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日蓮大聖人・池田大作

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宇宙生命との共鳴  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

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2  池田 いかなる次元であれ、「マイナス」の引力に負ければ不幸です。生命力を奪われ、破壊、衰退、分裂をもたらします。病気の苦しみ、経済上の苦しみ、争い合いの苦しみ等をつくっていくのです。戦争は、それらの苦しみが集約されたものでしょう。
 仏法でいう四悪趣(十界のうち地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界)、すなわち、人間でありながら“人間以下”の生命傾向に引きずられた状態とも言えます。四悪趣とは反対に、「プラス」のエネルギーは、四聖(十界のうち仏界、菩薩界、縁覚界、声聞界)の生命に連なります。「美」と「利」と「善」の価値を生み、そこには人間としての喜び、充実があります。
 人類も、世界も、平和も、ある意味で「プラス」のエネルギーと「マイナス」のエネルギーとの戦いです。暴力、破壊、分裂、反目は「マイナス」であり、非暴力、創造、融合、協調は「プラス」です。
 博士も指摘しておられるように、人類史において「プラス」が勝つためには、一人一人が、まず何より自分自身の「マイナス」を克服し、「プラス」へ転じゆくことです。それが、遠まわりのようで、根本的な“直道”となるでしょう。そのための仏法であり、「人間革命」なのです。
 ガルトゥング その「プラス」のエネルギーの相互作用、融合を深めるためにも、私たちは障壁や境界線を、できるかぎり取り除く努力が必要です。
 「境界」はいうまでもなく、近道どころか回り道をつくり出すものであり、そうした国家と国家やその他の組織の「境界」を縮小し、連帯と団結をもたらしてこそ、よき「生命の共鳴」も可能になります。
 その一例として私が挙げたいのは、名誉会長が、ゴルバチョフ元大統領と会われて、たいへんすばらしい意見の交換、そして「プラス」のエネルギーの交流をされたことです。このような交流のためには境界線を取り除き、空間を超えていかなければなりません。そのためには名誉会長がモスクワに行かれ、あるいはゴルバチョフ氏が東京を訪れることが必要でした。仏教こそは、そうした境界線の縮小に貢献するものと私は考えております。
 池田 おっしゃるとおりです。そのためにこそ私も、世界を動き、世界を結ぼうとしているのです。
 大前提として、仏法では「三世間(五陰世間、衆生世間、国土世間)」と説きます。「世間」とは「差別(違い)」の意味です。現実に、個人としての違い、集団・社会の違い、国土・環境の違い等があります。
 生い立ちや、資質、文化、伝統など、まったく違っている人も世界には多いわけですが、しかし、そうした「違い」「境界」を超えて、深く共鳴できる出会いがあります。共通の目的に進む“同志”“友人”としておのずと引き寄せられ、気がつくと互いに近いところを歩んでいるということが、あるのではないかと思うのです。
 ゴルバチョフ氏にも、またガルトゥング博士にも、私は、そんな感慨をいだかずにはおれません。
 ガルトゥング あなたはただ今「生命の共鳴」についてお話しくださいましたが、たしかに物理学にも「共鳴(レゾナンス)」という現象があります。これは、等しい振動数の音叉を二つ並べておき、その一つを鳴らすと、他の一つも共鳴して音を出し始めるというものです。
 池田 そうした「生命の共鳴・共振」は、宇宙の同次元のリズムに合致している者同士の間では容易に起こると考えられます。
 たとえば宇宙の菩薩界のリズムと合致した者同士は、あらゆる「境界」「違い」を超えて「共鳴」できます。仏法の信仰は、宇宙の仏性・仏界のリズムに自分を合致させていく修行ともいえるでしょう。
 一般論としても、優れた人の周囲には優れた人物が集まり、悪人は群れをなす場合が多いものです。たとえば、世界の平和という崇高な共通の目的へ向かって、それぞれ別の立場から歩んでいった場合でも、目的と信念の強さが共通ならば、相通じ合うものです。そのようにして、私も世界に多くの友人を得てきました。
 また自分の「生命のエネルギー」が強ければ、相手がどうあれ、共通の方向へと大きく影響を与えることもできます。ちょうど、気圧が高いところから低いところに空気が移動していくように、「エネルギーの流れ」が生じる場合もあるでしょう。
 そのような出会いを現実のうえでつくっていくためにも、社会的な境界線を縮める努力、カベを低くする努力が必要になってくるわけです。

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