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対話の達人たち②  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

前後
2  池田 おっしゃるとおり、ゴルバチョフ氏のいき方はきわめて複雑でした。しかし、それは何も彼の責任ではなく、当時のソ連の状況が必然的に強いたものであり、責任ある政治家としてのやむをえぬ選択でもありました。ペレストロイカにしても、試行錯誤はあったにせよ、グラスノスチを含む民主化のプロセスに対する彼の信念は不動のものがあり、事実、彼の仕事は、ソ連という国家と世界情勢を一変させました。これが、かつてだれもなしえなかった変革であることは否定できません。
 ゴルバチョフ氏を評して、ヤコブレフ氏(元ゴルバチョフ大統領首席顧問)は「みずから、自分の手にあった権力を手離して」「全世界の人々を世界大戦の恐怖から救い出」した「偉大な人物」と述べています。またブルラツキー氏(「文学新聞」前編集長)は「ゴルバチョフはソ連における議会制民主主義を信奉する政治家第一号といえる」と。そしてハベル・チェコ大統領は「ゴルバチョフは典型的官僚として、そのポストに就いたが、真の民主主義者としてそのポストを去った」と述べました。
 これらの評言は、ゴルバチョフ氏の人物とその業績がいかに卓越したものであったかを、正しく捉えています。
 言論は暴力とは対極に位置しています。ゴルバチョフ氏が、言論をペレストロイカの武器としたことは、民衆の支持なくしてペレストロイカが成功しないこと、そして武力や権力などの力がいかに表面的な成果をおさめようとも、民衆の意識変革なくしては、いかなる変革も結局は不毛であることを知っていたからにほかなりません。
 いかなる権力といえども、民衆の心の中に正当性の観念を植えつけられなかったら成り立ちません。また、たとえ成り立ったとしても、永続できません。あれほど堅牢に見えたソ連社会が、ペレストロイカの始まりとともに、ごく短期間で崩壊してしまったのは、ソ連人民の心から、共産党支配の正当性の観念がなくなり、逆に不信と疑いが増していたからといえましょう。そのことは、初めて代議員選挙が自由化された時、共産党の候補が軒並み落選したことにも端的にあらわれています。
 その、民衆の心の中に満ちみちていた鬱積した感情に、表現の通路を開き、民衆のありのままの心に呼びかけたのが、ゴルバチョフ氏の「対話」でした。博士は「ゴルバチョフは捨てられた」と言われましたが、そのことはゴルバチョフ氏自身、半ば予期していたことではなかったかと思います。氏は、クレムリンでの私との会見のさい、「ペレストロイカの第一は『自由』を与えたことです。しかし、その自由をどう使うかは、これからの課題です。たとえば、長い間、牢の中、井戸の中にいた人間が、突然、外に出たなら、太陽に目がくらんでしまうでしょう。それと同じように、せっかくの自由を、現在を見つめ、考えることにではなく、過去を振り返ることにのみ使う。世界の秩序を考えるよりも、国内にばかり目がいってしまう」とあたかもプラトンの“洞窟の比喩”を思わせるような述懐をしていました。哲人政治家の面目躍如たるところです。
 また、ゴルバチョフ氏の親友であり、私の友人でもある著名な作家のC・アイトマートフ氏は、クレムリンでの一つのエピソードを紹介してくれました。ある時、たまたまゴルバチョフ大統領(当時)と二人になった時、ある東洋の寓話に寄せて、為政者の選択のむずかしさを問うたというのです。寓話には、一人の流浪の賢者、預言者が登場し、為政者にいくつかの予言をします。そのうちの一つが「自由を得た人間は隷属から脱却するや、過去に対する復讐をあなたに向けるでしょう。群衆を前に、あなたを非難し、嘲笑の声もかまびすしく、あなたと、あなたに近しい人々を愚弄することでしょう。忠実な同志だった多くの者が公然と暴言を吐き、あなたの命令に反抗することでしょう。人生の最期の日まで、あなたをこき下ろし、その名を踏みにじろうとする、周囲の野望から逃れることはできないでしょう。偉大な為政者よ、どちらの運命を選ぶかは、あなたの自由です」(『大いなる魂の詩』下、池田大作、チンギス・アイトマートフ共著、読売新聞社)というものであったというのです。
 その為政者の答えはともかく、この寓話にこめられたアイトマートフ氏の危惧は、その後のゴルバチョフ氏の痛ましい運命を、恐ろしいほどに先取りしています。これを聞いたゴルバチョフ氏は、しばらく黙したあと、苦笑しながら語ったそうです。
 「私はもう選択をしてしまったのです。どんな犠牲を払うことになろうとも、私の運命がどんな結末になろうとも、私はひとたび決めた道から外れることはありません。ただ民主主義を、ただ自由を、そして、恐ろしい過去やあらゆる独裁からの脱却を――私がめざしているのは、ただこれだけです。国民が私をどう評価するかは国民の自由です……。今いる人々の多くが理解しなくとも、私はこの道を行く覚悟です……」(同前)
 ゴルバチョフ氏の、為政者としてのたぐいまれな稟質を、如実に物語るエピソードといってよいでしょう。その為政者としての生涯(まだ、決して終わったわけではありませんが)は、悲劇的といえばいえますが、私は、むしろそれは、ゴルバチョフ氏の勲章ではあっても、決して恥ではないと思います。
 ガルトゥング そしてまた、たとえゴルバチョフ氏自身が復帰しない場合でも、いく人かの第二のゴルバチョフが現れることでしょう。そして今度こそは、かつてイエスを同胞のユダヤ人が磔に処させたように、これらのゴルバチョフを同胞のロシア人自身が犠牲にするようなことが決してないように、またその結果バラバのような人物を大統領に選んでしまうことのないようにと、心から念願したいものです。
 現在、欧米は、筋金入りの政治局員で生涯一度も反体制的な言葉を発したことのないエリツィン氏を、全面的に支持し、彼が欧米に対して異議を唱えることはないものとして信用しています。しかしこれは、欧米にとってもロシアにとっても、じつに悪い徴候なのです。

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