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日蓮大聖人・池田大作

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東洋と西洋が出合うとき 人類的価値と宗教の智慧

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

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11  道徳規範の源泉を求めて
 ゴルバチョフ もちろん結構です。ぜひ、つづけてください。
 池田 数年前に亡くなった″アメリカの良心″ノーマン・カズンズ氏とは、『世界市民の対話』と題する対談集を編みましたが、氏は、宗教者が、みずから絶対と信ずるものを他に納得させることの困難さを論じながら、こう言っております。
 「人間が深い精神的な素質を有するという命題については、みんな共通に異議はないだろう。もしその同意からさらに一歩進めて、それぞれの宗派の神学で神性の表現される形は異なっていても、神性が外的なものではなくて、内的なものであり、その働きは人間を通じて現われる。そして人間は自分のすること、考えることによって、神性を立証したり、反証したりするという命題についても、彼らすべての同意を得ることができれば、我々は、それだけ地球上における真の宗教的情況の実現に近づいたことになるだろう」(『人間の選択』松田銑訳、角川選書)と。
 「神性が外的なものではなくて、内的なものであり、その働きは人間を通じて現われる」との氏の言葉は、ガンジーの「生きている人間を通して神を示す」との言葉と、見事なまでに符合しています。だからこそ、ガンジーは、あらゆる行為において「真理」を堅持していくことを、「サティヤーグラハ(真理の把握)」と呼び、みずからが進める運動の名としたのです。
 ゴルバチョフ たいへんに興味深いお話です。かつて、創価大学の講演でも申し上げましたが、ペレストロイカがめざしたのは、「全人類的価値」の優位を認め、人権と自由の重要性、素朴な道徳規範と人間的な社会ルールを復活させることでした。
 「善」を「善」といい、「悪」を「悪」といえることが、人間にとって最大の権利と考えたのです。
 池田 日蓮大聖人は、仏法といっても、人間の実生活上の「行い」を離れてあるものではなく、妙法蓮華経を受持する一人一人によって営まれる社会生活の全体が、仏法であり、法華経であると説きました。また、法華経そのものにも、「社会のなかのあらゆるよき教え、よき行動は、法華経の真理そのものである」という考え方が説かれています。
 あなたは、「今日、全人類的価値という貯金箱に、東洋は何を入れることができるのか」と問われました。私は、言葉で表現された道徳的価値規範もさることながら、道徳規範の源泉としての「内的な真理」を解明し、それをもって人々の心を、よき方向へとうながしていくことこそ、あえて言えば、東洋の使命ではないかと思います。私はつねづね、その源泉を「内在的普遍」と呼んでいます。
 個々の規範も、源泉としての「内的なもの」「宗教的なもの」がなければ、時代の変遷とともに、輝きをなくし、死滅していかざるをえないのではないでしょうか。逆に、瑞々しき源泉があれば、時代に応じた「生きた道徳規範」を生みだすことができると考えるのです。

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