うがいい。神さまがこらしめてくださるよ。神さまは、なんでも見ておいでだよ!」(島原落穂訳、童心社)リハーノフ『けわしい坂』は、子どもの生きていく人生の道に、どんなけわしい坂があるか、そのけわしい坂を乗り越えようとして、自分の弱点を乗り越えることを覚える。それがどんなに大切なことかを描いたものです。その中で、「おばあちゃん」は「父さん」とならんで、重要なキャスト(登場人物)を構成しています。
 池田 まさに「祈り」を背景にしなければ、ありえない言葉です。トルストイの理想主義、透徹した児童観、教育観も、人間を人間たらしめる祈りを根底にした宗教的信念に裏打ちされていたにちがいないと思うのですが、どうお考えですか。
 リハーノフ ご存じのとおりトルストイは晩年、教会から破門されていますが、彼は、本当の信仰者であったと思います。トルストイの偉大なる著作やエネルギッシュな教育活動は、本質的に見て彼が子どものころからやめることのなかった人間のためのたゆまぬ祈り、そのものであったと言えるでしょう。
 アナーキスト(無政府主義者)を除いたあらゆる派閥のロシア・インテリゲンチアにとって、トルストイは世代を超えて、到達不可能な頂でありました。
 この偉大なる賢人は、文学工場とも呼べるほどの仕事ぶりで、九十巻もの本を著しています。
 それはどれも、人間の心に宿る“神”を求めて苦しみぬいた祈りであり、人間そのもの、人間の心、人間の行動、愛情、清らかさ、それらすべてを含めた祈りなのです。
 池田 よくわかります。フランスの作家シャルル・ペギーの「教育の危機は、教育の危機ではなく、生命の危機なのだ」という言葉を想い起こすならば、「祈り」こそ、広く人間教育という営みの基本のところに据えられるべきであり、そこに、民族固有の文化の差異を止揚した人類文化、地球文明構築への第一歩が開けていくと思うのです。

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