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社会主義の功罪  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

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1  池田 社会主義という言葉は、ひと昔前に比べて今や、見る影もありません。『共産党宣言』の中の有名な「万国のプロレタリアートよ、団結せよ!」のスローガンは、ロシアのアネクドート(小咄)の中で「万国のプロレタリアートよ、ご免なさい!」と皮肉られている有り様です。たしかにいわゆる「マルクス・レーニン主義」という形で定式化されてきた社会主義の実験を歴史的に検証してみれば、総体的にいって「大いなる失敗」(ブレジンスキー氏)と言われてもやむをえないかもしれません。
 しかし私は、だからといって社会主義の理念面も含めたすべてを否定し去ることは、フェアでないと思います。少なくとも往時の社会主義には、初期資本主義の暴威のもとでたいへんな苦しみを余儀なくされていた労働者に救いの手を差しのべようとする、瑞々しいヒューマニズムの感情がたたえられていたはずです。つまり、平等や公平などの社会正義をどう実現するかという社会主義の基調をなす理念こそ、多くの、優れた良心を社会主義者にさせた因でした。
 資本主義や自由主義にしても、そうした社会主義の“理念”をなんらかの形で受け入れながら、今日まで生き延びてきたはずです。そう考えれば、昨今の情勢をもって、資本主義の勝利だなどと短絡することは、あまりに単純にすぎるでしょう。社会主義の功罪については、長い目で見ることが必要ではないでしょうか。
 ガルトゥング 資本主義は、それがもたらす悲惨と犠牲を国内の下層労働者階級に負わせ、さらにこれらを周辺の第三世界の諸地域へと持ち出すことによって、生き残ってきました。これに対して社会主義は、馬鹿正直にもその制度による犠牲を国内のみに限定し、しかもその犠牲が下層階級だけにとどまらなかったために、崩壊の憂き目をみたのです。ブレジンスキー氏が「失敗」と言ったのは当を得ていますが、失敗したのは社会主義ではなく、スターリン主義でした。
 スターリン主義は本質的に、四つの要素から成り立っていました。第一に、たかだか四百人程度の人々が、旧ソ連邦と東欧の約四億もの人々の経済を、それもマクロ経済だけでなくミクロ経済をも計画するという巨大な企てです。第二に、生産は莫大であり、質の犠牲のうえに量が達成されたわけですが、ともあれ、極貧は基本的には社会から一掃されました。第三に、共産党は、権力と、そして真理すらも独占しました。それまで人類がおびただしい犠牲を払って拡大してきた市民権や人権は、まったく無視されました。第四に、これらすべてにたっぷりと加えられたのが、伝統的なロシア帝国主義です。それはロシア共和国、旧ソ連邦、そして旧衛星諸国に共通することでした。
 それが奉仕するはずであった当の民衆の手によって、この体制が崩壊の憂き目にあったのは、しごく当然のことでした。一九八九年とそれ以前の堂々たる非暴力革命において、民衆は、ポーランドで、ハンガリーで、そしてなかんずく東ドイツで、この体制を振り捨てました。やがて他の諸国の民衆もこれにつづいたのです。
 それはともかくとして、民主社会主義や社会民主主義の本質を理解していないアメリカの専門家たちが、残酷なスターリン体制こそが社会主義のすべてだと主張しようとするのは、不正直なことです。ここに、私も、また他の多くの人々も賛成している、一つの見解があります。それは、平等と公平を基本とした社会主義には、そのプラス面として、四つの要素があるということです。
 第一に、混合経済ないしは“交渉経済”です。これは国家と資本、計画する側と市場側が、明快でだれにでも理解できるような話し合いをつねに行いながら進めていく経済のことです。もちろんそのためには、公共部門(パブリック・セクター)がよく整備され、支障なく運営されていることが前提となります。第二に、生産において最優先すべきは、最も困窮状態にある人々の基本的ニーズを満足させることであらねばならない、ということです。つまり目標は貧困をなくすことであって、たんに数字上の平等を期することではないということです。第三に、外国との経済関係は、国がある程度管理しなければならないということです。そして第四に、経済における優先順位についての民主的な公開討論です。
 一般の人々がスターリン主義に愛想をつかしており、それもたしかに当然であるとは言えますが、だからといってこうした社会民主主義の大いに称賛すべき側面は、決して捨て去るべきものではありません。
 池田 賛成です。かつて私が提唱した「人間性社会主義」の理念とほぼ共通しています。これは、資本主義の悪しき側面である社会の不平等を当然視して、持てる者が持たざる者を圧迫し、弱者救済を一部の慈善家によるお恵みとする、いわゆる優勝劣敗、弱肉強食がまかり通る社会は、仏法の慈悲の精神に反するという考え方から、慈悲を社会的に実現するシステムとして構想したものでした。
 もとより、極度に肥大化した官僚制によって社会のすべてをプランニングしていくという、当時のソ連と同じような社会をつくるという意味ではなく、民衆が活力を維持しつつ、平等と繁栄を享受するためには、混合経済を基盤として福祉を充実していくべきであり、そのための、日本の実情に適った、最も妥当な社会体制として考えたものです。したがって、博士の言われる四項目のリストと多くの共通点があります。
 ブレジンスキー氏は社会主義の実験を「失敗」と呼びました。ゴルバチョフ大統領時代のイデオロギー担当の補佐官を務めていたG・シャフナザーロフ氏が、ブレジンスキー氏と一九八九年に会談したさい、共産主義と社会主義を同一視してひとからげに葬ることの誤り、社会主義の要素を取り入れることによって資本主義がその危機を乗り越え、社会を改良し、活力を持ちえてきた歴史的事実、ソ連と東欧諸国の八〇年代の激変は社会主義の理念自体の崩壊ではなく、民主主義や市場などのないもとでの社会主義を「建設」する試みの崩壊であること等を語ったところ、ブレジンスキー氏はそれに基本的に同意したと、シャフナザーロフ氏は述べています。
 政治的宣伝としての、ためにする社会主義崩壊を言挙げする言説は、資本主義にとっても危険であり、みずからのゆがみを映す鏡を捨て去ることになるでしょう。大切なことは、どちらの体制が勝ったとか負けたとかいうことではなく、その社会に住む民衆がどれだけ豊かで生きがいのある幸福な暮らしができるかであり、社会体制はそのための便法にすぎないのです。ソ連の場合は戦時スターリン主義を権力で固定化してしまい、また東欧諸国をソ連を守る緩衝地帯として支配・利用してきた非人間的な行き方が破綻したということでしょう。
 権力のために民衆が犠牲にされてきたことへの反発が、ペレストロイカによって噴出したのです。民衆を無視した社会は、いつかは必ず民衆の手によって滅ぼされるのであり、ソ連の崩壊は資本主義社会にとっても、大いなる他山の石として受けとめる態度が必要なのではないでしょうか。

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