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新たなるグローバリズムの時代ヘ  

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

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2  民族問題にみる「抽象化の罠」
 ゴルバチョフ エスニックなナショナリズムは、実際、人々の理性を奪い、狂気に駆りたてるものです。
 私たちロシアにおいては、まさに今、このエスニックなナショナリズムを回避することが重要なのです。いたずらに民族感情を煽ろうとする動きを止めなければなりません。
 このようなエスニックなアプローチを私は、「ネーション(国家)の文明的理解」の対極にあるものと考えています。「ネーションの文明的理解」とは、人々の歴史的、文化的結合であり、部族、帰属性にかかわらず、自分の国家の運命に対する共通の責任感を意味するものです。
 池田 よく理解できます。
 私もかつて、「新たなるグローバリズムの曙」と題する平和提言の中で、ナショナリズムというものは、防御的側面と攻撃的側面がある。したがって、やみくもにナショナリズムを否定するものではなく、かつて旧西側の植民地主義に典型的に体現されていた、攻撃的側面をたわめつつ、グローバリズムを形成することの重要性について論じました。
 ゴルバチョフ ベルジャーエフも同様のことを言っています。もっとも彼は、「グローバリズム」という言葉のかわりに、「ユニバーサリズム(普遍性)」(『ロシア共産主義の歴史と意味』、『ベルジャーエフ著作集』7〈田中西二郎。新谷敬二郎訳〉白水社)という概念を用いていましたが。しかし、言わんとするところは、同じです。私が主眼においているのも、ベルジャーエフの思想の核となっている「民族的帰属感」から「全人類的帰属感」へという考えなのです。
 池田 よくわかります。そうした進歩、発展のプロセスを逆行させ、「民族」という言葉が絶対化していく背景には、ガブリエル・マルセルが「抽象化の精神」(『人間、この問われるもの』小島威彦訳、『マルセル著作集』6所収、春秋社)と名づけた″魔性″が、強く働いているように思えてなりません。
 詳論は省きますが、一言にしていえば、「民族」という概念が、現実からしだいに離れていって、いわば絶対的な偶像としてまつり上げられてしまうという、人間の古今の変わらぬ通弊を、彼はえぐり出しています。そこには、「抽象化の罠」ともいうべき落とし穴が待ちかまえている、と。
 昨今の民族問題にスポットを当ててみても、この「抽象化の精神」の毒は、相当深く浸透しているようです。致命的にならぬ前に、一刻も早く手当てをせねばならない段階に来ていると思うのですが、あなたは、この「抽象化の罠」という点について、どのようにお考えでしょうか。
 ゴルバチョフ 大きな問題ですね。まず体験的に述べさせていただきたいと思います。
 残念なことに、人々は往々にして、自分が聞きたいことだけを聞くものです。したがって、人間が抽象的概念を絶対視している場合、最も賢明にして、最も正しい言葉は、あたかも壁にぶつかつた豆のように、″認識の壁″に跳ね返されてしまいます。
 しかし、時間の経過とともに麻酔から醒め、狂気の思想が弱まっていくと、人々は耳をかたむけ、理解し始める。つまり、言葉が本来の意味を持ち始めるわけです。聖書にある「門をたたきなさい。そうすれば、神が開いてくださる」というのは、そのとおりとはいえないわけです。
 あなたが言及されたことでもありますが、人間が真に孤独を感じるのは、人々が自分から離れていくときではなく、むしろ、自分の発言に、人々が耳をかたむけてくれないときです。
 真実を語っているにもかかわらず、そして必要なことを、彼らのために語っているにもかかわらず、人々はいぶかしげに眺めているだけで、そのうちそっぽを向いてしまう。そんなとき、人はあたかも、自分が砂漠に独り取り残されたように感じ、自分の言葉が、砂漠の中で大声で叫ぶ人間の声のように思われてくるものです。
 二十世紀の悲劇――このことに関して、今、私たちは対談を進めているわけですが、すでに手遅れとなって、初めて、人々は耳をかたむける気になるのが常であるという事実こそが、今世紀の悲劇であるように思います。
 池田 その「悲劇」を「教訓」としなければなりません。二十一世紀の人類史を、ふたたびち抽象的な概念やイデオロギーの″実験場″にするような愚をおかしてはなりません。
3  「ソビエト連邦の崩壊」の意味するもの
 ゴルバチョフ そのとおりです。
 旧ソ連のかなりの部分で、民族問題解決のための対話が広まってきています。民族主義の予言者たちは影をひそめてしまい、人々は見向きもしなくなってしまいました。ウクライナの大統領選では、民族主義勢力は壊滅的敗北を喫しています。
 ソ連邦が、「平和」と「安全」を皆に保障する″共通の家″だったこと、そして、われわれ皆が共通の歴史で結ばれており、単独では危機からの真の脱出は図れないこと、幾世紀にもわたって築かれてきた経済的・文化的・精神的結びつきは、いかなる場合にも切断すべきではないことを、今、ようやく、多くの人々が理解するところとなりました。
 しかし同時に、心痛に耐えがたいこともあるのです。なぜなら、今あげたことは、ソビエト崩壊の前にも、その直前にも、幾度となく語られたことだったからです。
 私自身、立場上、特別に重い責任上、またみずからの深い信念にもとづいて、他の人よりも多く、何度もこのことを訴えました。ソビエトの改革を促進しつつ、しかも崩壊させないために、すべての方策を尽くしたのです。
 池田 そうですね。あなたが今日のような事態を憂慮されていたのは、よく存じあげています。
 ゴルバチョフ 最近のことですが、ソ連邦維持についての私の論文集の出版準備をしました。その作業のなかで、私は、今現在″発見″されている事柄は、じつは一九九一年十二月(ソ連邦の消滅)以前に、すでに、″発見″されていたのだということに、あらためて気づいたのです。それは驚きでした。
 現在ではなく、当時にあって、すでに、「ソビエト連邦の崩壊は、帝国の崩壊ではなく、われわれの祖国を壊すことであり、ここ七十年間のみならず、文字どおり幾世紀にもわたり、幾世代もの人々が築いてきた国家を破壊してしまうことになる」と述べているのです。尊敬に値する世界の列強の一員だった国家を、です。
 ベロベシュ合意以前から、私は議会に対して警告を発しつづけました。「国家の滅亡を止めることは、まだ可能である」「このような多民族社会が崩壊してしまえば、独立によって得られる一時的利益をはるかに凌ぐ不幸を、何百万人もの市民にもたらすことになろう」と。
 池田 そうでした。押しとどめようもない時流に抗して、孤軍奮闘するあなたの姿に、痛ましさとともに感動をおぼえたものです。先駆者の悲劇ですね。
 しかし、私は、″真実″はいつかは輝くものだと信じています。
 ゴルバチョフ どうか信じてください。こうした発言を思い出しているのは、私があらゆる点で正しかった、などということを示すためではありません。
 来るべき不幸を予言することなど、名誉でもなんでもありません。時には、むしろ私が正しくなかったと言えたらよかつた、私が完全に間違っていて、反対者たちが真実の″予言者″であってほしかった、と思うこともあります。
 しかし、現実はそうはなりませんでした。ベロベシュ合意から時間が経過すればするほどに、この合意が、どれほど不自然な破壊的なアクション(行動)だったかが、明白になってきました。
 「予言者は、故郷に容れられず」とは、古くから周知のことです。かつて「山上の垂証」でも、「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々としていて、そこから入る者が多いのだ。しかし、生命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」(『新訳聖書』共同訳・全注、講談社学術文庫)と説かれたように。
 池田 当時、あなたのよき理解者は、ソ連国内よりも圧倒的に海外に多かったわけですが、国内でも、例外的な現象はいくつかありました。
 日本の通信社が配信したソ連の「独立新聞」の論説もそのうちの一つです。鮮明に記憶に刻まれていますので、あげてみたいと思います。
 「ロシアでは偉大な人物を侮辱し、殺すことが好まれる。その後で、後悔の溜息と感動の涙を流して、彼等を愛するのだ。この国の解放者であるゴルバチョフ氏もめった打ちにされることが運命づけられている。
 エリツイン大統領は、旧ソ連の改革は、ゴルバチョフ氏がもっと早い時期に断固として始めるべきだったと強調するが、ゴルバチョフ氏が書記長に就任した七年前にそうしていたなら、書記長を辞任せざるをえなかったかもしれないことを大統領は理解できないのであろうか。
 また、ハズブラートフ最高会議議長は、自分たちだったら混乱なしに、人間的な社会への転換ができたと主張するが、七年前のその処方箋をゴルバチョフ氏に提供してほしかった。『党の事情を知り尽くした』このような人たちが、ゴルバチョフ氏を侮辱するのは滑稽で、憂鬱である」
 「ゴルバチョフ氏をあらゆる方向から攻撃することは、社会の精神的な病気の恐ろしい兆候である。偉大な人物を評価する能力のない人たちは、国家をうまく支配することはできない。彼の考え、行動を理解しないと、社会は重要なものがわからなくなる」と。
 一九九三年十月の最高会議ビルをめぐる攻防や、九四年末から始まったチェチェンヘの軍事介入などをみていると、まさにここで懸念していたような事態になってきました。
4  判断力を失わせる「時流」と「妄想」
 ゴルバチョフ ここで注目しなくてはならない点は、このように判断力を失わせ、理性を曇らせたものは何かということです。
 ソ連邦崩壊の経過のなかで、最もナンセンスだったのは、崩壊を理想として鼓舞し、先頭に立ったのが、ロシアの利益のために行動しているかのように装ったロシア連邦の政治家たちだったことです。
 バルト三国の独立への努力は理解できます。スターリンとヒトラーの共謀によって、バルト三国の国民は若い国家を失うことになったのですから。それでも、一九九一年の十一月末には、リトアニアとラトビアの指導者たちも、旧ソ連国境内に単一経済圏をつくる構想を支持していたのです。
 また、ウクライナが、かつて一度も存在したことのなかった独自の独立国家を志向したことも、人間的感情としてある程度、説明のつくことでした。
 とはいえ、ウクライナの独立の是非を問う国民投票の直前に、私は、ウクライナテレビのインタビューに答えて、ウクライナの住民に警告を発しました。
 「われわれは固有の歴史のなかで、固有の道を歩んできました」
 「十世紀の間、善きにつけ悪しきにつけ、また成功の時も失敗の時もともに現在まで来たのです。ロシア人、ウクライナ人、スラブ人は、この複雑で巨大な世界の形成に深くかかわってきました。決定的役割を果たしてきたのです」
 私はウクライナの人々に、兄弟に語りかけるような気持ちで――というのも、私の母は生粋のウクライナ人なのです――呼びかけました。
 池田 お母さまの父上が、ウクライナ出身ということでしたね。
 ゴルバチョフ ええ、そうなのです。
 ところで、ロシア連邦の政治家と議会は、何から独立しようとしたのか、これは理解に苦しんでしまいます。はたして自分自身のロシアの歴史から独立しようとでもいうのでしょうか? 何世紀にもわたって築き上げてきた自分の国家そのものから独立しようということなのでしょうか?
 「ロシア人」が、「ロシアの歴史」から独立を果たそうとしたのです。そして、「モスクワ」が、「モスクワ自身」から独立をとげようとしたのです。ナンセンスであり、ばかげた論理です。
 じつは、一九九一年十二月(ソ連邦の消滅)の半年前、私に反対するほとんどのロシアの政治家は、ロシアと連邦は相互に必要であり、ソビエト連邦の刷新のためにロシア人とロシア連邦の役割は欠かすことはできない、という私の考え方を支持していたのです。
 にもかかわらず、このようなことになってしまいました。「帝国」という抽象概念に戦いを挑んで、結局は″生きた国″を滅ばしてしまったのです。
 池田 「時流」というものは、一度勢いがついてしまうと、すぐには止まろうとしない、何ものも抗しがたい力をもっているものです。それに抗するためには、よほど強靭なる精神力と長期的な展望――つまり、じっと「時」を待ちながら、「時」をつくっていく精神的な発条が必要でしょう。
 ゴルバチョフ すばらしい洞察です。
 あなたの洞察のなかには、幾百年もの年月をかけて築かれた国家が、なぜ明らかなキメイラ(妄想)のために崩壊しなければならなかったのか、というわが国の悲劇の原因が明かされています。たとえ聡明な人間であっても、一度幻想におちいるや否や、″愚かさの杯″を最後まで飲みほすよう運命づけられてしまうのです。
 私が言わんとしているのは、ロシア連邦共和国の独立、つまり、大ロシア(ソ連邦)からの小ロシア(ロシア連邦)の脱退のことです。だれもが、ばかげたことだとわかっていました。ソ連邦にも、ロシア連邦共和国自体にも、二重権力構造が生まれ、遠心力が強まる大きな危険性が存在していました。
 だれもがわかっていたにもかかわらず、なんとかなるだろうという期待をいだきながら、この破滅的なゲームに興じてしまいました。しかし、なんともなりませんでした。″愚かさのバネ″は、徹底的な作用をおよばしてしまいました。
 池田 ここで、一つのエピソードを申し上げれば、かつて、わが国とロシアとの間に、日露戦争という不幸な過去がありました。
 これは、一応、日本が勝ったという体裁はとっておりますが、その実、日本の兵站線(戦場への輸送路線)は延びきり、国力は尽きかけ、もうこれ以上戦争をつづけることはできない状態にあったことは、今では常識となっています。その段階で、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の仲裁によって、辛うじてポーツマス条約によって体裁を整えることができたわけです。
 しかし、世論はそれに納得せず、あれだけの犠牲を払ったのに、日本の得たものがあまりに少ない、弱腰だ、屈辱だと騒ぎたて、暴動まで起こりました。そのころから時流は、徐々にファナテイック(熱狂的)になり、神がかり的なスローガンなども横行し、日本は、国家神道をバックボーンにした軍国主義化を強めていきました。
 重大な歴史の教訓は、そうした世論の暴発、暴走を煽ったのが、新聞をはじめとするジャーナリズムであったということです。マスコミが発達すればするほど、そうした言論人の姿勢というか、言語感覚、みずからの発言に対する責任や配慮が、厳しく問われなければなりません。
5  偏見と権威主義の言論が国を死滅させる
 ゴルバチョフ 現代のロシアでことさら顕著な、判断力の欠落ともいうべき現象は、いうまでもなく″言葉″から生じるものです。
 とくにここで、すべてにわたって悲劇的役割を演じたのが、わが国の教養人たちでした。すなわち「カルタゴは破壊されるべきである」という理論に、自分の国の歴史を当てはめようとした、民主主義者を自称するインテリゲンチア(知識階級)でした。
 私たちは、みずからの経験を通して再度、確信しました。「言論の自由」は、いつも善用されるとはかぎりません。
 人々を愚かにし、自国とその歴史に対する憎悪を煽るためにも利用されうるのです。そこで私は、独立したマスコミなどはなく、いわゆる民主派のマスコミでも、昔の共産党系のマスコミに劣らず、偏見と権威主義が横行している、と考えるにいたりました。国を徹底的かつ執拗に死滅させていったのです。
 池田 なるほど。貴国と日本では、事情は異なるでしょうが、本質的に同じ問題があると思います。
 ゴルバチョフ 私の政敵であった左翼・急進民主派は、「祖国でも、母国でもない。あるのは、ただ帝国だ」と決めつけたのです。
 ソ連は、「ソビエト帝国」であり、ロシア帝国、大国ロシアの継承者であるとすれば、破滅が運命づけられている。他のあらゆる帝国がそうだったように、ソ連もまた崩壊しなくてはならない。オスマン帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、大英帝国などのように――。
 わが国の存続を図ろうとしたものは皆、「保守派」「大国主義者」として攻撃を受けました。だれよりも矢面にあげられたのが、私でした。
 まさにあなたの述べられた「抽象化」の最たる例なのです。「ソ連」「ロシア」という言葉が、「帝国」に置き換えられ、それで事は成就してしまったのです。
 その時点から、だれ一人、事が幾百万の人間の運命にかかわる問題であり、幾世紀もかけて形成されてきたロシア諸国民の連合、突き詰めていえば、自国の運命にかかわる問題であるということに、気づかなくなってしまったのです。
 そうして、「帝国」は破壊されなければならない、それ一辺倒が罷り通りました。一種の呪詛ともいえましょう。
 それが、どのような結果をもたらすかなどはどうでもよく、ただひたすら、「帝国」と名づけられたものを破壊する作業に参画し、その証人になりさえすればよかったのです。
 池田 どうでしょうか。当時、民族主義、民族感情は、相当根強いものになっていたのでしょうか。
 ゴルバチョフ 私は、ソ連の崩壊に関して、民族主義、民族感情が、なにか特別に重大な役目を果たしたとは考えていません。
 「ソビエト帝国」に終止符を打ち、「ソビエト連邦」に幕を下ろすという考えは、たとえば、ウクライナで独立志向が勝利するよりずっと以前に、急進的インテリ層のなかで生まれたものです。
 一九九一年三月の時点では、まだウクライナの住民の大多数が、ソ連邦維持に投票していました。おそらくあなたもご存じのように、中央アジアの諸共和国の指導者たちは、最後までノボオガリョフ(主権国家連合)の手続きを支持し、ソ連崩壊には反対の立場を崩しませんでした。
 そして、この事実こそ、ソ連をオスマン帝国や大英帝国になぞらえようとする、過去から現在までのさまざまな試みを、根底から覆すものではないでしょうか。バルト海沿岸の人々が、実際、失われた国家を取り戻したいと願ったのは、事実です。
 しかし、そのほかのすべての共和国の人々は、中央集権については終焉させ、連邦自体は″改革″することを望んでいたのです。
 池田 たしかにそうですね。当時、バルト三国を除く圧倒的多数が連邦の存続を願っている、という世論調査があったことを記憶しています。
 ゴルバチョフ ええ。このことはベロベシュ合意がなされる数日前に、英国首相の特使であったエプラード氏と語り合ったことでもあります。氏は、明らかに連邦維持の態度を示しつつ、ミスター・ゴルバチョフ、なぜあなたは、ここで自分の考え方に従わないのですか?」と尋ねました。
 それに対して私は、ロシア帝国と大英帝国とは、あまり共通点をもっていなかったことを説明しました。ロシア帝国は、ロシア民族の国家ではありませんでした。だからこそ、そこには、植民地とは一線を引いた、征服民族の国家としての純粋な意味でのメトロポリタン(植民地に対する本国)は、一度たりとも存在しなかったのです。
 ロシアは、自分をロシア人だと考えるすべての人に帰属していました。ロシアの文化や現代ロシア語は、平等にわが国のすべての民族のものでしたし、また現在もそうです。
6  ″よきロシア人″は世界市民に通ず
 池田 「ロシアは、自分をロシア人だと考えるすべての人に帰属していました」とは、すばらしい言葉ですね。開明的で理想主義的な色彩を帯びており、いかにもペレストロイカの旗手にふさわしい響きを伝えています。
 そこからは、世界市民への″窓″が大きく開け放たれています。その国のよき市民、すなわちよきロシア人、よき日本人であることは、世界市民であることと決して矛盾するものではないからです。私も、そうした世界市民の一人たらんと、つねづね心がけているつもりです。
 ゴルバチョフ ロシアの生んだ偉大な詩人プーシキンは、かの有名な遺言ともいうべき抒情詩『わたしは記念碑を建てた』の中で、「偉大なルーシ(=ロシア)」に、そのルーシの本質を成すところの言語、つまリロシア語を共有するすべての人々に自身を棒げ、「誇り高いスラヴの子孫」「フイン人」「いまは野蛮なツングース」「草原の友なるカルムイク」と呼びかけています。(『プ−シキン全集』1〈草鹿外吉・川端香男里訳〉所収、河出書房新社)しかもそれは、自中国に住む民族の違い、また文化・言語の多様性に対する否定でもありませんし、抑圧でもありません。
 一方、たとえば、プーシキンと同時代を生きたイギリスの偉大な詩人であり、作家であったジョージ・バイロンは、みずからの作品を、大英帝国に属する赤道のアフリカ人やインド人に残すことなど、考えなかったでしょう。
 ここに問題の根元があります。プーシキンにとって、「偉大なルーシ」はロシア帝国と同一概念だったわけですが、バイロンにとつて、イギリスとはあくまでグレートブリテン島を意味したのです。
 池田 当然、歴史的な背景の違いもありますね。
 ゴルバチョフ いうまでもなく、私たちロシア人と比べて、現在のイギリス人が、民族的により純粋とはいえません。
 いったい、現在のイギリス人とはだれなのでしょうか? もともと、ローマナイズされたケルト人が、アングロ人とサクソン人のゲルマン部族と混ざり、後にフランス化されたノルウェー人、つまリノルマン人に征服されました。このように、過去においてかなり違った民族に属していたすべての人たちの子孫が、現在、自分をイギリス人と称しているわけです。
 ここで注目したい点は、こうして民族を形成したイギリス人は、インドを征服し、三世紀にわたってみずからの帝国に組み込んでいましたが、それにもかかわらず、まったく原住民と混血することはなく、彼らを自分たちと同様にあつかうこともありませんでした。
 そこには、統治という本来の帝国主義的原則がつらぬかれており、被征服民族を明らかに区別しています。
 それでは、ロシア帝国はどうか? ヤクート人、ナナイ人、カルムイク・コサックをはじめ、だれもがヤイーク・コサック、クバン・コサックと同じ権利をもっていました。
 またロシア帝国においては、支配層も貴族階級も、国全体と同様に、数多くの民族から成り立っていました。バルト海沿岸の男爵も、タタールの公爵、グルジア皇帝の子孫も皆、宮廷に仕え、国を治めていました。
 これはすべて周知のことです。それゆえに、ロシアには、ましてやソ連には、紋切り型の「帝国」という概念を機械的にあてはめてはならないということが、ソ連崩壊以前、幾度となく語られてきたわけです。
 わが国では、メトロポリタンと植民地という伝統的分水嶺が引かれておらず、その国土は、種族間、人種間の混血をともなうロシア系住民の移住によって、同心円を描くように拡張していったのです。
 池田 たしかに、現在は、いろいろな民族紛争が噴出していますが、元来、ロシアの人々には、民族間の差別意識は薄いようです。モスクワ大学などヘの留学経験者に聞いてみても、人種差別や民族差別によって不快感を味わうことはなかったと語っていたのが、印象的でした。
 そうした″ロシア人気質″ともいうべきものは、プロレタリア国際主義の最も良質な部分と重なりあって、世の人々、とくに青年たちを魅了していったのでしょう。
 ″ロシア人気質″と同じようなことが、フランス革命についてもいえると思います。フランス革命の精神的意義を端的にいえば、「権力によってフランス人とされていた人々が、自由な同意によってフランス人となった。フランス人でない人々の中にも、フランス人となりたがる者がたくさんいた」(シモーヌ・ヴェイュ『デラシヌマン』大木健訳、『現代人の思想』9所収、平凡社)ということではないでしょうか。
 まさに「ロシアは、自分をロシア人だと考えるすべての人に帰属していました」とのあなたの発言と波長を一にしています。いずれも、よきフランス人、よきロシア人であることが、世界市民の普遍的世界へと、まっすぐに回路を通じていたわけです。
 そこに、ロシア革命をもって、フランス革命の継承的発展とする進歩主義的な近代史観が、成り立ってきたゆえんがあります。
 そうした近代史観を、全面的に葬り去ってはならないでしょう。取るべきは取り、捨てるべきは捨てて、歴史の歯車を回転させていくべきです。
 一言にしていうならば、「反時代的」ではなく、「弁証法的」に歴史をとらえるべきだ、というのが私の立場です。
 いくら国際主義や博愛主義が衰えたからといって、今さら民族主義のスローガンに身をゆだねているようでは、「反時代的」もはなはだしく、諺でいう「角を矯めて牛を殺す」愚を犯してしまうことは必定です。
7  ″プロクルステスの寝台″の恐ろしさ
 ゴルバチョフ わが国のロシア民族主義者たちでさえ、今日、ロシア人種の民族的純粋性を問うことは、滑稽きわまりないということを認めざるをえない状況です。
 わが国の広大な領土の開拓にたずさわったすべての人々は、必然的に、先住の北方や南方の諸民族とぶつかりました。そして、その歴史のなかで、侵略や不服従民族の駆逐、ユダヤ人居住区の設置といった恥ずべき行為も行われました。
 ただし、それらが主流だったわけではありません。むしろ、ロシア帝国、次いでソ連が存在した時代にあっては、文化、習慣、人間の運命、すべてが渾然と絡まり合った一つの巨大な世界が生みだされていた、ということが大事だったと考えます。
 自然に、分業が形作られていったことはいうまでもありません。広大な領土において、どこに住み、どんな人種に属していても、だれもが自分の国に居ると感じ、法によって護られていると感じていた事実が、重要な点だったのではないでしょうか。
 ところが、わが国では、「最後の帝国」は倒さなければならないという崩壊論者たちによって、日常的な生活環境と、自然のうちにつくり上げられてきたすべての社会的成果が、切り捨てられてしまったのです。
 彼らは、何千万の人間が自分の民族共和国の外に暮らしていること、ソ連が崩壊し、最も苦しむことになるのはロシア人だということを、はっきりとわかっていたはずなのです。なぜなら、ロシア共和国外に住むロシア人の数は、二千五百万人に上り、最も多いからです。偽りの概念、偽りのスローガンのために払われた犠牲は、かくも大きく、恐ろしいものだったのです。
 池田 あなたがしばしばおっしやる、″プロクルステスの寝台″の恐ろしさですね。「新しい現象を、時代遅れの観念のプロクルステスの寝台に無理やり押しこみ、空文句を内容よりも上におき、客観的な原因を口実にして、個人の責任を回避しようとする試みがおこなわれており」(『ゴルバチョフはこう語った』中澤考之編訳、潮出版社)云々と。
 このたとえは、アイトマートフ氏も、私との対談で力説していました。かつては、″プロレタリアート独裁″や″人民の敵″といった″プロクルステスの寝台″が猛威を振るったかと思えば、それにかわって、民族という別の″寝台″が現れて、人々の鼻綱を引き回している。
 ナチスによるホロコーストもおぞましい″寝台″であり、それが決して過去のものでないことは、旧ユーゴスラビアでの「民族浄化」がなによりも証拠だてています。これでは、人間の進歩もなにもあったものではありません。
 ゴルバチョフ しかし、池田さん、理論そのものには、責任はありません。学術的概念・理念を、良心に背いて無責任に利用することが罪なのです。
 ロシア帝国、ソビエト連邦という国家の特異性について、真剣に落ち着いて分析し検討することを、だれが邪魔したというのでしょうか。だれも邪魔してはいません。ただ、ソ連崩壊を支持する人間たちが、そんなことには、何の関心も寄せなかっただけなのです。
 民族と人種は一つのものではなく、民族が国家主権を志向するのは、自然であるとしましょう。しかしながら、わが国が、主権という考え方に魅了されていった時点で、ソ連に住む一つ一つの人種が、国家主権を獲得すべきだという類の呼びかけは、危険なユートピアでしかないことを、人々がわかっていなかったとでもいうのでしょうか。
 それにもかかわらず、博士号をもつ、さらには科学アカデミー会員の称号をもっているはずの急進派の政治家たちは、ソビエト連邦後に、四十から五十もの独立国家を建設することを約束していたのです。
 私は、ソ連崩壊やベロベシュ合意よりずっと以前から、「中央」「ソビエト帝国」と闘うこれらすべての人たちを、ネオ・ボルシェビキと呼んできました。
 彼らの革命的過激主義、何世紀もかけて建設されたものを一日にして破壊してしまおうとする傾向性は、インテリゲンチアの不寛容性からくるものと、私は考えます。
 教条主義、現実生活からの遊離、人々の具体的関心事からの遊離も、そこから生まれてきているのではないでしょうか。多くの人間が、学術機関から政治の世界に入ってきました。彼らはなんらかの着想をもってはいましたが、あまりにも経験不足だったといわざるをえません。
8  庶民の生活感覚こそ政治の原点
 池田 そこに、いわゆる″前衛″理論と呼ばれてきた運動論のおちいりがちな落とし穴があったといえましょう。
 すなわち、革命運動というものは、意識の自然発生的な盛り上がりを待って始まるものではなく、社会意識や階級意識に目覚めた少数の人々が、職業革命家集団としての前衛党を結成し、意識の遅れた一般大衆をリードしていくかたちをとらざるをえない――ロシアの人々には「釈迦に説法」ですが、日本の若い人々には、こうしたことが意外と知られていません。
 ゴルバチョフ 「教条的、抽象的政治は常に無益である。なぜならそこでは生活感覚が欠如し、歴史的本能と歴史的洞察に欠け、思いやり、柔軟性、バランス感覚がないためだ。それは、首を回すことのできない、したがって真っ直ぐ一点しか見ることのできない人間のようなものだ。人生のすべての複雑さは視界から滑り落ちている。生活への生きた対応は不可能となる。
 政治における抽象化は、現実の課題とも歴史的時代性とも無関係に為される安易で無責任で陳腐な宣言である。ゆえに複雑な事柄を考察する創造的作業はまったく要求されない。ポケットから薄っぺらな教理問答集を引っぱり出して、数段落目を通すだけで充分なのである。抽象化された過激主義的政治は常に生活を脅かし、その有機的成長と色彩を損なうものである」(前掲『ロシア共産主義の歴史と意味』)
 あなたは、もう感じられているかもしれませんが、私は、引用は好きではありません。ましてや長いものは――。私が学者ではなくて、政治家だからでしょう。しかし、今回に関しては、このベルジャーエフの言葉に勝るものはないと思います。
 彼は、ボルシェビキの図式主義、過激主義を最初に批判した人間です。私たちのすべての不幸は、教条的空理空論によってもたらされているともいえましょう。
 池田 前にも申し上げましたが、そうした現実の庶民の生活感覚と遊離した職業革命家集団は、彼らがどんなに善意であろうとも、否、ある意味では善意であればあるほど、庶民感覚との間にズレが生まれ、亀裂が入り、あせりが生じてくる。
 ズレや亀裂を埋めるために、庶民に近づいていけばよいのですが、反対に、庶民を無知な愚者としてあつかうという″悪魔のささやき″に、いとも簡単に乗じられてしまいます。
 その結果、理想を追うあまり、玉砕主義的に暴走し、多大な流血の惨事を招いてしまうことがあまりにも多かった。
 ゴルバチョフ あらゆる極端な革命主義者たちは、通常の物事の道理をくつがえすことに、重点を置くものです。このような世界観は、ロシアにおいてトロツキーが、古典的表現を用いて「水久革命論」として示しました。
 これは、物事の安定は、それがたとえどのように人々に歓迎されようと、人々に具体的に何かをもたらすものであろうと、そのようなことにはかかわりなく、安定自体を悪とする見方が基本となっています。
 したがって彼らにとっては、またトロツキーの視点からすれば、労を惜しまず、つねに物事の慣れ親しんだ道理を″爆破″することにまさる、高尚な課題はないということになるのです。
 トロツキーは、社会はつねに脱皮しつづけると力説します。「変革は、一つの段階から次の段階へと連続していくものである」「経済、技術、学問、家庭、生活、風習の革命は、それぞれが複雑に絡み合いながら社会に安定をもたらすことなく展開していく」と。
 池田 たしかに「永久革命論」的な考え方は、毛沢東主義などにも、色濃く反映されており、ある種の魅力をもってきたことは事実でしょう。
 しかし、忘れてならないのは、民衆の生活の大部分は、過去からの継続性の上に成り立っている、ということです。生活の矛盾が、よほど飽和点に達していないかぎり、その継続性のなかに断絶を持ち込むことは嫌われます。
 急進的な革命というものが、長期間、民衆の支持を得つづけることが困難な理由もここにあります。
 ゆえに私は、リーダーシップのあり方は、つねに「一人の百歩前進」よりも、「百人の一歩前進」を旨とすべきだと信じています。
 ゴルバチョフさん、私は、あなたがこの対談の冒頭で鋭く指摘し、批判された――民衆は、自分ではいかに生きるべきかを判断できない。だから正しい決定を耳打ちしてやる必要がある――といったエリート意識、思い上がりを念頭に、以上のことを申し上げているのです。
 ベルジャーエフの言うように、庶民の生活感覚、生活意識こそが、政治の取り組むべき現実なのですから、そこへの畏敬の念を失えば、行き着く先は″理想″とはかけ離れた世界でしかない――このことは、何度確認しても足りないぐらいです。
 ゴルバチョフ 以前にも申し上げましたが、新思考の意味もまさに、この教条主義、図式主義、一様性イデオロギーに、多様性と多質性の哲学を対峙させることにありました。
 無論、抽象的理論への熱中、その絶対化が、自然発生的性格である場合もあるという点で、私はあなたと同感です。人間が悪意なしに、また教条性からではなく、一般的概念の落とし穴にはまってしまうこともあるのです。
 たとえば、サハロフ博士も、一時期、ソ連の領土内に居住するすべての民族集団は、それぞれ独自の独立国家をつくるべきであり、ソビエト・ピラミッドの基礎に敷かれている一つ一つのキュービック(立方体)が、それぞれ独立した存在となるべきである、と考えたようでした。
 しかし、サハロフ博士の場合は、平等の理念を絶対化してしまったゆえの結論でした。人口が数千人の少数民族であっても、ドイツ人やロシア人のような大民族と同様の権利をもつべきだと考えたのです。これは、いってみれば一種の理想主義であり、「国民」「民族」等の概念を混同してしまったために起きたと考えられます。
 残念ながら、「ロシア男は雷に脅かされるまで改心しない」とわが国でよくいわれているように、私たちは、つい最近まで、いわゆる民族自決に関する公式がいかに危険をはらんだものかを、だれも見抜くことができませんでした。
9  旧ユーゴの分裂と「民族自決」の理念
 ゴルバチョフ 民族自決の理念に対しては最大の敬意を払いつつも、同時に、いかなる犠牲が払われるのか? 国境保全の原則との整合性は? 民族自決の理念のためであれば、歴史を後退させてもよいのだろうか? 私は自問せざるをえないのです。
 また、民族自決の理念とどこまでもまとわりついて離れない″歴史的報復という理念″とを、どのようにして見分けるのか? もし、各民族集団が自分の国家をもとうとしたら、現代ヨーロッパとその近代国家はどうなってしまうか? などの設問が浮かんできます。
 最後の問題に限って答えれば、そのような行為がもたらすのは、″泥沼″と″血の海″にほかなりません。
 それは無益に流される″血の海″になってしまうでしょう。なぜなら、地方の民族集団は、国家としての安全を確保し、経済的に独立して、国家を確固として維持していく可能性をもたないからです。そうなれば、必然的に強国に翻弄されていくことになってしまいます。
 そしてそこに、新たな国境の線引きと紛争、戦争が起こってきます。これはまさしく″歴史の退歩″以外のなにものでもありません。
 池田 旧ユーゴスラビアの分裂は、収拾がつかない混乱を招いてしまいましたし、近くはチェチェン共和国をめぐる攻防が、文字どおり″泥沼″と、″血の海″の中でつづけられました。おっしゃることは、まったく正しいと思います。
 ゴルバチョフ 忌憚なく申し上げますが、あなたが「抽象化の罠」と呼ばれる現象とその誘惑は、現実生活のあらゆる側面をしっかりと見据えていくならば、回避できると思います。
 ただ、抽象的概念にも、物事の認識・応用に役立つという利点があることも、あえて申し上げておきたいのです。
 池田 傾聴すべき哲人の言葉です。問題の急所はそこにあると、私も考えます。
 ゴルバチョフ 「太初に言ありき」といわれたように、人間は言葉によって、つまり抽象化の技法を習得したことによって、人間となりました。言葉によって概念と対象物そのものとを区別する能力は、人類の精神的発展に偉大な刺激となりました。また、言葉によって時間が生まれ、現在と未来が区別できるようになったのです。
 重要なのは、道徳、家族、神、集団、民族、階級、国家といった概念のおかげで、人間は自分の野性のエゴイズムを抑制することを学び、自分の利益と他の人々の利益を関連させ、結びつけることを学んできたという点です。
 イエスの「山上の垂訓」で説かれた道徳は、非凡なまでに簡明です。「人にしてもらいたいと思うことはなんでも、あなたたちも人にしてやりなさい。これこそ律法と預言者の教えなのだ」(前掲『新訳聖書』)と。人間は社会的、集団的存在であり、いかなる場合も集団意識の枠外に出ることはできません。
10  実在を固定化する「言葉の虚構性」の罠
 ゴルバチョフ 「抽象化の悲劇性」とは、あなたがおっしゃるように、抽象化の技法、また抽象化によって創られた理念が、偉大な精神の高揚の契機になるとともに、精神的荒廃の最大の要因ともなりうることにありましょう。
 このことは、私たちが自分の経験を通して知るところです。ソビエトの人間であれば、だれもが身近に感じる「故郷」「母国」「ロシア」とぃった概念は、一九四一年十一〜十二月、対独戦の最も悲劇的な時期に多大な役割を果たしました。
 そのとき、スターリンをはじめとする国の指導部は、軍・兵士・将校を動員するには、たんに「社会主義祖国が危険にさらされている」というスローガンのみでは足りないことを理解していました。
 事が国民の生死とその独立にかかわるとき、階級的価値観や階級の分け方などは、民族的感情・誇りと比べ、二次的意味しかもたないものです。このような場合、まず第一に、フアシズムとの戦いで最も苦難を強いられた、大ロシア人の民族的誇りを鼓舞することが大事だったのです。
 まさにこのとき、ロシアの民衆の偉大さがクローズアップされ、赤軍はロシア軍とその武勲の継承者であり、赤軍将校は、アレクサンドル・ネフスキー、スヴオロフ、ウシヤコフ、ナヒーモフなどロシアの名司令官、名将軍の後継だと叫ばれました。
 この戦争の時代に、私たちは自分の民族の歴史に立ち返ったのでした。
 そして、それを可能にしたものは、「故郷」「母国」「民族の誇り」という慨度にとっても概当な標念だったといわざるをえません。
 池田 そうしたプリミテイブ(原初的)な感情に訴えたことが、士気を高めたわけですね。
 ゴルバチョフ この大祖国戦争から、たつた四年後、スターリンはまつたく正反対の目的のために、つまり精神的結束のためではなく、精神的盲目と外国恐怖症、民族的敵意をかきたてるために、こうした概念を利用し始めました。
 以前、何かの折、あなたにお話ししたかもしれませんが、いわゆる反コスモポリタニズム闘争の旗を掲げて生きたスターリンの晩年は、精神的に重苦しく、忌み嫌うべきものでした。
 大ロシア人の民族的自尊心を最も恥知らずなやり方で操り、「他国民に学ぶことなど何もない」「われわれは独力で何でもできる」「知識のすべての分野でつねにナンバーワンである」と民衆に教えこんでいきました。
 これでは「ロシアこそ象の祖国なり」になってしまう。ソビエト時代の特徴だった、何事につけてもナンバーワンの幻想に浸ろうとする傾向――正気の沙汰ではありません!
 この問題を理解するために、特別の理論など必要ありません。最初の大祖国戦争の場合は、民族的誇りは民族の尊厳と同意だったわけです。ところが二番目の場合、いわゆる反コスモポリタニズム闘争にあって、民族的感情は民族的傲慢、民族的優越思想へと奇形化していったのです。そして、大ロシア的ショービニズム(極端な排外主義)を誘発していくこととなったのです。
 ソビエト史は、一貫して独特のマルクス主義的リアリズム信仰を背景とし、定理が幾百万の人々の利益よりも重んじられ、幾世代もの人間の人生が、「社会主義」「進歩的社会体制」といった概念の犠牲となりました。
 これは、言葉の意味や概念を過大評価する一種の″病気″ではないでしょうか。治療して克服しなければならない病気です。
 池田 マスコミを利用した情報操作や大量宣伝によって、そうした「抽象化の精神」の跳梁跋扈を許してしまったという点では、旧ソ連を含めて、二十世紀に登場した大衆社会は、人類史上においても最たるものでしょう。
 言葉というものは、抽象化を重ねれば重ねるほど、具象すなわち具体的な事象、実在との間で距離感覚が生じてくる。
 「民族」という言葉を点検してきたように、その点への警戒がおろそかになってくると、言葉をそのまま実在と錯覚し、結局は「抽象化の精神」のとりこになってしまいます。
 言葉は、はたして生々流動しゆく実在を、あますところなく写し取ることができるのか。人間は、そうした実在を固定化してしまう「言葉の虚構性」の罠、「抽象化の罠」から、どうしたら抜け出すことができるのか――このような「言葉の虚構性」に対する警戒、さらには「言語への不信」さえもが、今ほど必要とされる時代もない。
 なぜ、「言語への不信」とまで極論するかといえば、軽信、盲信、狂信を含めて、二十世紀ほど「言語への過信」とその逸脱がもたらす欺瞞の誤りが、猛威を振るった時代もないからです。
11  「開かれた国家」をめざす試み
 ゴルバチョフ 民族の概念についての話から、思わず話題が広がってしまいましたが、興味深い、大切な点だと思います。さてここで、民族についての本題に戻りましょう。
 民族的自覚というものは、たとえ一度もそれについて思索したことがなくとも、だれもが有しています。それは精神面、情緒面の一つの支柱です。人間の性ともいえるでしょうか。
 「人間は何かに支えられて生きるものだ」とロシアではいわれます。それは、第一に家族であり、家系、血のつながりでしょう。そして、祖国の人々がいます。祖国の人たち、その歴史、文化、伝統を拠りどころとしつつ、また、みずからがそうしたものと不可分の存在であると実感することによって、運命の試練に耐え、危機的状況にあって勇気を奮い起こしていく――これはごく正常なことです。
 池田 そのとおりです。たれびとにも共通のことであると思います。
 ゴルバチョフ 人種的、民族的帰属性を感じることは、人間文化の一種の保護機能なのでしょう。この機能はたいへんシンプルです。しかし、それなしでやっていけないのも事実です。
 民族的アイデンティティーは、いざというときに、動物的個人主義を克服する手段となります。民族的自覚のある人間のほうが、責任感をもっているからです。
 二十世紀末の今日において、民族をたんに血のつながりだけで理解しようとするのは、むしろ滑稽といわざるをえません。わが国の最も過激な民族主義者たちでさえ、″純粋な″ロシア・エスノス(民族)を云々することは論外であり、どのロシア人なりウクライナ人を捕まえてきたとしても、ほんの少し皮を剥いでみれば、モルドワ人か、タタール人、ポーランド人、トルコ人、またはフィン人の顔が出てくることを、認めないわけにはいかないのです。ただ、これはわが国に限ったことではなく、世界中どこでも同じでしょう。
 池田 どちらかといえば、単一民族に近いというのが通説の日本人の場合も、同じことがいえます。
 とくに日本人のルーツを七世紀後半、すなわち大陸から律令制度が導入されて、古代国家が一応体裁を整える時代より以前にまで遡ると、朝鮮半島の百済や新羅、高句麗などといった国の人々との交流は、日常的であったといっても過言ではありません。もちろんパスポートなど必要ない(笑い)。とくに百済との交流にあっては、通訳さえ必要なかったと伝えられています。
 どうも、時代が進めば進むほど、古代人のもっていたこうした大らかさが失われ、人間の生き方が窮屈になってきているように思えてなりません。
 とくに、明治時代、欧米列強に伍していく近代国家をつくり上げるため、いわば官製のイデオロギーとして国家神道、皇民化教育が徹底されていった。
 その過程を通じて、日本民族(大和民族)の純粋性などという「虚構」がつくり上げられていったのです。
 しかしながら、日本語などにしても、これだけ標準語教育が広まっている現在さえ、方言で話すと、言葉の通じないところがいくつもあるのが現実です。
 ゴルバチョフ いかなる″純血″がありえましょうか! それではまるで人種差別主義か、さもなければ動物学か何かのようです。
 私個人にとっての「民族」とは、まず第一に、自分をロシア人と名乗り、私たちの母国、国家の命運に責任を感ずるすべての人々の運命共同体を意味します。
 ロシアでは過去・現在・未来にわたって、共通の文化遺産、文化的行事、そして当然、共通の文化的願望をもつという、文化的共通性が民族の根底にあるのです。
 その意味で、私たちロシア人は、ギリシャ人かローマ人に近いのかもしれません。彼らもまた文化的、市民的愛国心をもっていましたから。
 池田 なるほど。文化的共通性が民族の根底にあるとのお考えに賛成です。
 というのも、人間の人間としての生き方、道、軌道――人間が人間であることのまぎれもない″証″こそ文化であるからです。
 ゴルバチョフ これまで民族や民族感情について、種々語り合ってまいりましたが、それによって、「民族主義とは何か」を定義するのが、容易になったように思われます。
 結論的にいえば、「民族主義」とは、本質的には、民族的自覚の異常化であり、民族としての偽りの自信が奇形化したものにすぎません。「民族主義」は、まず初めに、民族的エゴイズムとなって現れます。
 次に、民族の排他的優越性を教え、さらに民族的傲慢となっていきます。かくして「民族主義」は、つねにショービニズムと外国憎悪を生みだしていきます。
 繰り返しになりますが、民族感情は一度として消えたことはなく、またこれからもおそらく消えることはないでしょう。
 今日、その民族感情が、人間の感情と精神面の不可分の構成要素として残っているのはまぎれもない事実であり、なによりも政治の現実なのです。
 池田 まったく同感です。個人におけるのと同様に国家や民族の場合も、基本的には、「開かれた国家」「開かれた民族」でなければならない。
 多少の摩擦や対立が生じても、開かれてさえいれば、話し合いが可能であり、妥協点も見つかるものです。
 「閉ざされた国家」「閉ぎされた民族」であると、ともするとあなたのおっしゃる「国家民族主義」や「帝国主義的拡張主義」におちいりがちです。
 「閉ざされた魂」には、どこか狂信的なものがあり、それゆえに対話が成立しない。ちょっとした摩擦や対立がきっかけで、すぐさま武力対決にまで発展してしまう恐れがつきまとっています。ペレストロイカも、こうした開放されたシステムというか、民主化された「開かれた国家」をめざす試みであった、と私は理解しています。

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