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日蓮大聖人・池田大作

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核拡散と核管理をめぐって  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

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1  池田 イラク、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核疑惑が問題になるなど、核不拡散体制が大きな曲がり角に立っています。核不拡散条約(NPT)をかいくぐって核兵器の研究・開発をめざす国が、今後も増えてくるおそれがあります。
 NPTは核兵器を保有する国が増えないようにするためだけでなく、核保有国の核軍拡も防ぐことを目的にしています。したがって、核保有国が真剣に核軍縮に取り組むことが、NPT体制を強固にするためには不可欠です。一方、旧ソ連の核技術者が他国に流出する可能性が指摘されるなど、核拡散の新たな危機もクローズアップされています。
 核拡散の問題と同時に、核エネルギーの管理の問題も真剣に考えなければなりません。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故は、放射能による広範囲の汚染をもたらしました。こうした人類全体への脅威を思うと、原子力の平和利用に関しても安全対策・技術管理について国際的基準を設け、安全利用をはかるために厳格な査察が行われるべきではないでしょうか。私はかねてから国連がイニシアチブをとり、当面まず核エネルギーの安全管理を可能にする道を取るべきであると提案してまいりました。
 ガルトゥング 私たちはまず、アメリカこそ核兵器を開発し、それを最初に使用し、その技術を他国に提供した張本人であること、そして、今なおいくつもの場所に核兵器庫を保持しているということを、銘記すべきでしょう。したがって、私たちはアメリカにとっての敵国――現実の敵国であれ仮想敵国であれ――だけに焦点をしぼるのではなく、あなたが示唆しておられるように、あらゆる国々に注意を注ぐべきです。また、ウィーンの「国際原子力機関」(IAEA)の権限は強化・拡大すべきです。
 とはいえ、私はまた、現行の不拡散協定に反対するインドの主張は、反論の余地がないほど堅牢なものであると思っています。安全保障理事会で拒否権をもつ五大国――これらの国々は皆みずからすすんで核保有国になったのであり、かつ世界の五大兵器ディーラー(販売国)でもあるわけです――が、それぞれ自国の核の規模縮小を行わない限り、不拡散の原則そのものも、現在の世界のこの“究極の力”を持つ国々と持たざる国々のあいだの分断をさらに深めるだけのことである、というインドの主張はじつに的確です。実際、これら五カ国による核軍縮がなされれば、これは計り知れないほど役立つことになるでしょう。
 そのうえ、現在、安保理で拒否権を持つこれらの国々も、かつて第二次世界大戦で戦勝国であった当時とは必ずしも同じ状態ではありません。アメリカとイギリスはそのままの状態ですが、今日の中国とロシアはまぎれもなく一九四五年当時の中華民国やソビエト連邦ではありません。またフランスは、どのみちとても戦勝国とは言えませんでした。これらの国々を結び合わせているものは唯一つ、拒否権です。それは、つまりは核の拒否権であり、安保理での拒否権なのです。先にも申し上げましたが、もし他の国々が核兵器保有を永久的な拒否権獲得への一種の切符と考えたとしても、それは少しも不思議ではありません。
 おっしゃるとおり、核実験が一般市民におよぼす影響に対して適切な保護手段をとることが、最も緊要の重大事です。チェルノブイリ惨禍の犠牲者は、チェルノブイリ・エイズと呼ばれる症状に苦しんでいます。これは放射能照射の結果、免疫系統が破壊される症状です。そして後日、癌とか、肺炎を引き起こす風邪とかへの、高い罹病率となって現れます。広島の犠牲者にも、時の経過とともに、これと同じ徴候が見られました。一説では旧ベルギー領コンゴにおけるウランの露天採鉱や赤道付近の原爆実験がエイズを引き起こしたとか、HIV(ヒト免疫不全ウィルス)はエイズ感染のたんに一つのメカニズムにすぎぬとする説もあり、その点はよくわかりませんが、そうした可能性は、たしかに問題の深さと因果の連鎖ないしはサイクルの複雑さを物語っています。
 池田 冷戦が終結しても基本的に核問題の解決の見通しがたったわけではないという、厳しい認識が必要です。ソ連が崩壊して、アメリカとロシアとの核削減が決まって、なんとなく核の脅威が薄らいだような感じがありますが、楽観論は禁物です。
 現実にロシア以外のウクライナやベラルーシなどの核兵器の管理はどうするかとか、核弾頭の解体コストをどこが負担するのかとか、またどこかの国の狂信的な指導者が核兵器を保有した場合どうするかというような問題は、解決できていませんから。そして、旧ソ連の原発の安全性にはずっと疑問符が付けられてきました。
 こうした問題がこのまま二十一世紀にまで持ち越されてしまうとすると、これは厳しい問題です。やはり、この九〇年代でなんとか人類は核問題解決のなんらかのメドをつけるべきでしょう。それにはまず、アメリカとロシアが核実験の完全停止に踏み切るべきでしょう。小型の新しい核兵器の開発をアメリカが考えているということを聞きましたが、まったく納得がいきません。
 最近、核兵器に反対する平和運動が勢いを失っていますが、核兵器は「絶対悪」だという視点から、もう一度、核問題の解決へ民衆の力を地道に集める必要があります。ヒロシマ、ナガサキの思想を持つ日本の使命は大きいと思います。
 ガルトゥング 全面的に賛成です。しかし、一九四五年から一九八九年にかけての長年月を抗争・論争に明け暮れてきたことで、人々は核兵器の問題には、どうやらいや気がきています。
 どのような状況下において、ある国が、もしくはある国民が、核兵器を使用する気を起こすのかを明確にしてみるのも、有益なことではないでしょうか。そうすれば、そのような状況に対して私たちがはたして何をなすべきかを、あるいは見いだせるかもしれません。そうした状況の陰にもし紛争があるとしたら、はたしてこれらの紛争は創造的な方法で解決できるでしょうか。
 そこで、私が再度強調したいのは、日本が、核兵器をその“症候”としている諸問題の根源に迫り、紛争を創造的に転換するための世界に貢献する人的資源国として恩恵を施すということです。しかし、そうした“症候”にも注意を振り向けなければなりません。それも、今すぐにです。

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