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日蓮大聖人・池田大作

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ソフト・パワーを選択するとき 「世界を震撼させた三日間」の真実

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

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8  ″開かれた人格″こそ一切の争いを解決
 ゴルバチョフ 条約の調印によって、各共和国と連邦中央指導部とのほどよい政治的バランスがとれ、連邦と連邦市民権の維持、刷新ができるはずでした。新連邦条約は、「合同」ではなく単一の連邦市場と、単一の軍を維持、発展させるものでした。連邦国家としての安全保障と、単一の外交政策がつらぬかれるはずでした。
 新連邦条約調印の挫折。これも国家非常事態委員会のしわざです。この条約の調印は、国の崩壊を阻止する唯一の実質的な選択肢でした。
 歴史は、私の意志に反して逆行してしまいました。八月の事件のあと、ほんの数日の間に、全共和国が独立を宣言しました。
 国の中枢機関に対する憎悪を社会全体に呼び起こした人間を、どうして愛国者と呼べるでしょうか?
 ちなみに、ソ連邦大統領がフォロスから帰還したあとも、中央を無視して、何の承諾もなく大統領令を出しつづけていたロシア大統領の行為も、国の崩壊を進めました。ロシアはだれのことも無視して号令をかけ、すべてを支配する権利をみずからに与えたのです。
 ロシアの政治家たちに言わせると、八月革命の″収穫″をしたというわけです。八月クーデターは、多くの民族を歴史的首都モスクフから引き離し、民族感情を煽っていったのです。
 池田 事態は、予想以上のスピードで進んでいきましたね。
 ゴルバチョフ ええ。連邦の維持、刷新、改革は、ソ連邦大統領としての私の最大の政治的また倫理的ともいえる課題だったのです。私は連邦維持に全力をかたむけました。
 そのときに支えとしていたのは、国民投票で圧倒的多数によって示された国民の意思でした。この国民投票は、かなりの抵抗にあいながらも、私のイニシアチブで行われたものです。
 ネオ・スターリン主義者たちを首謀者とするクーデターは、「決戦」を呼びかける煽動家たちの手に社会を渡してしまいました。
 この事件につづいて、ベラルーシ協定、そして「ショック療法」、上からの強制的な新ロシア革命が行われていきました。ロシアは能なし愛国者のために、またも分散の道をたどってしまったのです。
 ごらんのとおり、この事件は、私個人のせまい経歴の枠を超えてしまっています。そして、私たちにロシア史の深淵をのぞかせ、愛国主義、民主主義の真と偽の違いを考えさせます。逃してしまったチャンス、取り返しのつかない損失といった、歴史が本来もつ悲劇性について考えさせます。
 歴史でさえ、冒険主義者たちの謀略を前にして無防備だというのに、自分個人の孤独を嘆いていられるでしょうか。
 池田 率直な、そして肺腑をえぐるような心情の吐露に私は深く感銘するとともに、心からのエールを送りたいと思います。
 「連邦の維持、刷新、改革は、ソ連邦大統領としての私の最大の政治的また倫理的ともいえる課題だった」というあなたの言葉に私が心を動かされるのは、物事に対処するあなたの姿勢とスタンスが、″開かれた心″″開かれた対話″におかれているからです。
 私はそこから、まぎれもない「人格」の声を聴き、「人格」の力を感じとります。そうした″開かれた人格″こそ、国内、国外であるとを問わず、一切の争いを解決していくカギとなる、ソフト・パワーの最大にして不可欠な要因です。
 私が、四年前、ハーバード大学での講演でソフト・パワーについて論じたさい、コメンテーターの一人であった同大学のジョセフ・ナイ教授は、「ソフト・パワーとは協調の心のことである」という、じつに的を射たコメントを寄せてくれました。
 互いに心を開いて語り合い、譲るべきは譲り、協調しあいながら共存共栄していこうという基本的な姿勢、スタンスがなければ、紛争の恒久的解決など絵に画いた餅にすぎません。
 ゴルバチョフ 同感です。それこそが、私たちが進めようとしてきたことですから。
 池田 九〇年初頭、リトアニアを訪れたあなたが、首都ビリニュスの街頭で、ソ連の旧悪を暴露しながら激高する民衆を相手に、「仲よくやっていこう」と必死に説得に努めていた映像が、目に焼きついております。
 成否をだれがあげつらおうとも、私は、そこに、ソフト・パワーの真髄を見る思いがしたのです。
 あなたは「歴史でさえ、冒険主義者たちの謀略を前にして無防備だ」と嘆いておられます。しかし、やみくもな欲望や熱情が、一時的に勝利を収めたかのように見えても、歴史を長いスパン(期間)で見れば、時流の淘汰作用によって、結局彼らは、自分で自分の墓穴を掘っているにすぎないことが洗い出されていくものです。
 ゴルバチョフ まさにそこに、人間存在の悲劇とドラマがある、といってよいのではないでしょうか。
 遅かれ早かれ、人間は道徳の報復を受けなければならず、正義は必ず訪れるものです。たとえば、皇帝ニコライニ世の家族を毒牙にかけた殺人者は、ついにはロシアで罪に問われました。この事実は、ロシア人の道徳的教育という観点で重大な意味をもちました。ただそれは、七十年の歳月を経てのことでした。
 罪もなく犠牲者となった人々は、ずっと罪なき犠牲者でありつづけなければなりませんでした。歴史の法則が流れる時間と、道徳的人間の内面世界を流れる時間とは、異なる尺度をもっています。ここでは、洞察の位相が合っていないのです。
 正義が証明されるのは、ロシアの人々が暴力によらない為政者を尊敬し始めるとき、そしてソフト・パワーを選択するときで、私たちはすでにこの世にいないでしょう。
 池田 ご心配は無用です。何が正しく、何が誤っていたのか、私たちの子どもや孫の世代がきっと見極めてくれますから。
 歴史を残すことが、未来に道を開くことです。総裁は大いなる歴史を残しました。人類史を「平和」へと前進させた人です。
 私たちは仕事をつづけましょう。新しき歴史を創りましよう。

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