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日蓮大聖人・池田大作

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第一章 幼年時代、それはまえぶれではな…  

「子供の世界」アリベルト・A・リハーノフ(池田大作全集第107巻)

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9  子どもになることは巨人になること
 リハーノフ あなたとキルギス共和国の著名な作家チンギス・アイトマートフ氏との対談(『大いなる魂の詩』。本全集第15巻収録)を、興味深く読ませていただきました。
 その中で、アイトマートフ氏が、みずからの手になる『ソ連諸民族民話集』の序文を援用している個所がありましたね。氏は、ヤヌシュ・コルチャックの『私がふたたび子どもになる時』に言及しながら語っています。
 「子どもになるということは巨人になることです。私はふざけているのではありません。恐ろしい自然現象を屈服させることができるのはまさに子どもなのです。子どもは、だれかを不幸から救いだすためならば、どんな自然の猛威とも、胆力・品性あわせもつ中世の騎士よろしく戦う覚悟をもっています。そして子どもは未知とも戦います。そしてつねに勝利します。どうしてでしょう?なぜならば、ここでもふたたび、自分のためではなく、虐げられ、辱められている者たちの幸せのために戦うからです」と。
 アイトマートフ氏は、いくぶん含みをもたせて語っていますが、「子ども的なるもの」こそ、まさに「巨人」のように、人々の通念や常識を打ち破って、創造的な仕事をなしていく母胎と言えないでしょうか。
 池田 事実、科学の分野であれ、芸術の分野であれ、創造的な仕事をした人は、ほとんど例外なく、いくら年をとっても「子ども的なるもの」、みずみずしい感受性を、じつに豊かに保ち続けています。
 そのような創造性をつちかう場である教育の世界が、おしなべて、先進国であればあるほど深刻な病状を呈しているということを、大きな文明論的な課題として、重く受けとめていかなければならないと思います。
 リハーノフ そのとおりです。私たちはこの対談で、ぜひとも、その共通の課題について論じ、解決の方途を見いだしていきたいのです。
 池田 二十世紀とは、十九世紀末に幾人かの先哲が警鐘を鳴らしていた近代文明の歪みが、現実の問題として危機的様相を露にしてきた時代と言えると思います。
 ですから、巷間二十世紀の三大発見――じつは再発見だと思いますが――の一つに、「未開」「無意識」とならんで「子ども」の発見が挙げられているのも、私は、十分にうなずけるのです。
 リハーノフ まったく同感です。この章のタイトルに、池田会長に無断で(笑い)、「幼年時代、それは人生のまえぶれではなく、人生そのものだ」と銘打たせていただいた思いと、まったく符合しています。
 池田 「無断」どころか、さすが「先見」(笑い)です。
 「未開」に対するに「文明」、「無意識」に対するに「意識」、「子ども」に対するに「大人」の絶対的優位のもとにひた走り、今日の危機的様相を呈してしまっているのが、ヨーロッパ主導の近代文明の偽らざる現状であるからです。
 私が「創価教育」に託している夢は、仏教の“縁起観”を背景に、牧口会長の教育学説に源を発する「全体人間」を復活させ、袋小路に入り込んでいる現代文明に、突破口を切り拓いていきたいという思いなのです。

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