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日蓮大聖人・池田大作

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人権――普遍的な規範  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

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1  池田 さて、近年、「第三世代の人権」という考え方が強調されるようになりました。いうまでもなく、これを最初に述べたのは、カレル・ヴァサクです。「第一世代の人権」とは「国家からの自由」を中心とするもので、「信教の自由」「言論の自由」など、人間としての基本的な権利が、国家からの強制・圧迫を受けないことであり、「第二世代の人権」とは、生存権的基本権とも呼ばれ、労働者への搾取、社会的不平等など、「自由」のもとに生じるさまざまな矛盾を予防・解消してほしいと「国家へ要求する」権利です。
 これらは、いずれも「国家を相手にした」人権の考え方でした。しかし、時代の潮流として、今度は“国家”の枠を超えた、グローバル(地球的)な連帯を通じてこそ達成されるべき人権の視座が必要になってきました。「発展の権利」「健康で調和のとれた環境に対する権利」「平和の権利」「人類の共同遺産を所有する権利」――これらが「第三世代の人権」と言われるものです。
 一九九二年三月の国連人権委員会でも「人権は普遍的かつ超国家的規範である」として、人権抑圧に対しては、「国家主権の尊重」「内政不干渉」の原則を超えてでも、国際社会が監視に乗りだすべきだという主張が、かつてなく高まったといいます。
 ガルトゥング カレル・ヴァサクの構想は、大いに期待がもてるものであると思います。ただし、ヴァサクがあまり痛切に感じていないと思われる、別の問題がいくつかあります。その一つは、人権体系全体から帰納的に導きだされる構造です。もう一つは、その具体的規範の内容です。これらの問題には一つの共通した特徴があります。それは、人権の伝統――つまりギリシャに始まり、フランス啓蒙運動、アメリカ合衆国憲法、フランス憲法を経て、一九四八年十二月十日の世界人権宣言、さらに一九六六年十二月十六日の国際人権規約にいたる伝統――が西洋文明の刻印をおびているということです。これらはすべて、ヴァサクの言う第一世代と第二世代の人権に相当します。
 この構造は、その全体が、国際法と国内法を結びつけるうえでまことに創意に富んだものです。つまり、まず国連総会を最高立法機関として、各国に国連のなかできちんとした立場を保証してやる代わりに、その返礼として人権文書を批准するよう彼らに勧める、というものです。国家としては、当然、自国民にこの権利を与えざるをえなくなります。なぜなら、もし政府が人権条項を施行しない場合には、国民は政府に対して訴訟を起こす権利があるからです。このように、人権協定は、原則として政府と国民の社会契約となるばかりでなく、各国政府と国連の間の国際的契約ともなるのです。つまり、一石二鳥なのです。
 この輝かしいコイン(硬貨)も、その裏側にはほとんど魅力がありません。一つは、全体が縦型の構造をしているということです。そこでは相互の権利・義務が、共感や慈悲を根本にして鎖や輪のようにつながっているというのではなく、そこにあるのは審理されるべき法律だけで、しかもそれらの法律はあらゆる種類の政府機関・非政府機関によって監視されているのです。この機構は、世界が多数の国家の分立している現在の動向をさらに強めるものです。それというのも、まさにこの機構によって、各国は両方向に対して――上は国連に対して、下は国民に対して――責任を負わざるをえなくなり、また、たとえ人々に人権を十分に与えられないまでも、少なくとも人権の施行を保証せざるをえなくなるからです。
 この全体像に欠けているのは、人々が皆お互いに思いやりをもち、直接にかかわり合い、面倒を見合うという点です。そうした要素は仏教徒やフェミニストの考え方に近いものといえるでしょう。この機構にそうした要素があまりにも欠けているため、私は時折、大勢の弁護士が市民のために訴訟を起こし、人権問題で言い争っている悪夢を見ることさえあるのです。とはいえ、私たちが防護の一手段として人権を必要としていることは、疑う余地がありません。
 この機構のさらに不愉快な側面は、国家が“わが”国民に寛大に与える人権の返報として、国民に要求するものです。それは、たとえば納税であり、また政府が“国益”に合致すると判断した場合には、目的が何であれそのすべてを達成するため強制的に兵役に服させることであり(この制度は早くも一七九三年に現れています)、それから、いうまでもなく、“寛大”に権利を国民に与えてくれた国家への一般的な敬愛です。
 現行の機構の最も当惑させられる側面の一つは、内容に欠ける分野がいくつかあるということです。たとえば、人間以外の生物の権利については、何の規定も設けられていません。また女性や子どもの権利に関する特別な条項もなかなか作成しようとしませんでしたし、先住民の権利についてはいまだに何の言及もしておりません。
 とりわけ、そこに規定された人権は、個人的な色彩が強いものであり、さまざまな集団の共同体としての権利には十分な注意が払われておりません。それらは主として、西洋人には与えられていても他の人々には与えられていないような、一般的な特典に関する規定だけなのです。このことについては、教育を受ける権利を例にとってみるのが有効でしょう。
 ノルウェーには少数民族のサミ人が住んでいます(彼らはサミ人以外の人々からは普通ラップ人と呼ばれていますが、これは蔑視語です)。彼らには、個人としてノルウェー人の学校に通い、ノルウェー人の生活様式による生き方をノルウェー語で教わる権利があります。そのこと自体はたしかに、一つの教育を受ける権利であると解釈できます。しかしそれは、サミ人が一つの集団として独自の学校をもち、サミ人自身の生活様式で生きることについて、サミ語で学ぶ権利(たんにサミ語を教わることとは違います)を保証されることとは、まったく別の問題なのです。
 現行の機構から漏れている権利――たとえば、高齢者が家族と同居して余生を送る権利とか、子どもが両親の離婚の危機にさらされることのない家庭で育てられる権利など――がまだいくつもあることからすれば、西欧諸国も、彼らが考えているほど完璧な体制にはないという印象を受けます。現状では、人権についての規定も、懲罰や支配や西洋化の手段になっているように思われます。その規定は、とうてい普遍的などと言えるものではなく、規定を作成した人たちの、まぎれもない西洋的刻印を帯びているのです。その人たちとは、西洋史上のある時期に大学教育を受けた西洋の中年の男性たちであり、その大半はすでに死亡しているのです。
 こうした理由から、私は、個々の国を裁いたり、判決を下したり、処罰するための国際的手段として、これらの人権に関する規定を利用することについては、疑問に思うのです。それが決議、訓戒、対話といったものであるのなら、私も異論はありません。しかし、“平和を暴力的に押しつけ”たり、“人権の規範を強い”たりすることは、どう控えめに言っても非常に問題です。第一、そうした表現自体が、すでに自己矛盾なのです。なかでも、ある集団の国々――その大半がかつて宗主国であった国々――が、他の集団の国々――その多くがかつて植民地であった国々――を懲戒するためにこうした処置を取ろうとする場合、その試みはとくに問題となります。
 そういう目にあった発展途上国は、やがて自分たちがその懲戒の方法を学び取り、学び取った懲戒法を実行してみる対象はいないものかと、ただちに周辺国をうかがい始めます。たとえば、かつてイラク人は彼らの反抗活動のなかで、大衆の暴動を抑えるための毒ガスの使用法を、イギリスの植民地主義者から習得しました。やがて後になって、国連安全保障理事会が合法と認めた西欧の軍隊による攻撃にイラクがさらされた時、サダム・フセインはただちに、かつてイギリス人から学んだ技法を用いてクルド人やシーア派教徒に襲いかかったのです。ただし、国際社会としては、まずたとえばクルド人やシーア派教徒、あるいはナチ政権下のユダヤ人のごとき人々を、非暴力的方法で救済することが先決問題であることは、言うをまちません。
 池田 一九九三年は「国際先住民年」であり、六月にはウィーンで「世界人権会議」が開催されました。人権は国内問題であるという認識を改め、国際的問題・地球的問題であるという認識を定着させる時期が、今であると思います。とくに、民族・地域紛争が多発するなかで、少数者への圧迫、人権侵害は看過しえない状況になり、人道的介入を求める声は世界中で日に日に高まっております。
 私も旧知のジョセフ・ナイ氏は、最近、旧ユーゴ問題の関連で米紙「ワシントン・ポスト」に寄稿し「民族問題の複雑さを直視すれば、従来のリベラル派の問題解決への結論でもあった“民族自決権”は見直すべきであり、それに代えて人権と少数民族の権利の国際的保護を提唱する」という趣旨の主張を開陳しています。この提唱は、たいへん重要なポイントをついていると思われます。
 たしかに旧ユーゴスラビアの多民族国家の複雑な歴史を思うと、現在の紛争の解決は容易ではありません。しかし、ともかくもこれまで、それぞれの民族が共生してきた歴史を持っていることを思い起こすべきです。知恵を出し合えば、共生のシステムの確立は可能のはずです。
 そこでたとえば、少数民族と先住民の問題を専門にあつかう「国連少数民族・先住民高等弁務官のようなシステムを作ってはどうでしょうか。かつて国際連盟には、少数民族を国際的に保護する機構が設けられておりました。もし国連に「少数民族・先住民高等弁務官」が誕生すれば、難民高等弁務官と協力しながら、少数民族や先住民の国際的保護のための大きな力となると思います。
 ガルトゥング 問題は、人権が強制的に押しつけられる場合に生じます。旧ユーゴスラビアの諸民族が必要としているのは、思いやりであって、軍事介入ではありません。一〇五四年にローマ教会とギリシャ正教会が絶縁し、一〇九五年に十字軍がイスラム遠征を開始して以来、恐ろしいカルマ(業)が彼らをさいなんできました。オスマン帝国とハプスブルク家、またチトーがもたらした束の間の力による平和を除けば、彼らが平和裡に暮らした時代というのは概して皆無に等しいのです。
 九世紀も以前の出来事によって外部から押しつけられた分割が、いまだに旧ユーゴスラビア全土を、なかんずくボスニア・ヘルツェゴビナを、ずたずたに分裂させています。この地域の人々の状態をみれば、より十分な理解こそが必要なのであり、彼らへの道義上の非難は少なくしてあげるべきなのです。経済制裁は――老人や弱者や病人をゆっくりと死に追いやることに加えて――たんに彼らを結束させ、彼らの決意を強めさせるだけのことでしょう。

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