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日蓮大聖人・池田大作

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仏教の長所と短所  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

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2  ガルトゥング シューマッハーは自著『スモール・イズ・ビューティフル』(SmallIs*Beautiful)の中でいみじくも「仏教経済学」について語っています。この「仏教経済学」が強調しているのは、生命を尊重すべきこと、仕事は自己実現であるべきこと、社会にとって有用であるべきこと、他の人々との連携を密にすべきこと等です。そして、これらはすべて小さな単位で行われた方がより容易に実現できる、と主張しています。
 興味深いことに、今日、事業経営者たちも「小さいもののほうがまさっている」ということに気づき始めています。たとえば大企業は、国家的企業にせよ脱国家的(トランスナショナル)企業にせよ、見かけはたいそう立派ですが、実際はまことに不経済な代物です。また、人間がいちばんいい仕事をするのは小人数の単位で、たとえばお互いによく知っており、普段から付き合っている人たちが二十人から三十人、一つの単位となって働くときです。これはピラミッド型組織、つまり、頂点に「最高経営責任者」(CEO)がいて、何百人、何千人という人々を管理しているような組織では無理なのです。大型組織は、各部分の調整機関としては存続するかもしれません。「大きいもの」もいくつかは必要なのですが、多くの場合は、自律的な小型組織に席を譲ることになるでしょう。こうした小型方式こそ仏教的なやり方なのであり、そこには教皇はいませんし、バチカン宮殿もありませんが、結合力があります。結局のところ、「大きい」ものも「小さい」ものもともに必要なのであり、大小いずれかを選ぶという問題ではないのです。
 池田 巨大化、管理化の道をたどってきた近代社会の欠点を克服するためには、たしかに「自律的な小型組織」の重要性に注目する必要があります。
 おっしゃるとおり、近代社会におけるピラミッド型の大型組織は、経済効率の面でも限界に直面しているからです。その弊害はあらゆる面で現れていますが、たとえば、ある経済目的に沿った一律の管理のもとでは一人一人が十分な力を発揮できないことは、視座を具体的な人間に移せば容易に知ることができます。端的に言えば、働きがいがなければ仕事にも力が入りません。最近の調査によれば、日本の青年は、給料の高低よりも、働きがいを仕事を選ぶ基準として重んじるようになったという傾向もみられます。
 大切なことは、大型であれ小型であれ、人間に焦点を当てた組織、いわば「一人一人の顔が見える組織」を構築することではないでしょうか。もちろん、そのためには小型組織を基本とし、その利点が十分活用されなければなりません。しかし、大型組織にも利点があります。それは、小型組織を結びつけ、その閉塞化・孤立化を防ぎ、活性化させる役割を担うことができる点です。比喩的に言えば、魚に対する水の役割と言えます。大型組織は、構成員に対する奉仕を中心的な機能とする奉仕型組織として脱皮していけば、今後も存在意義が十分にあると考えます。
 また、必ずしも小型だから仏教的だとは言いきれない面があります。事実、釈尊の時代においては、僧伽は現実的には小人数の修行者の集まり(現前僧伽)でしたが、理念的には全世界に広がるべきもの(四方僧伽)と捉えられていました。いわば大型組織を志向していたわけです。そして、この普遍的な僧伽という理念のもと、修行者はどの地域の僧伽も自分の修行を支える場として利用できたわけです。普遍的僧伽の理念は、地域ごとの僧伽の構成員が相互に交流することを促進したのではないでしょうか。この「交流」ということも、大型組織が担うべき重要な役割だと思います。
 ガルトゥング 見かけは弱そうであっても、規模の小さいものには大きな力が秘められています。規模が大きくなると社会から孤立してしまうのは、組織にとって避けられない、必然的な成り行きです。これが、仏教がおちいりやすい六つの欠点のうち、三番目の原因の一つになっています。民衆から孤立し、かつての比丘の伝統や僧院の伝統から遊離した聖職者たちは、たんなる管理者や組織者になってしまいます。またある程度までは、孤立化への傾向は仏教自体にもともと備わっているものです。これは仏教が元来、隠遁を好み、世間からの隔絶、黙想、きわめて小さな僧伽などに重きをおいてきたためです。この傾向は、大乗教よりも小乗教の伝統に顕著です。いずれの場合も、そうした孤立化は、政党への参加も含めて、社会に関与することによって防ぐことができるでしょう。ただしそうした政党にかかわる場合には、仏教的な政治というものが現実に何を意味するのかについて、十分に討議され、理解されなければなりません。
 今日、環境保護を目的とするいわゆる緑の団体が、さまざまな障害や多少の派閥争いにもかかわらず世界の各地に出現していますが、これらの団体は仏教の伝統に近いものをもっています。ただし、これらの団体はエートスに欠けており、何千年もの経験に満たされた精神的指導性といったものは、もちあわせておりません。
3  池田 仏教教団が社会から孤立しがちであったのは、内面に沈潜する修行を行うために、静寂な環境と規律ある生活が必要だったからであると思います。これは、大乗、小乗を問わず、出家仏教全般に通ずる傾向であったと言えます。ただし大乗仏教においては、修行に利他行が含まれていますから、社会に関与していく方向性を持っておりました。
 この大乗的な方向が日蓮大聖人の仏法においては徹底され、出家者だけでなく、むしろ社会生活を営む在俗の人々の仏道の完成を主眼とする教義および修行形態が打ち立てられたのです。これについて詳細に立ち入ることをここでは避けますが、象徴的な事例を挙げれば、ある在俗の門下が出家を希望したときに、日蓮大聖人は、社会生活が即ち仏法であると説き、出家を思い止どまらせております。このように社会に開かれた仏法の在り方は、一切衆生の成仏という法華経の理念からの必然的な帰結でした。
 社会生活が即ち仏法であるという考え方は、人間の「内発的なもの」を重視するところから生まれてくるものです。思いきった言い方をすれば、日蓮大聖人の仏法は、「内面への沈潜」を重視する従来の仏教の立場から「内面からの発動」を重視する立場へと転換することにより、末法の民衆仏法として確立されたのです。内面への沈潜を重視する立場が社会的な煩わしさから離れていくことを理想とするのに対して、内面からの発動を重視する立場では、社会生活をむしろ「縁」として、それを実現していくことが可能だと言えましょう。ゆえに、社会生活が即ち仏法であるという考え方が成り立つのです。ここには仏法の骨格ともいうべき「縁起」説が実践的な形で生きております。
 博士は、いわゆる緑の団体について、仏教に近いがエートスに欠けると指摘されました。環境問題を最重要の動機として結成されている諸団体ですから、地球的な生命連鎖、あるいは地球的な連帯など、仏教の縁起説に近い考え方を持っていることが多いと思います。しかし、もし博士のご指摘のとおり、これらの団体にエートスが欠けているとすれば、それは伝統が浅いこともさることながら、縁起説的な考え方が認識論的な次元に止まっているからではないでしょうか。
 内発的なものを重視する日蓮大聖人の仏法においては、縁起説は人間の実践、生活の次元において生かされています。縁起説は、すべての事実の相互連関という認識の次元を超えて、その相互連関を成り立たせる生命的なダイナミズムを指し示しています。それをみずからの生命に発見していくことが、縁起説的なエートス――私はそれを「共生のエートス」と名づけています――を形成していくために不可欠なのではないでしょうか。
 ガルトゥング 私のいう第四の短所とは、以下のようなものです。すなわち、政治権力者から資金の提供を受けるとき――とくにそれが唯一の財源である場合――仏教教団の自立性は、その時点から失われる傾向があります。「笛吹きに金を払う者が、曲を注文する権利がある」というイギリスのことわざどおりなのです。
 仏教教団は、その自立性を保つためには、次の二つの道のうちのいずれか一つ、もしくは両方を選ぶことになるでしょう。一つは独自の財源を持つことであり、この場合はたぶん信者からの寄付とかささやかな事業を財源とすることになります。もう一つは徹底した倹約の励行です。しかしいずれにせよ、外部からは資金や維持費を受けてはなりません。もしそういうことになれば、財政的援助の額を現状のまま維持しようとして、もしくはもっと多く得ようとして、たんに隷属の度合いを強めるだけのことでしょう。
 池田 日本の仏教教団は、ごく一部の例外を除いて、すべて権力の庇護下に入り、権力の補完物となってきました。とくに江戸時代には、宗派を問わず、徳川幕府の強大な権力に屈し、民衆の思想的管理を担う権力の出先機関になりました。私は日本の仏教が決定的に堕落したのは、この時であると思っております。現代において各宗派がなかなか活路を見いだせないのも、当時の体質を引きずっているからです。
 仏教教団は、財源の問題も含めて、権力に対して言うべきことは言っていける「自立の基盤」を持たなければなりません。そうでなければ必ず宗祖の精神を失い、堕落していきます。
 この点について興味深いのは、キリスト教の権力に対する態度です。「神のものは神へ、カエサルのものはカエサルへ」というイエスの言葉に象徴されるように、キリスト教は政治権力に対して二元的、対抗的なスタンスを持っています。これも宗教の自立の一つの在り方かも知れません。しかし、これには思わぬ欠陥がありました。すなわち、キリスト教が発展し、教会が制度化されてきますと、神と民衆を媒介する宗教的権威を持った教会が、それ自体、政治的な権力と化し、世俗の政治権力と拮抗できるほどの強大な権力を持つにいたったわけです。
 こうした在り方とも一線を画するとすれば、教団が政治権力から自立するには、「民衆」にその基盤を求める以外にありません。そのためには「民衆の側に立つ」ということを不変の規範とするとともに、教義的にも実践的にも「人間のための宗教」という要件を満足させていかなければならないと思います。
 SGIについて言えば、日蓮大聖人の仏法は本来、民衆のための仏法ですから、絶えず宗祖の原点に戻り、純化していく努力をおこたらないことが大切になります。また、実践的には、会員の自発的な信仰の実践、また布教の実践を基調としつつ、会員奉仕のために教団の制度的な面については権威主義を排していくことだと思います。
 ガルトゥング 私があげた欠陥の第五、つまり“宿命論”の傾向は、小乗教の伝統のほうにより多く認められます。私には、釈尊が「生は終始、不満足と苦しみ(ドゥッカ)の状態になければならない」と言ったとは考えられません。
 苦しみ(苦諦)は、いうまでもなく「四諦」の第一の項目です。しかし、その他の三諦(集諦、滅諦、道諦)は、どうすれば苦しみ(ドゥッカ)を克服して幸福(スッカ)に近づくことができるかを説明しています。決して奢侈に流れることなく、家族や他の人々が必要とする分だけを満たすという質素な生活を送るのは、まったく道理にかなったことです。私も車やコンピューターを好んで使っていますが、そうしたものがなくても生きていくことはできます。もしこうした便利なものを使わずに生活をする能力を失ったとすれば、それはすでに欲心の犠牲になっているということでしょう。この点、私たちノルウェー人が幸いそうならずにすんでいるのは、私たちが生まれつき簡素な生活、つまり、粗造りの山小屋で自然に親しんで生活することを好むからです。私たちは、休暇とはわが身を自由に解き放つものでなければならない、と思っています。このため、ノルウェー人の休暇のとり方も、名だたる都市の贅沢なホテルで何日も何週間も過ごすというのではなく、自然界の近く、もしくは自然界そのものの中で、山小屋やテントの中で野営をしたり暮らしたりするといった、簡素な過ごし方を求めてのものとなるのです。
 仏教教団は活動的に――経済面でも活動的に――なることができるはずです。苦しみ(苦諦)を、どうしても避けられないものとして甘受することは、決して真の仏教徒の証でも何でもありません。重要なことは苦しみを克服することであり、それには四諦のうちの他の三諦(集諦、滅諦、道諦)に従って、またとりわけ「八正道」の第三の修行「正語」に従って生活するよう努めることです。
 これらの指針(「四諦」や「八正道」)は、無数の人々が縁起(パティッカ・サムッパダ)という偉大な連鎖の中で数千年にわたって体験してきたものを具現したものであり、これらを守って行動するのは容易なことではありません。しかも、私たちはみな、それぞれに問題をかかえてもいます。しかし、これらの指針を守ろうという努力はできますし、またしなければなりません。ゲーテも『ファウスト』の中で「絶えず努力して励む者を、われらは救うことができる」と述べています。
 じつのところ、宿命論は仏教の教えに反しています。もし釈尊が宿命論者であったならば、彼は、人々を苦しみから解き放ち向上させるべきみずからの悟りを、他の人々と分かち合おうとして苦労することはなかったでしょう。
4  池田 苦・集・滅・道の「四諦」を“幸福になるための努力をうながす教え”と積極的なものに位置づけ直されたのは達見だと思います。たしかに釈尊は、苦を克服する道を説いたのであり、苦を甘受せよとしたのではありません。ただ、最初の苦諦では人生は苦であるということを真理としているので、どうしても人生に対する消極的な姿勢を生みがちだったのではないでしょうか。小乗教徒が宿命論に傾斜したのも、そのためだったのかもしれません。
 釈尊が人生は苦であるということを真理(諦)として説いたのは、あるいはインド的な特殊性を踏まえたのかも知れません。ご存じのように、インドには、永劫の輪廻転生を説く輪廻説があり、現在の生を宿命として受けとめ、できれば輪廻を断ち切り、再生したくないという考え方がありました。そのようなインド的な考え方から見てわかりやすいので、苦諦を説いたとも考えられます。
 じつは、仏伝を見ると、釈尊自身も、そのようなインド的な特殊性から脱却しえていないと見られる事実があります。その一つは、成道の後、その悟りを人々に説いていくことをためらったという事実です。みずからが悟った法があまりにも難解なので、説いても理解されないだろうと考え、そのまま涅槃に入ってしまおうとも思ったと伝えられています。結局、梵天勧請によって説法を始めるわけですが、もし悟りに安住し、そのまま涅槃に入ってしまったら、仏陀ではなくて辟支仏(独覚)に終わっていたわけです。この釈尊の逡巡には、再生を嫌うインド的な考え方が反映されています。
 また、晩年に起こった釈迦族滅亡の悲劇のさいに釈尊がとった態度には、宿命論が明確にうかがえます。つまり、釈尊は、コーサラ国王が釈迦族を滅亡させようとしていることを知りながら、釈迦族の前世の業の報いだから滅亡は避けられないとして、何の手も打たなかったと伝えられています。この仏伝は、あるいは小乗教的に潤色されているのかもしれませんが、それを勘案しても釈尊がインド的な宿命論からまったく自由だったとは言いきれないと思います。
 私は「四諦」の深い洞察を否定しているのではありません。ただ、仏教が現代における世界宗教として再活性化するためには、特殊地域的なものを拭いさって、仏教の本質に迫らなければならないと考えているのです。それはインドに限りません。中国的特殊性、日本的特殊性も同じです。
 その意味から「四諦」の説を捉え直せば、むしろ「四諦」に一貫する智慧が本質ではないかと思います。つまり生老病死が苦であると知り、苦の原因が煩悩であることを知り、煩悩を滅すれば苦も滅することを知り、煩悩・苦を滅する道は八正道であることを知る仏の智慧です。
 その智慧の立場を突き詰めていったのが大乗仏教ですが、とくに法華経では、仏の智慧が衆生に内在していることを説きました。この立場から、日蓮大聖人は、衆生の当体において煩悩・業・苦の三道を法身・般若・解脱の三徳へとただちに転換する道を説いたのです。ここには宿命論は、微塵も見られません。
 ガルトゥング 第六の短所である儀式偏重は、もはやどうにも避けようのないもので、ほぼ社会の法則に近いものとなっています。人々は寺院への参詣とかある種のしぐさ(たとえば合掌)といった行為の外形だけを重視しがちであり、その精神的な意義は往々にして忘れがちなものです。ここでもまた私個人のことを話させていただきますが、私はハワイでは時々親友のグレン・ペイジ名誉教授とともに、早朝、韓国系の仏教寺院へまいります。
 この寺院にいると、私はその場の寂静や壮麗なたたずまいに心を奪われてしまい、もっと深い、内面的な考察を忘れてしまうこともあります。しかし、私たちは自己の内面のそうした傾向性と戦う努力をすることができます。私たちは努力をし、他人のせいにするのではなく、自分の中にある仏性を自分で活性化しなければなりません。私たちは決して“降伏”してはならないのです。黙想の一形態としての「内なる対話」は私にとって非常に役立つもので、そこではいつも私はわが心の中に「内なるドラマ」を演出していると言ってもよいでしょう。このドラマのなかで、私は自分のさまざまな性質のどれも抑圧させず、それぞれを競合して演じさせて、それらの言い分に耳をかたむけ、そしてこの対話を仏教の真理へと静かに導くのです。
 池田 儀式偏重への傾斜を阻止するのは内なる戦いであるとのお考えに私も大賛成です。
 かつて私はハーバード大学での講演でもふれたのですが、宗教においては個人的(パーソナル)な面が主で、制度的(インスティチューショナル)な面は従であると位置づけ、制度や儀礼などの外発的な力が、信仰心という内発的な力を抑え込んでしまうという、ほとんどの宗教がおちいってきた落とし穴に言及しました。そして宗教に限らず、制度的なものの支配力が強くなり、内発的な力が弱くなったときにこそ、個人の内なる戦いが重要になるのです。
 飛躍できるのはつねに、制度ではなくて、人間です。トマス・クーンは、科学的な革命が個人による創造的な発見によって担われることを論じました。宗教革命も同じです。硬直化した教会権力を打ち崩したのはルターの信仰心でした。その個人の飛躍、つまり内発的な力の発現を準備するのが内なる戦いであると思います。
 ガルトゥング 「内なる対話」は、賛否両論を心の中で表明することによって、ただ今あなたが話された「内発的な力の発現」を促進します。この理由から、私は今では自分の「内なる言論の自由」が、あの名高い社会的・外面的な「言論の自由」と同じくらい重要だと考えるようになりました。私たちはみずからのつね日ごろの認識、感情、態度等を検討しなければなりませんが、そのためにはそれらの存在を否定するのではなく、その存在を明るみに出し、理解しようと努めなければなりません。対話をする時、多くの人々は「内なる独裁者」に言論統制を行わせます。しかし、そのようなことはやめにして、むしろ自分たちの内面の駆け引きを再吟味し、「内なる反対意見」を恐れないようになるべきでしょう。

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