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日蓮大聖人・池田大作

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ソフト・パワーを選択するとき 「世界を震撼させた三日間」の真実

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

前後
2  精神世界としてのペレストロイカ
 ゴルバチョフ 精神革命としてのペレストロイカは、「目的のためなら手段を選ばない」というボルシェビキの考え方を放棄することから始めました。
 その考え方に代わって、われわれは、人間主義を宣言しました。人間こそつねに″最終目標″であらねばならない。そういう意味では、私たちはガンジーが示した道を歩んだことになります。
 そして、新思考の理論と実践において、最大のポイントは、安全保障に関する新しいコンセプト(概念)でした。世界的な核惨事製の脅威をなくした、国の安全保障モデルは可能なのだろうか? 安全を維持し、かつ人類が核による自滅の脅威から完全に解放されるためにはどうすればよいのか? 新思考のなかで浮上してきた、こうしたいくつかの問題を解決しなければなりませんでした。
 池田 まず、東西二つのシステム、二つの陣営の共存と協調ということから始めたわけですね。
 ゴルバチョフ そうです。われわれは力の政策に立脚した軍事ドクトリン(原則)に対して、相互の利益と均等な安全のバランスという、それとは反対のコンセプトを掲げました。
 私たちは、国際関係において、形成されつつあった新しい民族国家の役割が高まっている現実を確認しました。これは、利益の多様性と、選択の自由という原則を考えなければならないことを示唆しています。このことも新思考の重要な要素となりました。
 世界の根本的な変化を分析していくなかで、その他の画一的思考も多くの点で克服することができました。そうした思考は、わが国の可能性を閉ざし、国際舞台において、わが国の意図や行動が、往々にして根拠のない疑念を受ける原因となってきたのです。
3  ソ連への「目を開いた」豊かな直接交流
 ゴルバチョフ ここで、海外の国家元首から一般市民にいたるまでの幅広い階層、権威ある学術・文化人や作家、政党、社会団体の幹部や代表、労組や社会民主派のリーダー、宗教家、議員等と私たちとの交流が大きな役割を果たしました。
 このような豊かな直接交流によって、世界はソ連に対してあらためて「目を開いた」のです。また、われわれのほうでも外の世界をよりよく見つめ、理解しました。ともに世界的な問題を話し合い、解決を模索しながら、異なる文化や伝統精神から生まれた思想のなかにも、有益性を見いだすことが可能になりました。
 たとえば、一九八六年のデリー宣言がその一例です。こうした新しい動きも相まって、自由や民主主義といった″価値″の問題をめぐって、相互理解も深まるようになりました。
 これらすべてがソ連の外交政策に躍動力を与え、大きなイニシアチブをとることができました。
 それは、西暦二〇〇〇年までの段階的核兵器廃絶計画であり、「欧州の共通の家」構想、アジア太平洋地域での関係再編、防衛のための十分性および非攻撃ドクトリン、国および地域安全強化の方策としての武力装備レベルの低減、他国駐留ソ連軍と基地の撤退、国際的な経済・環境保全、国際政治への科学の直接関与等々です。
 池田 積極的な平和外交を進めるうえで、とくに念頭においたことは何だったのでしょうか。
 ゴルバチョフ 私たちは国家関係の基礎に対話をおき、軍縮の分野では、より突っこんだ相互査察への用意を念頭におきました。これによって、従来の世界観の枠を大きく超えて、信頼の輪が広がりました。
 そして、私たちは思想的にはかなり違いのある西側の政治家からも、十分に相互理解と共存・協カヘの意志を引き出せることがわかったのです。
 ともに考え、模索していこうとの私たちの真剣かつ率直な呼びかけは、世界で大きな反響を呼びました。グラスノスチ、ペレストロイカは、われわれの外交政策上の構想やイニシアチブに、″実質的な″説得力を与えたのです。
 池田 世界がソ連に対して「目を開いた」とおっしゃいましたが、率直に言って私も、その一人です。
 もとより、「制度」よりも「人間」を重視する仏法者として、私は、いかなる社会体制であろうと、そこに人間がいるかぎり対話は可能であるとの信念に立って、私なりに人間外交、民間外交を積み上げてまいりました。
 しかし、字義どおりに、互いの立場や国家、社会体制の相違を超えて、人間対人間の対話を交わすことは、困難なものです。
 とくに政治家となると、真に開かれた人間的対話の可能性はますます希少になってきます。「国家や制度のなかにいる人間」を感じても、「この人のなかに国家や制度がある」と感じさせる風格と人間的な大きさを感じる場合は、まことに稀です。
 私にとって、あなたはまさにその稀な一人でした。ゆえに、私は一九九〇年の初会見のあと、日本のある新聞からあなたの印象を尋ねられたさい、端的に「話のできる人、話せばわかる人」と答えました。
 トップとトップが、人類の未来に責任をもち、腹を割って話し合うことが、時代の開塞状況を打ち破る不可欠な道である。それが、私の二十年来の夢でした。その夢の実現化へ、大きく踏み出してくださった。その意味からも、世界中の人々を魅了したあの″ゴルビー・スマイル″よ、永遠なれ! と祈らずにはおれません。
 ゴルバチョフ 池田さん、あなたはご自身の平和旅によって、鉄のカーテンのもとでも、平和への対話や民間外交が可能であることを証明しました。
 一九九三年四月、東京でお会いしたとき、一九六〇年代のことを話してくださいましたね。冷戦の真っただ中にあった当時、あなたの創立された政党は、すでに日中国交回復に向けて努力されていたとうかがい、たいへん感銘しました。
 そのようなイニシアチプをとられたことで、非難中傷を受けられましたが、それでもあなたの平和への信念は変わることがなかった。そして、勝利されました。いや、歴史の真実が勝ったといったほうがいいかもしれません。冷戦は人類益に反していたのです。
 池田 恐縮です。私は一民間人です。あなたの世界的規模での歴史への貢献は永久に消えません。あとは、この平和への道を、人類が協力し、いかに広げ、進んでいくかです。
4  「冷戦」の終焉、世紀末のカオスの闇
 ゴルバチョフ ありがとうございます。
 新思考に立脚した政治のペレストロイカは、最初の数年ですでにいちじるしい成果を生みましたが、戦争の脅威を追い払うことができたのが、いちばんの成果といえるでしょう。
 では、具体的にみるとどうでしょうか? まず第一に、ソ米関係が改善されました。核兵器とその運搬手段の削減条約が結ばれました。国家レベルではもちろん、とくに民間レベルで、欧州の協調プロセスが勢いを得ていきました。
 ソ連軍のアフガニスタンからの撤退は、新しい政策への信頼を強めるうえで重要な段階を開きました。そしてこれは、地域紛争解決の推進力ともなったのです。
 あなたは新思考の運命についてお尋ねになっています。いうまでもなく、人類文明に刻まれた亀裂は、われわれが新思考をつくりだすときに想像していたよりも大きく、深刻でした。
 イデオロギー上の対立がなくなったからといって、それが自動的に完全な世界平和をもたらすわけではありません。核の脅威はたしかに弱まりました。しかし、私たちが今まで考えもしなかった、新しい脅威が少なからず出てきています。
 池田 そのとおりです。私もここ数年、同趣旨の問題について、何回となく私の立場で提言し、指摘してきました。
 ゴルバチョフ 「冷戦」は、十九世紀から二十世紀初めにまでさかのぼる過去を含めて、「冷戦」そのものとは直接関係のない、多くの地政学的・民族的対立を凍結する働きをしました。そして、ポスト大戦時代の国際秩序は安泰であるかのような印象を与える、ある種の″疑似安定状況″が生まれたのです。
 しかし、「冷戦」の麻酔が切れると、それまでひそんでいた多くの矛盾が爆発するように、さまざまな現象が現れました。なかには、すぐに紛争となり、武力衝突、国家の崩壊にいたる場合もありました。
 そして核対立によって醸し出された偽りの安定に代わって、混沌たる不安定な状況が生まれました。
 一方、全人類社会の頭上に覆い被さっていたグローバルな脅威は、消えてはいませんでした。それはまるで、私たちが「冷戦」に決着をつけてから、じっくり取り組めるように、時を待っていたかのようでした。
 新たな不安定、拡大の一途をたどる流血と紛争、それを鎮めることのできない国際制度の無力さは、世界全体の精神環境をいちじるしく悪化させています。
 精神の落ち込み、悲観主義、暗い予想、神経障害、日常化した幾百幾千の非業の死に対する感覚の麻痺、難民問題の衝撃――これらはすべて、国際的な政治・社会現象となった汚職やテロ、麻薬ビジネス、密輸、おびただしいばかりの法律や社会ルールの蹂躙の温床となっています。
 池田 世紀末のカオス(混沌)の闇は、たしかに深い。
 ドストエフスキーは『罪と罰』のエピローグで、シベリアに流刑されたラスコーリニコフの悪夢に登場する伝染病について語っています。
 ごく微小な旋毛虫(体が糸状の寄生虫)が発生し、それに取りつかれた人々は、だれもが自分の正義を主張し、悪魔に魅入られたように、互いに殺し合いを始め、殺戮の蔓延はあくことを知らぬ、と。
 まるで、今日の世紀末の混乱を見透かしていたかのような、不気味な響きをたたえています。
 しかし、偉大な変革には時間がかかります。あせる必要はないし、少しも悲観する必要はない。あなたをはじめ私がお会いしたひとかどの人物は、例外なくその深い信念をもっていました。そこからしか、いかなる″希望″も″建設″も生まれませんから。
 ゴルバチョフ そうです。世界を正しくしようとする人は楽観主義でなければなりません。同時に″悪″と戦うために、″悪″を見抜いていかなければなりません。
 池田 賛成です。そのとおりです。
 ゴルバチョフ 私の申し上げていることを、内外の規律を正す「冷戦」の復活の論拠ととらないでください。
 そうではなく、これはむしろ、一九四五年にファシストを連合で粉砕した後、異なった道を選択するまたとないチャンスであったにもかかわらず、「冷戦」へと進んだことが、世界の自然な流れに誤った方向性を押しつけ、いかに多大な損失をもたらしたかの証明なのです。
 今後はどうなるのでしょうか? この問題だけで対話の特別なテーマとなることはいうまでもありません。ここでは要点だけお話しすることにしましょう。
 私たちが″新思考″と名づけた哲学の土台をなす精神的基盤を、深化・発展させていく以外に道はないと私は思います。世界が互いにつながり合っているという点で、浮上してくるのは何でしょうか?
 まずそれは国民・国家の相互責任が要求されるということです。他人のふところを借りて、自分の問題を解決することは許されません。今の世代が自分の幸福と安定を築いて、子孫にそのつけを回す権利はないのです。
 しかし、これはまた別のテーマです。この話題については、二十一世紀の文明について論ずる章でつづけたいと思います。
 池田 そうですね。日本の多くの読者も期待していると思います。ぜひ、お願いします。
5  試練のなかで直観したわが使命
 池田 一九九一年九月二十五日、私はアメリカ・ボストン大学内の研究室に、エリー・ヴィーゼル博士を訪ねました。あの悪夢のごときクーデターから約一カ月後です。会談の冒頭、話題になったのが、博士とあなたとの出会いでした。
 ヴィーゼル氏は、クリミア半島での軟禁から解放され、モスクフに帰った直後のあなたと会っています。氏は、ミッテラン大統領から、ノーベル平和賞の同じ受賞者として、あなたを激励してほしいと依頼されモスクワヘ飛びました。クーデター後、あなたが最初に会った外国要人ではなかったでしょうか。
 ヴィーゼル氏は、そのときのあなたとの出会いが劇的であったことを、私に語ってくれました。
 クーデターのとき、私も、テレビの画面に見入りました。あの快活なゴルビー・スマイルをわずかに残しながらも、いかにも憔悴の色を隠しがたい大統領の姿は、ことのほか心痛むものでした。
 ゴルバチョフ 一九九一年八月の恐るべき日々を思い起こすたびに、国家非常事態委員会の事件は、二十世紀ロシア史において、最も悲劇的な場面の一つであったとの思いがますます強まってきます。
 これは私個人、自分の運命のことを言っているのではないのです。もちろん、人間としても、一政治家としても、私の人生において最も困難な日々であり、瞬間でした。
 池田 その後、あなたは著書の中で、クーデターについて、「個人的なレベルで言えば、最も私の心を苦しめたのは″裏切り″である。死にいたるまでこの思い出は私の脳裏を去るまい」(『世界を震撼させた三日間』福田素子訳、徳間書店)と述べておられますが、シェークスピア劇やギリシャ古典劇をほうふつとさせるような、人間の本性を垣間見せるものでした。
 私が、なぜ、このようなことを申し上げるかというと、当時も今も、あなたやペレストロイカに対して、あまりにも浅薄な意見が多すぎるからです。
 ペレストロイカは終わったとか、左右のバランスに乗ったゴルバチョフ流保身術の破綻とか、ひどいものになると、クーデターの背後にあなたがいたというゴルバチョフ黒幕説まで、じつにさまざまです。
 少々あきれるほかなかったのですが、私には、そうした意見は、語った本人がそのような低い次元、そのような貧しい発想でしか行動できないゆえに生まれると思えてなりません。
 ゴルバチョフ 私個人としての悲劇は、首謀者たちの最後通牒をしりぞけ、決定的な打撃を与えたとき、私自身、権力を維持する可能性を失い、改革を続行できなくなったことです。
 しかし、もし仮に、クーデターの敗北のあとに展開する自分の運命、つまり、ソ連の崩壊、ベラルーシ協定、無数の同志の裏切りが起こることを、私が前もって知っていたとしても、彼らの謀議には乗らなかったでしょう。
 池田 なるほど。あの非常事態のなかで、総裁はまず何を考えましたか。
 ゴルバチョフ 自分の体験として言えるのは、あのような極限の、まさに実存主義的な状況におかれた場合、男は、そして政治家は、まず最も堅固な普遍的価値観を判断の基準とするということです。それは使命感であり、憲法、法律であり、私にとっては民主主義でした。
 民主主義を捨てて暴力を選ぶということは、私にとって、精神的にも、またおそらく政治的な意味でも自殺に等しい行為でした。
 あのような状況下でつきつけられた挑戦状に対して、自然に昂揚した自分の意志が回答を与えました。
 自分がかつて経験したことのない状況の渦中にいると、事態そのものの強烈な印象にかき消されてしまい、恐怖など感じることさえなかったのです。
 そのときまず最初に考えたことは、自分がどのような行動をとるべきか、どう判断を下すべきかということでした。
 極限の事態が発生した八月十八日、これまでの人生に幕が下り、何か特別なもの、次の特別な段階が始まったことを、私は直観しました。これまでとはまったく違う使命が、自分に課せられていることを理解したのです。
 私は、ライサと娘のイリーナ、彼女の婿アナトーリーにこう告げました。事態は非常に深刻だ。脅しや逮捕、あるいはそれ以外のことがあるかもしれない。ともかく、何があってもおかしくない状況だ。しかし、どんな脅しがあろうと、どんな圧力がかけられようとも私は負けない。自分の信念を曲げることはできないからね、と。
6  人間の根本的平等が民主主義の根幹
 池田 あなたにとって、民主主義というものが、いかに尊く普遍的な、そして譲ることのできない価値であるかが、ひしひしと伝わってくる言葉です。
 平和と同様に民主主義も、私は「制度」の側面と「価値」の側面とがあると思っております。「制度」の側面から見れば、平和とはたんなる戦争のない状態、戦争と戦争との幕間劇にすぎず、民主主義といっても、異なる利害を調節し、妥協させるためのシステムといった相対的なものでしかなくなる。
 しかし、「価値」となると違います。「何か」を守るためには一身を賭し、死をも辞さぬという覚悟の人によってのみ、平和や民主主義は命脈を保つことができます。
 その「何か」とは、ジードの言う「人類であり、その運命であり、その文化」(『ソヴエト旅行記』小松清訳、新潮文庫)である。また、オーウェルの言う「あまねきデイスンシイ(品格)」(『カタロ・一ア讃歌』新庄哲夫訳、早川書房)がそれに当たるといえましょう。
 しりぞくことを知らぬ民主主義の護り人たるあなたにとって、その「何か」とは何であったのか――今までの対話で、答えがある程度出ているようにも思いますが、あらためて問いかけてみたいと思います。
 私は、あなたのあのスマイルに、ホイットマンの言う「人間的な感情、友情、善意によって、絶えず修正が加えられる」「快活な宗教的熱情」(『民主主義の展望』佐渡谷重信訳、講談社)を、二重写しにしているのです。ホイットマンは、そうした熱情こそ、民主主義の建設に欠かすことのできない精神的基盤としていました。
 ゴルバチョフ 池田さん、民主主義を「制度」的な側面と精神的な「価値」の側面に分けてみる、というあなたのお考えに私も共感をおぼえます。
 残念ながら、今のロシアでは、民主主義の技術、つまり、選挙・国民投票などの民主的プロセスそのものを、その本質と混同してしまっています。公平な直接選挙、分権の原則等が大事であることは当然として、さらにそれ以上に、民主主義の根幹をなすもの、つまり人間の根本的平等という理念が重要なのではないでしょうか。
 他人のなかに、自分となんら変わらない同じ″人間″を見いだしていく術を、だれもが学ばねばならないと思うのです。
 どの人もかけがえのない生命体であり、自分と同じように希望をいだき、同じように幸せを求め、人生の喜びを味わいたいと願っていることを理解することが重要です。この深い平等観を自身の内にもっている人こそ、真の民主主義者といえます。
 池田 おっしゃることは、仏教の精神とも深く通じております。
 私どもの宗祖日蓮大聖人は、「末法の仏とは凡夫なり」と述べ、仏教における理想的人間像を民衆のなかに求めました。
 そのうえで「同苦」「共苦」の精神を根本に、あくまで民衆と苦楽をともにしていくことこそ、無上の仏道修行であると説きました。それはそのまま、あなたのおっしゃる真正の民主主義者の精神にもあてはまるといえるでしょう。
 ゴルバチョフ よく理解できます。
 ところで、あなたは、信じていた人に「裏切られた」ときの私の気持ちについてお尋ねになっていますが、正直に申し上げましょう。
 クーデターが起きたとき、長年一緒にやってきた人々の裏切りほど、私を驚かせたものはありませんでした。
 警備部長プレハーノフ将軍や国防相ヤゾフ元帥など、私が恩恵を与えてきた人々の裏切り――想像もつかないことでした。しかし、私が最も衝撃を受けたのは、学生時代からの仲間だったルキャノフの裏切りです。
 池田 さぞかしショックだったでしょう。あなたのような世界史の舞台ではありませんが、私も、恩師と出会ってから半世紀近く、幾多の背信、裏切りのドラマに遭遇してまいりました。
 そのうえで、確信をもって言えることは、裏切りというものは、ある意味で、犯罪以上の犯罪であるということです。
 ダンテの不朽の大著『神曲』では、地獄の最下層に裏切り者たちがおかれています。
 普通の犯罪は、悪いことにはちがいないが、それぞれ、どこかに救いの手を差しのべる余地があるものです。しかし、裏切りは、信頼という人間の最も美しい心の世界を、まるごと土足で踏みにじるような行為です。
 ゴルバチョフ 辞任という試練を経た今、あの八月の裏切りについてはもう冷静な気持ちでいます。
 ただ、腹立たしいのは、ネオ・スターリン主義者やわが国の″ご立派な″民主主義者が、あの事件をめぐってつくり上げた忌まわしく卑劣な嘘です。なぜ彼らはそんなことをするのでしょうか?
 今やだれからも脅される心配はないはずです。ゴルバチョフ批判でそんなに大儲けをしているとも思えません。
 しかも、この嘘によって彼らは、私ではなく、ほかならぬ自分自身を滅ばしているのです。これはマゾヒズムであり、憎悪によって堕落した人々の狂乱の姿です。
 ここで事件を思い起こしているのは、自分のことを言うためではありません。もちろん、私も生身の人間ですから、自分の行動をつねに振り返ってみなければなりません。ともかく、事件には多くの疑問があります。
 池田 そうですね。いまだに真相がわからないことが多い。
 ゴルバチョフ 変わらぬ信義で結ばれている私の友人の多くは、フォロス事件後の顛末を変えることは不可能だった、いずれにしても同じ展開になったであろうし、政治家としての私個人の運命も変わらなかっただろう、と言います。
 はたしてそうでしょうか。わかりません。いったい、すべてが運命としてさけられないものなのでしょうか!
 しかし、繰り返し申し上げますが、悲劇の対象は私ではありません。より正確にいえば、私の″心″なのですが、それはもう最重要のことではありません。
 嘆くべきは、この事件が起こり、その評価が下されたときに存在していた道徳的基盤がすたれつつある、ということです。
 池田 民主主義という言葉の理念、価値が、かくも貶められてしまったことへの痛憤は、真正の民主主義者であればあるほど、抑えがたいものであると思います。
 ペレストロイカによって、あのクレムリンにおいても″信頼″や″友情″といった徳に関する言葉が違和感なく語られ、従来のイメージとは異なり、隔世の感を深くしたものです。
 そして、″信頼″″友情″は、ソフト・パワーの″核″をなすものであり、そうした意味からも、ペレストロイカは、国連を中心とするソフト・パワーの時代の形成に、計り知れない重みをもった″一石″を投じました。
7  政治に対するシニシズムの危険な横行
 ゴルバチョフ 一九九一年八月の事件は悲劇的ではあったものの、構図は単純でした。反動主義者・改革反対派対民主改革派。一方はペレストロイカ、民主改革を受け入れず、人々の不満に乗じて犯罪行為に走りました。もう一方は、ロシア史の重大な局面にあって、民主主義と憲法、合法権力を守るために立ち上がったのです。
 信じられないかもしれませんが、八月事件の渦中にあったときのほうが、今、それを思い返すよりも気持ちは楽だったのです。
 悲しいことに、当時、民主主義を守り、ホワイトハウス(最高会議ビル)を守った人々の多くが、その後、民主主義を裏切りました。これは、エリツィンの問題ではありません。″エリツィンは、ゴルバチョフを救ったというより、以前から考えていたゴルバチョフ排除計画を実行に移しただけだ″と遅ればせながらポポフが発言したことも、私にとってそれほど意外ではありませんでした。
 九三年にホワイトハウスを砲撃したのは、じつは九一年八月に、ホワイトハウスを守った人々であった――これこそ悲劇です。
 このとき、民主主義の理念をもっていると考えられていた人々の多くが、民主主義の利益と価値を売り渡してしまいました。今や彼らは、ロシアに独裁主義を確立するよう呼びかけ、彼らにつづいてきた人々を侮辱しているのです。
 その結果、二十世紀最大の悲劇の一つであったものが、″茶番劇″として映るようになってしまいました。
 池田 わが国でも、一九九四年、ご存じのような政変劇が起きました。四十年間、水と油のように対立してきた政治勢力が、一朝にして手を結びました。
 ここで、その是非は議論しませんが、無視できないのは、政党にとっての政策や理念、言い換えれば、政治の世界における「言葉」というものが、救いようのないほど重みを失ってしまったということです。
 政治家の口にする「言葉」は、かくも軽く、ご都合主義的でいくらでも取り換えがきき、他愛のないものでしかないのか――。
 そこから生まれるものは、政治に対する徹底したシニシズム(冷笑主義)でしかないでしょう。
 こうした政治への″斜視眼″、ある意味でたいへんな危険をはらむシニシズムが横行している点では、ロシアも日本も共通する事情があるのではないでしょうか。
 「言葉」が、かくも軽くなってしまった社会では、悲劇など起こりようがないのかもしれません。「綸言汗の如し(汗をかくと引っ込めようがないように、天子=為政者の言葉も、いったん口にしたら引っ込めることができない)」と言われるように、それなりの責任感に裏づけられてこそ、「言葉」は初めて重みをもちます。
 何の責任も人格も感じさせない「言葉」が、ふわふわと紙片のように浮遊したところで、ドラマの素材にもなり得ず、悲劇など成り立ちません。
 D・H・ローレンスが「現代は本質的に悲劇の時代である。だからこそわれわれは、この時代を悲劇的なものとして受け入れたがらないのである」(『チャタレイ夫人の恋人』伊藤整訳、『世界文学全集』55所収、筑摩書房)と言っているように、逆に、悲劇と無縁な精神状況にこそ、現代の惨たる悲劇性があるといってもよい。
 ゴルバチョフ あなたのおっしゃる意味はよくわかります。
 池田 現代は、精神が″深さ″というものと無縁になりつつある時代ではないでしょうか。
 あるロシアの識者は「残念ながら、今、モスクワで人気のある作家は一人もいません」と自嘲気味に語っていますが、それは、卓越した精神にとっては、およそ散文的で、退屈で、眠気をもよおすような状況です。
 それに比べれば、厳重な検閲制度のもとで、発禁書が地下出版でひそかに回し読みされていた時代のほうが、まだしも精神の深さという次元に棹さすことが可能であったのではないかと思います。もとより、その時代をよしとするのではなく、現在の状況を実り多き未来への過渡期と位置づけたうえでのことです。
 話が一般論へと広がってしまって恐縮です。私が申し上げたいのは、欧米や日本の大衆社会の抗しがたい波が、ロシアにも押し寄せているのではないか。
 そして、オルテガ・イ・ガセットが懸念したような、自己満足と薄っぺらな勝利感に酔いしれた「自己閉塞性」と、いかなるルールや規範にも従おうとしない自分勝手な「不従順さ」を、魂の基本構造とする「大衆」の支配する社会が、到来しつつあるのではないかということです。
 ゴルバチョフ いいえ。池田さん、あなたは主題からそれてはいません。あなたが提起された問題は、きわめて今日的であり、現在ロシアで起こっているドラマの本質に迫るものです。
 この問題を私は、職業政治家として、またロシアの一市民として懸念しています。社会生活の政治化は、社会の精神的基盤に内側から崩壊をもたらします。
 そこで浮かび上がってくる疑問があります。初めて民主化を試みている私たちロシア人は、ほかよりもより多くの対価を払っているのではないか? 民主化はつねに社会生活に分裂をもたらしてきたのか? それとも私たちのロシア社会だけがそうなのか? 国を民主化するために、もっと痛みをともなわない道はないものか?
 正直に申し上げると、私たちは、ペレストロイカを始めたころ、いろいろな意味でロマンチストで、ナイーブだったと思います。
 国の指導者が自由な一般選挙で選ばれるようになれば、そして、国民に選ばれた代表者によって、議会が国民の利益を護る場になれば、良識が尊ばれる雰囲気が生まれ、そこで行われる自由選挙では、賢明で、誠実で、皆の幸せを願う人間が権力の座に送られるであろうと考えたのです。
 ところが現実はまったくそうではありませんでした。社会運営の質は、私たちの時代にもまして粗悪になっており、責任感が薄く、プロの自覚も希薄です。これほど役人の気風が堕落したことはかつてなかったことです。
 池田 グラスノスチのところでも若千ふれましたが、あなたのおっしゃるような欺瞞から人類を救うためには、早道も近道もない。
 結局は、平凡なようですが、民衆一人一人が賢明になる以外ないと思います。
 私どもの仏法運動も、その一大啓発運動であると位置づけています。
 昨年(一九九四年)五月のモスクワ訪問のさい、アイトマートフ氏にも強調したことですが、そのためには、粘り強い一対一の対話、ピラミッドの石を一つ一つ積み上げるような地道な対話の蓄積以外にありません。
 世界には、テレビなどのマスコミによって宣伝し、布教活動を進める宗教もあるようですが、宗教活動の基本はあくまで、膝を突き合わせての対話であるというのが、私どもの信念であり、実践なのです。
 今後も、民衆が強く、より賢明になるための地道な行動をつづけていきたいと念じています。
 ゴルバチョフ 私も、テレビによって宗教心を育てることができるとは思いません。本当の精神の開明は、一対一の対話を通じてのみ可能となります。
 国家非常事態委員会の謀議者たちが、自分のやっていることを愛国的行動であると見せようとしたことほど、一九九一年八月に起こった出来事の倫理的、政治的意味をゆがめているものはありません。
 先日(一九九四年七月七日)、フレンニコフ将軍の恩赦拒否によって再開されたクーデター裁判で、私は法廷に立ちました。ちなみにワレンニコフは、八
 月十八日にクリミアの私のもとへ来て、辞任を迫った四人目の人物でした。これは思い出したついでにお話ししたまでです。
 法廷で私は、国家非常事態委員会のメンバーを愛国主義の味方であるかのように見せるのは、″仮装茶番劇″だとはっきりと言いました。もしも、裁判でこんなことが勝利するのであれば、われわれは決して一つの国として存在していくことはできません。クーデターの張本人たちが英雄でいられる国で、その市民だなどと思える人はいないはずです。
 池田 ご心境、察してあまりあります。
 当時、あなたは新連邦条約を進めていました。それについては、さまざまな議論がありましたね。
8  ″開かれた人格″こそ一切の争いを解決
 ゴルバチョフ 条約の調印によって、各共和国と連邦中央指導部とのほどよい政治的バランスがとれ、連邦と連邦市民権の維持、刷新ができるはずでした。新連邦条約は、「合同」ではなく単一の連邦市場と、単一の軍を維持、発展させるものでした。連邦国家としての安全保障と、単一の外交政策がつらぬかれるはずでした。
 新連邦条約調印の挫折。これも国家非常事態委員会のしわざです。この条約の調印は、国の崩壊を阻止する唯一の実質的な選択肢でした。
 歴史は、私の意志に反して逆行してしまいました。八月の事件のあと、ほんの数日の間に、全共和国が独立を宣言しました。
 国の中枢機関に対する憎悪を社会全体に呼び起こした人間を、どうして愛国者と呼べるでしょうか?
 ちなみに、ソ連邦大統領がフォロスから帰還したあとも、中央を無視して、何の承諾もなく大統領令を出しつづけていたロシア大統領の行為も、国の崩壊を進めました。ロシアはだれのことも無視して号令をかけ、すべてを支配する権利をみずからに与えたのです。
 ロシアの政治家たちに言わせると、八月革命の″収穫″をしたというわけです。八月クーデターは、多くの民族を歴史的首都モスクフから引き離し、民族感情を煽っていったのです。
 池田 事態は、予想以上のスピードで進んでいきましたね。
 ゴルバチョフ ええ。連邦の維持、刷新、改革は、ソ連邦大統領としての私の最大の政治的また倫理的ともいえる課題だったのです。私は連邦維持に全力をかたむけました。
 そのときに支えとしていたのは、国民投票で圧倒的多数によって示された国民の意思でした。この国民投票は、かなりの抵抗にあいながらも、私のイニシアチブで行われたものです。
 ネオ・スターリン主義者たちを首謀者とするクーデターは、「決戦」を呼びかける煽動家たちの手に社会を渡してしまいました。
 この事件につづいて、ベラルーシ協定、そして「ショック療法」、上からの強制的な新ロシア革命が行われていきました。ロシアは能なし愛国者のために、またも分散の道をたどってしまったのです。
 ごらんのとおり、この事件は、私個人のせまい経歴の枠を超えてしまっています。そして、私たちにロシア史の深淵をのぞかせ、愛国主義、民主主義の真と偽の違いを考えさせます。逃してしまったチャンス、取り返しのつかない損失といった、歴史が本来もつ悲劇性について考えさせます。
 歴史でさえ、冒険主義者たちの謀略を前にして無防備だというのに、自分個人の孤独を嘆いていられるでしょうか。
 池田 率直な、そして肺腑をえぐるような心情の吐露に私は深く感銘するとともに、心からのエールを送りたいと思います。
 「連邦の維持、刷新、改革は、ソ連邦大統領としての私の最大の政治的また倫理的ともいえる課題だった」というあなたの言葉に私が心を動かされるのは、物事に対処するあなたの姿勢とスタンスが、″開かれた心″″開かれた対話″におかれているからです。
 私はそこから、まぎれもない「人格」の声を聴き、「人格」の力を感じとります。そうした″開かれた人格″こそ、国内、国外であるとを問わず、一切の争いを解決していくカギとなる、ソフト・パワーの最大にして不可欠な要因です。
 私が、四年前、ハーバード大学での講演でソフト・パワーについて論じたさい、コメンテーターの一人であった同大学のジョセフ・ナイ教授は、「ソフト・パワーとは協調の心のことである」という、じつに的を射たコメントを寄せてくれました。
 互いに心を開いて語り合い、譲るべきは譲り、協調しあいながら共存共栄していこうという基本的な姿勢、スタンスがなければ、紛争の恒久的解決など絵に画いた餅にすぎません。
 ゴルバチョフ 同感です。それこそが、私たちが進めようとしてきたことですから。
 池田 九〇年初頭、リトアニアを訪れたあなたが、首都ビリニュスの街頭で、ソ連の旧悪を暴露しながら激高する民衆を相手に、「仲よくやっていこう」と必死に説得に努めていた映像が、目に焼きついております。
 成否をだれがあげつらおうとも、私は、そこに、ソフト・パワーの真髄を見る思いがしたのです。
 あなたは「歴史でさえ、冒険主義者たちの謀略を前にして無防備だ」と嘆いておられます。しかし、やみくもな欲望や熱情が、一時的に勝利を収めたかのように見えても、歴史を長いスパン(期間)で見れば、時流の淘汰作用によって、結局彼らは、自分で自分の墓穴を掘っているにすぎないことが洗い出されていくものです。
 ゴルバチョフ まさにそこに、人間存在の悲劇とドラマがある、といってよいのではないでしょうか。
 遅かれ早かれ、人間は道徳の報復を受けなければならず、正義は必ず訪れるものです。たとえば、皇帝ニコライニ世の家族を毒牙にかけた殺人者は、ついにはロシアで罪に問われました。この事実は、ロシア人の道徳的教育という観点で重大な意味をもちました。ただそれは、七十年の歳月を経てのことでした。
 罪もなく犠牲者となった人々は、ずっと罪なき犠牲者でありつづけなければなりませんでした。歴史の法則が流れる時間と、道徳的人間の内面世界を流れる時間とは、異なる尺度をもっています。ここでは、洞察の位相が合っていないのです。
 正義が証明されるのは、ロシアの人々が暴力によらない為政者を尊敬し始めるとき、そしてソフト・パワーを選択するときで、私たちはすでにこの世にいないでしょう。
 池田 ご心配は無用です。何が正しく、何が誤っていたのか、私たちの子どもや孫の世代がきっと見極めてくれますから。
 歴史を残すことが、未来に道を開くことです。総裁は大いなる歴史を残しました。人類史を「平和」へと前進させた人です。
 私たちは仕事をつづけましょう。新しき歴史を創りましよう。

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