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日蓮大聖人・池田大作

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世界を変えた″第一歩″の決断 新思考外交とグラスノスチと

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

前後
1  無秩序を自由と呼ぶ「自由の背理」
 池田 引きつづき「人類史の新しき舞台で――二十一世紀のペレストロイカ」について、かのプラトンが提起する問題から始めたいと思います。
 プラトンの大著『国家』は、「洞窟の譬喩」や「哲人王の理想」など、政治学の百科全書のような本です。とりわけ、政体論をあつかっている第八巻は、古今を通じて白眉といってよいでしょう。民主主義社会が、その自由をあつかいあぐね、はき違えてしまった結果、僣主制という圧制におちいってしまう、いわゆる「自由の背理」「自由のパラドックス(逆説)」を生々しく浮かび上がらせているからです。
 プラトンの言葉を借りれば、はき違えとは、「慎みをお人好しと名づけて」「思慮を女々しさと呼んで」「ほどのよさやしまりのある金の使い方を、やぼったいとか自由人らしくないとか理由をつけて」(『国家』、『プラトン2』〈津村寛二訳〉所収、筑摩書房)それらの美徳を追放してしまう。
 逆に「傲慢を育ちの良さと呼び、無秩序を自由と呼び、浪費を気まえの良さと呼び、無恥を男らしさと呼び」、悪徳群に「花冠をかぶらせて、盛大な合唱団とともにはなばなしくつれもどす」(同前)と。
 精読していくと、まるで現代を論じているように身につまされる迫真力ある筆の運びです。自由というものが、いかに危ういものであるか、人間が自由であることが、いかに困難であるか――これが『国家』全編を一本の太い糸のようにつらぬいている大テーマです。
 ゴルバチョフ そうですね。私は反文化を民主主義とする行き方を、なによりも懸念せずにはいられません。
 わが国について申し上げれば、ロシア人は、その民族的性質、政治的伝統のためか、自由について独特の解釈をしているのです。社会の大半の人にとって、自由は「わがままが罷り通ること」と同義になっています。
 たとえば、つい最近までは酔って通りをふらつくのは危険なことでした。泥酔者は警官に捕らえられ、泥酔回復所に送られたからです。そうなると、後で職場に通知されることになっていました。ところが今や、通りでアルコールを飲んでいる人は決して珍しくありません。若者たちが開放気分に浸っている姿もよくみかけられます。そして、このだらしなく乱れたスタイルを、ときに″民主主義″だと思っています。若者向けの新聞は、そのような″民主主義″を擁護し始めました。
 池田 一般市民は、そうした傾向をどのように受けとめているのでしょうか。
 ゴルバチョフ 汝の生き方を汝自身で選択する自由、自分の人生に責任をもち、家族や身近な者の幸福を責任をもって支えていくという意味での自由を、わが国の大衆は好みません。ことに、自立した考え方をもつことは尊敬されてはいません。今もなお、安易な決定と出来合いの知識のほうをより好むのです。
 個々の人間になんらかの罪があるわけではありません。これはわが民族の不幸なのです。わが国はこれまで一度も民主主義を経験したことがありません。市民社会が生まれ育つ時間はありませんでした。
 池田 今、総裁は現状を率直に語ってくださいましたが、こうした自由と民主主義の問題は、貴国だけの問題ではありません。
 ゴルバチョフ 伝統的ロシア専制主義は、唯物論と他人に自分の運命を預けてしまうような生き方を生みました。
 ロシアをこよなく愛した、かのイワン・ブーニンにしてなお、二月革命が失敗した原因を分析するなかで、すべての罪は農奴制にあることを認めざるをえませんでした。
 彼は、「あの男衆たちは、新しい体制のことなどおぼろげにしか知らない、と言っていた。しかし、知らなくてむしろ当然なのでは? 生まれてからこのかた、貧しい家の周りしか見ていないのだから! 他のことには関心をもっていない、自分の国家のことにも。自分の国のことなど知らないし、デシャチーナ程度の自分の小さな土地以外はロシアの大地を感じたこともないのに、どうやってデモクラシーを可能にできるというのか!」と書いているのです。
 その後、行政的社会主義の時代を生きたロシアの人々が、やはり国家の運営に参加する習慣を身につけてこなかったことを、ここであらためて説明する必要はないでしょう。
 池田 私はかつて、EC(欧州共同体)の生みの親であるクーデンホーフ・カレルギー伯と対談(『文明・西と東』サンケイ新聞社)したことがありますが、カレルギー伯も同趣旨のことを言われていたのが、印象に残っています。
 ゴルバチョフ 今まで申し上げた理由で、二月ブルジョア革命の後、″自由″と″わがまま″を差し替えてしまった一九一七年と同様に、今も大衆は「ワーシャは、ぶらついていればいい」的な生活をしているのです。
 今、わが国では、「総禁止制度」から新しい「総わがまま制」への怒濤のような移行が、いかなる後遺症を生んでいるかについて、グローバルで真摯な哲学的研究さえなされていません。じつに残念なことです。現在の民主化移行の教訓は普遍的意義をもっていると、私は考えます。そこには、プラトンでさえ予見しえなかった事象が多く含まれており、十分思索に値するものです。
2  「偽りに生きない」という呼びかけ
 ゴルバチョフ 正直なところ私は、ソルジェニーツィン氏が、最近ノボシビルスクの学術会館で行った講演の中で、グラスノスチが「民族主義の噴出、武器の横行、犯罪の増加」を誘発したかのように批判したことに驚きを禁じえません。
 もっとも、ソルジェニーツィン氏の考えが新聞紙上では、歪曲されてしまったのかもしれません。というのも、グラスノスチこそが、「偽りに生きてはならない」とのソルジェニーツィン氏自身の呼びかけに応えるものだったということを、ロシアの偉大な思想家の彼が理解しないはずがないからです。
 池田 いうまでもなく、ソ連時代の反体制知識人の代表だったソルジェニーツィン氏が、ノーベル文学賞を受賞したのは一九七〇年のことでした。反ソ活動のため逮捕、国外追放になり、一九九四年五月の帰国は、じつに二十年ぶりでしたね。
 ゴルバチョフ グラスノスチを進めたわれわれにとっては、「偽りに生きない」とはすなわち、二十世紀の悲劇の歴史の真実を語ることであり、革命、集団化、スターリン粛清のときに、そしてすべての時代において、実際何が行われたのかを語ることではないでしょうか。
 また「偽りに生きない」とは、われわれの経済について、われわれの問題について語ることです。さらに、「偽りに生きない」とは、図書館の特別保管室を開き、それまで禁書とされていた書籍、亡命した政治家の書いたもの、革命を受け入れなかった思想家、作家の作品を読むことを許可することにほかならないはずです。
 池田 それは、よくわかります。
 ゴルバチョフ ソルジェニーツィン氏がグラスノスチを否定したとは、私には信じられません。なぜなら、グラスノスチは、なによりも先に、ソルジェニーツィン氏の言論の自由を意味したのですから。彼の作品『収容所群島』が初めてロシア語で何百万部も出版され、『赤い車輪』が多くの雑誌に掲載されるようになったのは、言論の自由とグラスノスチ政策が行われたからです。しかも、犯罪の増加が、ここでどんな関係があるというのでしょうか!
 問題をはき違えるべきではありません。グラスノスチ政策と自国民への信頼とは同義のものです。グラスノスチに反対した人々、また反対している人々は、自国の人々の精神的力を信じていないことになります。ですから、「真実のための闘争」の原点ともいうべきソルジェニーツィン氏が、グラスノスチ政策への不信を表明するとは、とても信じがたいのです。
 池田 ソルジェニーツィン氏がどのような発言をしているのか、私は、審らかでないのですが、歴史上、大人物同士の、後からみると考えられないような誤解やすれ違いはよくあるものです。
 たとえば、アインシュタインとベルクソンがそうです。ご存じのように、ベルクソンは時間について精緻な思索をこらした、古今無双といつてもよい哲学者です。その思索に重大な衝撃を与えたのが、アインシュタインの相対性理論でした。
 その物理学上の画期的な新理論と格闘しながら、ベルクソンは思索を深め何度もアインシュタインにエールを送りましたが、アインシュタインの対応はまことにそっけないものでした。両巨人の触発が深まれば、多大な学問上の実りをもたらしたことは確実であったでしょう。
 私は、あなたとソルジェニーツィン氏との間に、そうしたすれ違いがあるように思えてならないのです。ロシアの解放にあずかって力あった巨人同士の反目など、決してみたくありません。
 はなはだ僣越ですが、あなたとソルジェニーツィン氏とが、直接お会いになり、胸襟を開いて話し合われてはと、貴国の友人の一人として願わずにはおれません。
 ゴルバチョフ 池田さん、あなたは私の意図をほとんど察知されているようですね。おっしやるとおり、ソルジェニーツィン氏と誌上で論争し、白黒をつけようとしても意味がないと、私も思います。それよりも、直接会って、互いに考えていることを、不満と異論をすべてぶつけ合うほうがよいのでしょう。
 重要なことは、双方が何をもって国を助けられるか、民主主義を不可逆的な流れにすることができるかです。ソルジェニーツィン氏とは語り合うべきことがあるのです。私も彼も、それぞれが自分のやり方で、自分の可能性を使って、一つの同じことを行ったのですから。私は、本質的には、ソルジェニーツィン氏が始めたことの仕上げをしたのです。
 池田 重ねてお二人の出会いを、期待したいと思います。
 ゴルバチョフ つまるところ、虚偽やデマゴーグの口実となる言論の自由のジレンマも、また創造性と精神性の発達を抑圧する検閲も、決してロシアに特有の問題ではないはずです。
 ロシア史の特殊性のゆえに、わが国ではそれが、固有の性格を帯びていることは否めないかもしれませんが、いかなる時代、いかなる国であれ、言論の自由がまやかしの予言者に利用され、人々が真理の「穀物」と有害な「雑草」とを見分けられないという危険は、つねに存在しているのです。
 ところが、これまでありとあらゆる道徳的、精神的カタストロフィー(破局)、宗教、階級、民族的蒙昧もうまいが繰り返されてきたにもかかわらず、人間の良識、良心、精神性はそれらに耐えぬいてきました。
 まさに人類文明の文明たるゆえんはそこにあるのではないでしょうか。
 であるならば、グラスノスチの実施、すなわち真実を禁止した制度を撤回するにあたって、私たちが自国の民衆の英知を信頼してはならないという理由は、どこにもなかったことになります。
3  民衆が自らの主役、歴史の主役となる
 池田 あなたの人間への信頼、心の大きさに心から敬意を表します。
 ツィプコ氏とお会いしたとき、あなたとレーニンのメンタリテイー(心的傾向)を、対極に位置づけていたのもわかるような気がします。こう言っては失礼かもしれませんが、レーニンの人格に最も欠けていたのが、その心の広さではなかったかと思います。
 わが国の優れた文学者であった芥川龍之介は、同時代を生きたレーニンのメンタリテイーを、
 「誰よりも民衆を愛した君は
 誰よりも民衆を軽蔑した君だ」(『或阿保の一生』、『芥川龍之介全集』4所収、筑摩書房)
 と、鋭くえぐり出していました。ボルシェビズムの一側面を、よく言い当てているのではないでしょうか。
 ゴルバチョフ レーニンに対しては、私はつねづね、彼が生きた時代状況、ロシアの特殊な政治状況、彼の性格を考慮しながら、具体的状況、歴史的背景との関連のなかで理解してきたつもりです。
 かつて池田さんご自身が、ベルジャーエフを引いて、レーニンはロシア的現象の典型であると述べていたように記憶しています。彼のなかでは、多くのものが一つに融合しています。ロシア的ニヒリズムの伝統も、トウカチョフ精神も、そして、伝統的にロシアがいだいているドイツの学問への畏敬、規律正しさへの畏敬もしかりです。
 しかし、それに加えてレーニンは狂信的でした。
 彼は教条主義者であり、ジャコバン主義と革命テロリズムを崇拝していました。この点では、私は彼を理解できません。私の得た精神的経験と世界観は、彼とは似ても似つかないものです。
 池田 重大なご発言です。また、深い信念を感じます。
 ゴルバチョフ すでにあなたにお話ししたように、私たち、現在のロシアの政治家は皆、レーニン的教育を受けて育ち、なんらかの意味でレーニン主義者なのです。少なくとも、その伝統的ロシア極左主義において、最後の真理は自分側にあると主張する点において、または、反対意見への仮借のなさにおいてそうなのです。
 しかしながら、モラルと政治の相関性について、私は、レーニンともまたボルシェビキの伝統とも、決定的かつ明白に異なった考えをもっています。はからずもこれは、私の生命ともいえる「新思考」を際立たせる根本原則にかかわる問題です。なかんずく、私は、民衆に犠牲を強いる政治と思想、つまり、現在生きている人々の生命と幸福を抽象的イデー(理念)の犠牲にするという考え方には、断固として反対です。
 それが、レーニンのように共産主義のためであっても、ガイダルのように市場のためであっても関係ありません。どんな大義名分のためであっても、人々から強制的に幸福を取り上げる点においては、なんらの違いもないからです。
 池田 そのとおりです。全面的に賛成です。レーニンも、はじめは「人間主義」「人道主義」が出発点であったと私は思います。
 しかし、人間の弱さというか、権力の魔性のこわさというか、しだいに手段が目的化してしまった悪循環の連鎖が、ソ連の大きな不幸であったといえます。
 神への従属でも、イデオロギーヘの従属でもない。すべてが人間の幸福のためにある。人類は、″人間″を取り戻さなくてはならない。その第一歩が、人権を守り、大切にしていくことです。
 ゴルバチョフ もう一つ注目していただきたい大事な点があります。それは、焦点となっていたのは、検閲の廃止ではなく、むしろソビエト連邦、そして、後のロシアが民主的に発展できるかどうか、その可能性でした。
 民主主義の本質は、選挙権の完全性や選挙の手続きにはありません。もちろん、その意義は十分に認めたうえで、私はやはり、民衆がいかに自身の利益を認識できるか、歴史の主体者となりうるか、という点にあると考えます。
 グラスノスチの問題は、当初から、民衆の道徳と精神の健全さを問いかける問題だったともいえます。そして、私たちは、ソ連の、つまり広義のロシアの民衆がこの「真実を知る試練」を堂々と乗り越えることを期待し、それを信じたのでした。
 それを疑わなければならない理由が、あったでしょうか? 今、わが国のマスコミが盛んに反グラスノスチに仕立てようとしているソルジェニーツィン氏自身、『イワン・デニーソヴイチの一日』を発表することで、真実への偉大なる覚醒をうながそうとしたのではなかったでしょうか。
 池田 そうでしょう。グラスノスチは、その突破口を開いたわけですからね。民衆への透徹した信頼感がなければ、決してなしえないことです。
 日本の封建時代の治世の方針として「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」とありました。その根底に流れているのは、民衆に対する不信感です。こうした不信感は、日本の社会の底流にずっとありました。民衆が真実を知らされず、無知なままの従順をよしとしていたのでは、いつになっても主役どころか、脇役、端役に甘んじているしかない。権力者は、安んじて権威の座に安住し、君臨しつづけるでしょう。
 たしかに、現在ロシアが苦闘しているように、知識や情報量が豊かになれば、そのまま成熟した判断力につながるかといえば、そんな単純なものではありません。
 しかし、だからといって、その苦闘、苦しみをグラスノスチに事寄せるなどということは本末転倒であり、おっしゃるとおり見当違いも甚だしい。グラスノステは、民衆がみずからの主役、歴史の主役になるための「十分条件」ではないが、絶対に欠かすことのできない「必要条件」です。
4  ″一歩″を踏み出さずして″千歩″なし
 ゴルバチョフ 池田さん、「知識や情報量が豊かになっても、そのまま成熟した判断力につながるとは限らない」という、あなたのご意見にまったく賛成です。
 残念なことですが、現代のマスコミは、人々の認識を操作し、民衆自身の利益に矛盾する思想や考えを吹き込む大きな可能性をもっています。ことに、人々がテレビの画面から流れてくることを鵜呑みにするのに慣れてしまったロシアでは、この民衆操作の可能性は大きいといわざるをえません。
 ロシアのように、国民に自立した思考ができあがっていない場合には、テレビを管理している人間がすなわち権力をも掌握していることになります。
 このような状況は、選択の自由そのものをも、空しくしてしまう可能性を秘めているわけです。
 池田 そのとおりです。この問題は、日本も世界も同じです。
 ゴルバチョフ 真実と虚偽を見分けるのは、経験のなせる業といえます。ただ、幸いなことに、近ごろ、人々は急速に目覚めてきています。これは、国内を旅行中に人々と交流していて、私自身が感じることです。今、ロシアの地方では、中央テレビより、むしろ地元の放送局のチャンネルが関心をもって見られています。人々が、生活実感に即した身近なものに、より多くの信頼を寄せるようになったということでしょう。
 私は、わが国の賢明な民衆は、盲信や感傷的美化といった伝統的な傾向性を乗り越えていくことができると信じます。
 池田 さまざまな状況があるにせよ、グラスノスチの流れは、もう後戻りはしないということですね。
 ゴルバチョフ 目的を達成しゆくひたむきな姿勢こそが最も大事であり、最も困難です。事実、私たちも、数多くの障害を乗り越えて進まなければなりませんでした。
 たとえば、検閲の問題を解決し、社会に言論の自由とは何かを認識させるときがそうでした。ある意味で私たちは、″自殺者″であったともいえます。というのは、いつの世も、ロシアの為政者の権力を支えたものこそ、検閲制度だったからです。それを放棄したわけですから。
 ペレストロイカを始めた私たちにとっては、民主改革を開始することが最大の願いでした。その当然の結果として、私たちは権力を失いました。そればかりか、人々からの尊敬も、生きている間に人々に感謝されるという望みさえも失ってしまいました。
 でも、私たちは、自分の立てた目的を果たしたことで、人間として幸福です。
 池田 よくわかりました。ありのままに語っていただき感謝します。
 ゴルバチョフ 振り返ってみれば、ソビエト人は少なくとも二世代にわたって、スターリン体制のあらゆる悲惨を経験しなければなりませんでした。にもかかわらず、人々は暴力にも偽りにも屈せず、正常な精神を維持することができました。さらに、スターリン主義の犠牲となって迫害された罪なき人々に対して、同苦していくという優れて人間的感情を保ちつづけたのです。私は、民衆は抑圧者と犠牲者を見極めることができると信じます。そして、ロシアの民衆は今、ついにみずからの意思で圧政と決別する道を進み始めたのです。私はその民衆を断じて信頼すべきだと考えます。
 ロシア人も、他のあらゆる民族と同様に、選択を誤ることもあります。最近のわが国の歴史にみるように、ソビエト連邦の運命が問われたとき、多くの人々は、ロシア共和国の主権を主張し、独自の道を歩むという選択が、どのような悲劇的結果を招くかということを理解していませんでした。ベラルーシの合意が、本質的には、民族の破局を意味したことを理解してはいませんでした。
 この悲劇的瞬間に、私は、旧ソビエトの各共和国議会に向けて呼びかけました。幾世紀にもわたって築き上げてきたものを破壊しないよう、英知と賢明さを発揮してほしいと。しかし、ついに聞き入れられませんでした。
 数年を経た今、あのベラルーシ合意を締解した英雄たちは、倫理的孤立のなかに置かれています。ウクライナとベラルーシの国民は、主権国家樹立に彼らを誘惑した人間たちに背を向けてしまいました。
 池田 たしかに、情勢的にも、心理的にも、大きな変化が起きていることを、私も感じています。
 ゴルバチョフ わが国の人々にとって、真実を知る権利を回復することは意味がありました。それは、遅かれ早かれ、すべてをしかるべき場所に落ち着かせるでしょう。何事もそうですが、水に入らずに泳ぎを習うことはできません。事実を直視することなく、民族が精神的成熟を勝ち得ることはありません。
 こう申し上げるとき、私は、真実という衝撃、悲惨な歴史の教訓が、必ずしも道徳性や精神の浄化につながらないことを承知しています。
 ときとして、この過程は病的でさえあります。真実を知ることが逆に、人間をより悪くしてしまう場合もあります。ただし、それはむしろ例外的といえます。総じて、あるがままの真実を知らされて育った世代は、検閲の重圧を身に受けた世代よりも、精神的に成熟しているのがつねのようです。
 池田 ″一歩″を踏み出さずして″二歩″もなければ″千歩″もない。あなたが、その勇気ある″一歩″を決断し、二十世紀の歴史に刻印されたことに、重ねて敬意を表します。
 「だれが猫に鈴を付けるのか」という寓話がありますが、良いことはわかってはいても、皆が皆、ネズミのような臆病心にとりつかれてしまっていては、どうしようもありません。臆病心や大勢順応の事なかれ主義の連鎖を断ち切るには、勇気ある″一人″がいなくてはならない。あなたを含む″ゴルバチョフ・チーム″は、そうした勇気ある″一人″の集まりであったと思います。
5  信念と確信に支えられた「言葉の力」
 ゴルバチョフ ペレストロイカに着手し、言論の自由を可能にできたとき、私たちがまず最初に考えたのは、私たちの次に国家を運営する人々のことでした。
 言論の自由と、傍若無人な無責任とは、本質において異質です。少なくとも私たちはそう考えていました。したがって、グラスノスチは、無責任とは対極のものだったはずです。
 私たちが、人々に歴史の真実を知る権利を返すべきであると考えたのは、それによって、民衆のなかに歴史の主体者としての自覚と責任感が醸成され、世代の断絶を埋めることにつながることを願ったからにほかなりません。
 池田 よくわかります。
 次元は違いますが、私どもの宗祖日蓮大聖人も、一生涯、権力に抗して言論の自由を死守しつづけました。まさに生命を奪われようとする四回の大難をはじめとして、その一生は迫害につぐ迫害の連続でした。そうした一生にあって、権力のあらゆる画策から一歩もしりぞかず、ひたすら言葉の力、言論の力によって、非暴力の戦いをつらぬかれております。数々のエピソードは、厳たる信念と大確信に支えられたとき、言葉がいかに絶大な威力を発揮するかを、まざまざと見せつけております。
 生涯最大の難の渦中にあっても、こう断言しておりました。――善いことであれ悪いことであれ、法華経を棄てるならば、地獄に堕ちてしまうであろう。もし退転を誓うなら日本の国王の地位をあげようとの甘言に誘われても、もし法華経を棄て念仏宗に改宗しなければ、父母の首をはねるであろうと脅迫されても、「智者に我義やぶられずば用いじとなり」――言論と言論との対決で、自分の確信の論拠が打ち破られなければ、一切耳を貸さないであろう――と。
 この大確信に立って民衆の真っただ中へ飛び込み、まっしぐらに教えを説きつづけられました。それは、民衆の一人一人に、「歴史の主体者としての自覚と責任」をうながす、慈悲の間断なき発露といえます。
 第二次世界大戦中、創価教育学会に対しても同じように、国家神道と結託した権力の側からの弾圧がありました。しかし、牧口初代会長、戸田第二代会長は、宗祖の精神を身に体して殉難の道を歩みました。
 したがって、そもそも言論の自由――信教の自由も含めて――そのものが、民衆や人間への信頼から成り立っているのであり、それを欠いて、いくら言葉や言論をあげつらっても、まやかしであることは、私どもも骨身にしみて知っております。
 ゴルバチョフ おっしやるとおりです。目的に向かっての一貫性を保つのは簡単ではありません。私たちもさまざまな障害を乗り越えて、グラスノスチヘの道にたどりつきました。
 われわれはロシアで歴代の支配者がだれもやらなかったこと、検閲、言論統制に挑戦状を突きつけました。そして、その自分たちのイニシアチブに対して大きな代償を支払わなければなりませんでした。
 しかし、歴史的といっても誇張ではない、最大の使命は果たしました。生き生きとした思考を抑圧し、多くの才能ある人々を、文字どおり滅ぼしてしまった思想検閲が廃止されたのです。
 池田 そのとおりです。後世の歴史家が必ず評価するでしょう。
 ゴルバチョフ このテーマを締めくくる意味で申し上げます。マルクスが人々に語った言葉は、もとよリイエスのそれとは違っています。さらに、言葉の価値が失われ、意味を喪失してしまっているとの指摘もそのとおりです。
 言葉に慎重であらねばならないということを十分に考慮したうえでなおかつ、私たちは、人々が数十年間待ち望んでいたことを語らずにはいられなかったのです。遅かれ早かれ、だれかが言わなければなりませんでした。たとえどんなに偉大な目的のためであっても、犯罪は所詮、犯罪である、と。いかに崇高な目的であっても、罪なき者へ課する苦しみを正当化することはできない。そして、人間から幸福とたった一つの生命を取り上げる、そのような進歩はいらないのだ、と。
 人間を高め、真実を共有する喜びに目覚める――これ以外に私たちがめざしたものがあったでしょうか。グラスノスチが犯罪の引き金になったという類の発言は、どれも狡猾に賢人ぶっているものの、じつは真実を恐れているにすぎないのです。
 池田 お心はよくわかりました。祖国を思い、民衆を思われる心情を、私は忘れません。
6  ″新思考外交″は新しい歴史の開幕ベル
 池田 ロシア革命以来の「第二の革命」ともいわれるペレストロイカは、外交面での華々しい成果と、内政面での行き詰まりとの狭間で、ソ連邦崩壊、そして大統領辞任という重大局面を迎えました。
 私は、それでペレストロイカが終わったとは思っていません。ある意味での破局、挫折を迎えるまでの苦闘の来し方を振り返ってみるとき、今、自分が新しい歴史の開幕ベルを鳴らしているのだと実感されたことがあったと思います。
 とりわけ、「階級的価値」から「全人類的価値」への優先順位の逆転は、共産主義イデオロギーからの、いわば″コペルニクス的転回″であるだけに、大胆に″新思考外交″に踏み切った勇気を賞賛したい。アインシュタインは「解放された原子力は、われわれの思考様式を除いて一切のものを変えましたビ(O・ネーサン、H・ノーデン編『アインシュタイン平和書簡』2、金子敏男訳、みすず書房)と嘆いていますが、″新思考外交″は、その「嘆き」を「希望」に転じゆく鮮やかな解答を与えたといえます。
 ゴルバチョフ ″新思考″は、長い歴史をもつ思想です。たとえばアインシュタイン、ラッセル、サハロフなどにその系譜をたどることができます。
 ペレストロイカの功績は、この思想を取り入れることによって、外交政策において、また良識の勝利という点において、私たちがリアリズム(現実主義)に到達できたということにあります。
 もっともそれは、決して平坦な道のりではありませんでしたが。
 池田 世界的に著名な平和学者で、私との対談集を編んだヨハン・ガルトゥング博士は、こう語っています。「冷戦を終結させたのは東側と西側の人々の運動であり、冷戦を終らせることが政治的に可能であることを理解しそれを実行した一人の政治家、ゴルバチョフなのである」(『構造的暴力と平和』高柳先男他訳、中央大学出版部)
 さらに、博士は、あなたが担った世界史的な責務を評価する一方で、他の多くの指導者が状況の急変に「このようなことはだれにも予測できなかった!」(同前)と繰り返し述べるにとどまった、とも述べています。
 博士は、あなたが、
 1、「均衡な軍縮」という考えを捨て、アメリカの三倍の軍縮を行った
 2、防御的防衛という新思考を取り入れた
 3、ソ連は東欧の外交政策に介入しないと明言した
 この三つを高く評価していました。
 あなたの訴える「互いに同じ人間であり、共通の運命に結ばれていること、そしてこの地球で教養ある隣人として生きなければならないこと」にもとづく発想の転換は、核時代という、かつて人類が当面したことのない危機状況への、冷厳な認識のもとに開始されたものでした。
 ゴルバチョフ 最初に新思考外交が生まれたのは、一九八四年十二月から八五年四月にかけての間でした。
 そしてそれがさらに発展していったのは、一九八六年から八九年にかけてで、現実の国際情勢に対して、すでに具体的な新しいアプローチをもって臨み始めてからのことでした。
 しかし同時に、社会体制の異なる国家間の平和共存についてのレーニンの思想に、忠誠を捧げる言葉も依然として繰り返されていました。ですが、すでにペレストロイカが始まった当初から、従来の社会主義的な考え方とは、平和共存といっても意味するところが違うことを、私たちは強調していました。
 レーニンにとっての平和共存とは、新しい体制が独り立ちできるようになるまでの間、時間をかせぐための休戦戦術でした。レーニンは、早晩、世界中の国が共産主義に行き着くという確信を生涯保ちつづけていたのです。
 ええ。レーニンは革命の輸出やお膳立てには反対でした。ですが、資本主義はやがて力尽き、自滅していくことを信じていました。
 レーニン的平和共存の裏には、世界画一化思想と、すべての国が共産主義体制のもとにおかれ、社会発展の形態は、マルクスが発見した図式しか存在しないという確かな信念があります。
 一方で、私たちが新しい国際関係のアプローチを練っていたとき出発点としたのは、多種多様な選択肢を認める、まったく違う哲学でした。人類文明発展のこれまでの過程が、われわれをそのような結論に導いたのです。
 池田 核兵器の登場により、国権の発動がそのまま人類絶滅につながりかねない状況下にあって、人類は否応なく国家の枠を超えて「国益」から「人類益」へ、「国家主権」から「人類主権」へと発想の転換を迫られています。
 それだけに、ソ連大統領であったあなたが、世界政治の舞台において唱え実行した「人類的価値」優位の外交には、強い賛同の念を禁じえませんでした。
 あなたが指摘されているように、核兵器という人類共通の巨大な「ダモクレスの剣」の脅威は、決して過ぎ去ったわけではありません。さらに、核兵器に限らず、見方によっては核兵器以上の脅威である環境問題などにおいても、「全人類的価値」の優位ということは、人類にとって最優先の課題であるはずです。
 あなたのリーダーシップによつて、現実政治において思い切った発想の転換がなされたという事実は、主権国家、民族国家にとらわれた「国家的価値」から「全人類的価値」への転換は可能である、との希望をいだかせるものとなりました。
7  「イデオロギー」から「リアリズム」ヘ
 ゴルバチョフ もしも軍拡競争を阻上できず、核大国同士の敵意に満ちた対立の深まりを止めることができなければ、全人類の破滅はさけられないことは、ペレストロイカ以前にすでに明らかだったのです。
 世界の政情は、大きな衝突はどのようなものでも核戦争へと発展してしまう可能性があり、そうなれば「社会主義」も「資本主義」も、いかなるイデオロギーも野望も灰と化してしまう危険な淵にありました。このようにすでに「リアリズム」に立脚し、核がもたらす死の前では皆同じであるという理解に到達していましたが、まだ正確な意味において、新しい哲学としての″新思考″が生まれるにはいたっていませんでした。
 池田 「リアリズム」ということは、たいへん重要な視点ですね。″現実″とは庶民の生活感覚のことである、というのが私のいだく現実観です。その一点を忘失してしまえば、政治に限らず一切の物事は、人間に益をなすよりも、害をなす方向へと流されていってしまう。
 いわゆる″職業革命家″といわれる人々がおちいりがちな錯誤もここにあります。四六時中、日常の生活のことを二の次にして、革命という非日常性のなかに没頭していると、どんなに優れた人でも、庶民の生活感覚にうとくなってしまいます。
 その結果、庶民との間にギャップが生じてしまいますが、致命的なつまずきは、彼らがギャップに突き当たってみずからを省みようとせず、ギャップをもっぱら民衆の愚昧ぐまいにこと寄せてしまうことです。
 私たちが話し合ったパステルナークやシャリャービンのボルシェビズム批判は、まさにそれです。
 ゴルバチョフ おっしゃるとおりです。私たちの場合も″新思考″への跳躍の契機となったのは、理論と現実の深まりゆくギャップでした。人々は、社会主義こそ最も進んだ社会体制であると、プロパガンダ(宣伝)によって教えられてきました。
 しかし、その一方で社会主義の経済的、政治的危機がますます深まっていき、社会主義諸国は西側先進諸国からますます後れをとっていきました。これは大局的にもまた細かい点でも、いたるところで見られた現象です。
 それゆえに、私たちは真実の世界を語ることから始め、まず自分自身の目を信じることから始めたのです。突破口が開かれたのは、本来の世界の多元性、多種多様性の根本的な認識からでした。
 池田 宗教の世界でも、事情は同じです。聖職者という専門職業に従事する人間は、額に汗して働く庶民の生活感覚から遊離していくゆえに、一方では、能うかぎり庶民を愚昧にしておいてその上に君臨し、欲望のおもむくままに遊蕩三昧の堕落の坂を転げ落ちていってしまう。洋の東西を問わず、多くの聖職者がたどった道です。
 ガブリエル・マルセルが「プルードンは『知識人らは軽薄だ』といったが、それは悲しいことに、おそろしく真実をうがった言葉である。そこには深い理由があるのであって、知識人は労働者や農夫のように抵抗のある現実と取組むかわりに言葉で働くのであり、紙はすべてを受けつけてくれるからである」(『人間、この問われるもの』小島威彦訳、『マルセル著作集』6所収、春秋社)と述べているのは、けだし至言です。
 「イデオロギー」に決別し「リアリズム」に立ち返ることは、たいへんな勇気と決断を要したことと思います。
 ゴルバチョフ 私たちにとって″新思考″は、疑うべからざる明白な事実を認識することから始まりました。つまり、社会主義と資本主義は人類文明発展の道における異なった選択肢であり、画一化は目的とはならないばかりか、人類文明の終わり、死を意味する。ここですでに″新思考″への跳躍があったのです。
 国際関係の脱イデオロギー化の出発点となったのは、資本主義の道も、人類文明の発展にとって、社会主義と同じ価値を有しており、社会主義と資本主義の発展の基礎には、同じ全人類的価値があるという認識でした。しかし、世界の多種多様性、多元性についての認識は、第一歩にすぎません。二歩目は、第一歩にもとづくものでしたが、世界がもともと相互につながり合い、依存し合っているということの認識でした。
 人類文明のこの二つの道は、ただたんに隣り合わせに存在しているわけではありません。それらは、どこか深い基底部でつながっており、相互に作用し合い、影響し合っているのです。世界の相互連関性という考察は、″新思考″の形成に多大な影響を与えました。
8  「共生」こそ二十一世紀を開くキーワード
 池田 なるほど。そうした発想は、仏教の根本的なものの見方である″縁起観″へとまっすぐに通じており、感銘を受けました。
 仏教では、人間社会の現象であれ自然現象であれ、単独で起こるような物事は何もなく、すべてはりて、関係し合いながら起きてくると説いています。ですから、AとBが存在する場合、AはBあってのA、BはAあってのBというふうに、A、Bという個別性を重視するよりも、AとBとの関係性を重視します。
 もとより、関係性といっても個別性を軽視したり、まして無視するのではなく、関係性という具体的な″場″があってこそ、はじめて個もそれぞれの輝きを放ってくるとする、きわめてダイナミックな考え方です。
 一九九四年、私はモスクフ大学での講演で、「普遍性」とは、人間・自然・宇宙が共存し、小宇宙(ミクロ・コスモス)と大宇宙(マクロ・コスモス)が、一個の生命体として融合しゆく「共生」の秩序感覚、コスモス感覚であると訴えました。これは、世界はもともと相互につながり合い、依存し合っているという、あなたの認識と強く共鳴し合うものと思います。その意味からも、私は「共生」こそ、二
 十一世紀を開くキーワードであると信じています。
 ゴルバチョフ 仏教の発想とは若干ニュアンスが違うかもしれませんが、世界の相互連関性という思想は、大学の哲学の教科書にもありました。しかし、この思想は決して現実の政治のなかに取り入れられることはありませんでした。
 現実の政治においては、つねに社会主義の絶対性、人々の分断と対立に力点がおかれていました。
 ですから私たちは、最低限のことをまずやりました。つまり、現実政治を公式的な考え方と合致させたのです。それも一つの跳躍でした。
 当時にあっては斬新だった世界観――人類文明の発展には共通の基礎メカニズムが存在するという認識は、国内政策において新たな展望を開き、わが国の新しい進歩の可能性を開きました。
 全人類的価値と素朴なモラルの復権は、人間の精神的発達をうながし、エゴイズムを抑制する既存のメカニズムとして教会の復権をもたらしました。また、経済発展の道として選択された資本主義は、市場、商品=貨幣関係、企業活動、経済の活性化をうながしています。
 これは、中世のカトリシズムと同じように、企業活動、市場文化そのものを精神的、思想的に抑圧した共産主義思想を経た後に訪れた本格的な突破口でした。このような世界観が、新しい視点、国際関係、国際政治の本質に到達するのは必然のことでした。
 池田 ゴルバチョフ外交は、それがハッキリと現れ、世界中から注目されましたね。
9  人間が人間であるための「常識への回帰」
 ゴルバチョフ そうです。こうした世界観にもとづいた対外政策は、わが国が資本主義文明の成果と、人類的問題の解決を探るうえでの経験を、できるかぎり習得できるものでなければなりませんでした。
 たんなる協調行動、共存ではなく、全人類的価値の保存と実現のメカニズムを取り入れていかなくてはなりません。
 ちなみにこれは、現実生活での状況を再確認するものでもありました。
 また、このようなアプローチ自体が逆に、国際関係において人類的価値の本当の意味をみつめさせました。約束を守る誠実さ、互いを尊敬する心、パートナーシップ、信頼の気持ちは、″新思考外交″の必須要件となったのです。
 私たちは皆、同じ地球で、同じ屋根の下で暮らしている以上、どこの国民であれ、人間社会で築かれてきた共通のルールに従い、攻撃や猜疑心への衝動を抑えなくてはなりません。
 世界はあまりにも狭く、相互のつながり、依存性が高まってきており、もうどんな国家であっても、単独で自国の利益と安全を守ることはできなくなっています。
 こうして世界と人類文明の運命に対する連帯責任、なかんずくソ連、アメリカ両国の責任という点が、徐々にわが国の外交政策のなかで大きくクローズアップされるようになったのです。
 新思考は階級、イデオロギーのみならず、人種、宗教、経済上の世界の分裂を克服する道をわれわれに教えました。その真髄は単純かつ平易なものです。われわれが争い、対立している間に私たちの″家″の″壁″や″土台″にはどんどんひび割れが広がっていく、ということです。
 池田 「単純かつ平易」なるがゆえに、人々は、みずからの足元を掘り崩し、飲みこもうとするようなひび割れにも、往々にして気づこうとしません。
 「地獄への道は善意で舗装されている」とはよくいったもので、近代革命の暴力と流血の側面は、その箴言に対して、最も巨大かつ陰惨な″リトマス試験紙″であったのかもしれません。
 先に政治の現場で、「分断」「対立」が幅を利かせていたという話がありましたが、私は、より根本的に、″悪″の本質は「分断」にあり、逆に″善″の本質は「結合」にあると、つねづね訴えてきました。
 これは、トルストイの哲学にも通ずることですが、″悪″というものは、つねに人間の心を「分断」し、さらに人間同士を、人間と自然とを「分断」し、亀裂を生じさせ、孤立と悲哀の谷間へ追いやろうと待ち構えているものです。
 冷静な、醒めた眼で見れば、この″悪″の本質は明らかですが、人々は、いっこうにそれに気づこうとせず、人類社会から修羅闘諍のかしましい争い声は消え去らない。いわゆる″魔酒″や″悪酒″に酔っているからでしょう。それがイデオロギーの酒であれ、宗教の酒であれ。
 あなたのお話をうかがっていると、ペレストロイカや新思考は、人間が人間であるための「常識への回帰」ではなかったか、という感を強くします。
 ゴルバチョフ おっしゃるとおりです。それは何でもないことなのです。つまり、「常識への回帰」であったのです。しかし、その成果はたいへんなものでした。
 新思考は、わが国の対外関係の構図を共産党のラインでも、国家レベルでも全面的に再編成することを可能にしました。まず、私たちは社会民主主義に和解の手を差しのべました。
 社会主義的発展過程と資本主義との対立が意味をなさなくなった以上、国際労働運動における「革命志向」と「改革志向」の対立は、それ以上に時代錯誤というものです。
 私たちは社会民主派を労働運動の「背教者」とし、自分たちを偉大なる伝統の唯一の「継承者」としてきた従来の見方を、変える必要があることを実感しました。
 それぞれの道に長所、短所がある。誤りもあれば、疑う余地のない成功も業績もあることは、歴史が証明しています。
 こうして、新思考の理論と実践が少しずつできあがっていったのです。

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