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日蓮大聖人・池田大作

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宇宙生命との共鳴  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

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1  ガルトゥング 仏教では、“実体”としての霊魂の存在は認めていませんが、にもかかわらず「輪廻転生」を認めています。私が興味を引かれるのは、この二つの考え方がどのようにして結びつくのかです。
 池田 仏法では、生命が死後も「霊魂」のような、なんらかの“実体”をもった状態で存続しつづけるという考え方を否定しています。いわゆる「無我」の哲学です。
 しかし、同時に、生命はこの世限りのものではなく、過去世から今世、今世から未来世へ、一定の法則性をもって、「生」の状態と「死」の状態を繰り返すと説きます。つまり、ある意味で「生命は輪廻する」という教えです。
 博士のお察しのとおり、仏法は、二つの考え方を融合させることに成功しています。
 ガルトゥング では、この“輪廻転生はするが、それは霊魂のような「実体」をもったものではない”という概念を、どう理解すればよいでしょうか。私自身は「エネルギーが流れていく」というイメージをもっています。その流れのなかで、男とか女とかいう一個の人間としての存在が多種多様な他の存在と融合する、と。そして、宇宙万物をつらぬく生命力に関する私たちの責任とは、能動的な善きエネルギーの流れによって、(生命に)内在する仏性を強めることです。
 このイメージから私の心に浮かんでくるのは、もう一つの境界なき世界です。そこではあらゆる人間が、また人間とその他の生命体が、男性と女性が、そしてあらゆる世代、人種、階級、民族、国家等々のすべてが、因果の関係によって皆、一つにつながっているのです。
 池田 輪廻転生する生命の主体は何か。仏教では、それを生命の「業」(カルマ)に求めています。生命の内奥に刻まれた身心にわたる業――つまり身口意の三業といって、ある時は行動で(身)、ある場合は言葉で(口)、また心に思うことによって(意)、刻みつけられた業――このカルマが、生死を超えて連続すると説くのです。
 その業(カルマ)の総体を、「九識論」では、阿頼耶識と呼んでいます。九識論とは、ご存じのとおり、生命を、表層意識から心の深層まで九層に立て分けて説明するもので、阿頼耶識は、第八識にあたります。この第八識は「業蔵」とも言われます。いわば“業(カルマ)の貯蔵庫”です。
 ここからが、ご質問への答えになるかと思いますが、私も、この「業」を一種の“潜在的な生命エネルギー”ととらえることが、現代人にとってわかりやすいと思います。このエネルギーは、時間的にも空間的にも、一個人を超えて、影響力をおよぼしていきます。生命内奥の次元では、個人の第八識は他者の第八識と融合し、潜在的なエネルギーが交流するとされるのです。
 ガルトゥング そのエネルギーは、一個人にだけでなく、あらゆる人間の生命に流れていくということなのですね。
 池田 そうです。この潜在的な生命エネルギーは、その奥底において、家族、民族、人類へと流れゆき、さらには動物や植物といった他の生命体とも融合していきます。
 目に見える現象次元では「境界」はありますが、生命の深みにおいては、「境界」を超えた一体化がもたらされるのです。
 しかし、業には「善業」もあれば「悪業」もあります。「悪」のエネルギーが強ければ“宿命に支配された”生命となります。また、そのエネルギーが他へと連動していけば、他者をも不幸に巻き込み、ひいては、人類の破滅、自然界の破壊へと影響しかねません。ゆえに、まず個人のレベルにおいて、生命内奥の業を「悪」から「善」へと質的に転換することが大事です。
 一人の人間における業の転換は、他の人の業の転換をも呼び起こすでしょう。それが地域へ、社会へと広がれば、民族、人類、自然界の宿命の転換も可能なはずです。これが、私どものめざす「人間革命」の運動です。
 では、どうすれば「悪業」を「善業」へ転換できるか。これは、第八識の次元にとどまっていては不可能です。八識をもつつみゆく宇宙生命それ自体、第九識(根本浄識)すなわち「仏性」を触発する以外にないのです。ご質問のなかで博士が強調されている「能動的なエネルギーで仏性を強めること」こそ、まさに必要なのです。
 顕現した仏の大生命は、今度は第八識を浄化し、変革します。そして、さまざまな業を、ことごとく「極善」の方向へと転換させることができます。ここに仏法の真髄があります。この「生命革新の軌道」をつらぬけば、その人は、生死を超えて、永遠に崩れない幸福境涯をつかむことができます。また人々の生命に内在するエネルギーをも、希望の方向へと向かわせていき、さらには民族心(民族意識)、人類心(人類意識)をも、慈悲と知恵で輝かせていけるのです。この、「人間革命」のドラマから、壮大な「人類革命」「地球革命」の潮流が生まれると考えます。
 ガルトゥング ただ今のご説明をうかがい、これほど明快な答えはないと思いました。
 なお、今のお答えに関して、二点ほどお聞きして明確にしておきたいことがあります。まず、比喩的な言い方になりますが、人間のもつエネルギーには「プラス」のエネルギーと「マイナス」のエネルギーがあります。私たちは「プラス」のエネルギーを発揮していかなくてはなりませんが、「マイナス」のエネルギーにはどう対処すべきでしょうか。
2  池田 いかなる次元であれ、「マイナス」の引力に負ければ不幸です。生命力を奪われ、破壊、衰退、分裂をもたらします。病気の苦しみ、経済上の苦しみ、争い合いの苦しみ等をつくっていくのです。戦争は、それらの苦しみが集約されたものでしょう。
 仏法でいう四悪趣(十界のうち地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界)、すなわち、人間でありながら“人間以下”の生命傾向に引きずられた状態とも言えます。四悪趣とは反対に、「プラス」のエネルギーは、四聖(十界のうち仏界、菩薩界、縁覚界、声聞界)の生命に連なります。「美」と「利」と「善」の価値を生み、そこには人間としての喜び、充実があります。
 人類も、世界も、平和も、ある意味で「プラス」のエネルギーと「マイナス」のエネルギーとの戦いです。暴力、破壊、分裂、反目は「マイナス」であり、非暴力、創造、融合、協調は「プラス」です。
 博士も指摘しておられるように、人類史において「プラス」が勝つためには、一人一人が、まず何より自分自身の「マイナス」を克服し、「プラス」へ転じゆくことです。それが、遠まわりのようで、根本的な“直道”となるでしょう。そのための仏法であり、「人間革命」なのです。
 ガルトゥング その「プラス」のエネルギーの相互作用、融合を深めるためにも、私たちは障壁や境界線を、できるかぎり取り除く努力が必要です。
 「境界」はいうまでもなく、近道どころか回り道をつくり出すものであり、そうした国家と国家やその他の組織の「境界」を縮小し、連帯と団結をもたらしてこそ、よき「生命の共鳴」も可能になります。
 その一例として私が挙げたいのは、名誉会長が、ゴルバチョフ元大統領と会われて、たいへんすばらしい意見の交換、そして「プラス」のエネルギーの交流をされたことです。このような交流のためには境界線を取り除き、空間を超えていかなければなりません。そのためには名誉会長がモスクワに行かれ、あるいはゴルバチョフ氏が東京を訪れることが必要でした。仏教こそは、そうした境界線の縮小に貢献するものと私は考えております。
 池田 おっしゃるとおりです。そのためにこそ私も、世界を動き、世界を結ぼうとしているのです。
 大前提として、仏法では「三世間(五陰世間、衆生世間、国土世間)」と説きます。「世間」とは「差別(違い)」の意味です。現実に、個人としての違い、集団・社会の違い、国土・環境の違い等があります。
 生い立ちや、資質、文化、伝統など、まったく違っている人も世界には多いわけですが、しかし、そうした「違い」「境界」を超えて、深く共鳴できる出会いがあります。共通の目的に進む“同志”“友人”としておのずと引き寄せられ、気がつくと互いに近いところを歩んでいるということが、あるのではないかと思うのです。
 ゴルバチョフ氏にも、またガルトゥング博士にも、私は、そんな感慨をいだかずにはおれません。
 ガルトゥング あなたはただ今「生命の共鳴」についてお話しくださいましたが、たしかに物理学にも「共鳴(レゾナンス)」という現象があります。これは、等しい振動数の音叉を二つ並べておき、その一つを鳴らすと、他の一つも共鳴して音を出し始めるというものです。
 池田 そうした「生命の共鳴・共振」は、宇宙の同次元のリズムに合致している者同士の間では容易に起こると考えられます。
 たとえば宇宙の菩薩界のリズムと合致した者同士は、あらゆる「境界」「違い」を超えて「共鳴」できます。仏法の信仰は、宇宙の仏性・仏界のリズムに自分を合致させていく修行ともいえるでしょう。
 一般論としても、優れた人の周囲には優れた人物が集まり、悪人は群れをなす場合が多いものです。たとえば、世界の平和という崇高な共通の目的へ向かって、それぞれ別の立場から歩んでいった場合でも、目的と信念の強さが共通ならば、相通じ合うものです。そのようにして、私も世界に多くの友人を得てきました。
 また自分の「生命のエネルギー」が強ければ、相手がどうあれ、共通の方向へと大きく影響を与えることもできます。ちょうど、気圧が高いところから低いところに空気が移動していくように、「エネルギーの流れ」が生じる場合もあるでしょう。
 そのような出会いを現実のうえでつくっていくためにも、社会的な境界線を縮める努力、カベを低くする努力が必要になってくるわけです。

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