Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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さまざまな学習のあり方
「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)
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池田
仏典に「人にものを教えるということは、車が重いのを、油を塗って回りやすくし、船を水に浮かべて進みやすくするようなものである」とあります。教育の根本は、このように、人間にもともとある力、可能性を“引き出す”ことにあるのですし、これはまた、子どもを、あらゆる可能性を秘めた“一個の人格”として尊重することが前提です。
「子どもの発見」ということを、フランスの歴史学者フィリップ・アリエスが言っています。
すなわち、ヨーロッパ中世には、大人と区別された子どもというものは意識されていなかった。赤ん坊の段階を終えた小さい人々は、すぐに大人の役割の各分野へ組み込まれた。子どもを説明する特別の用語は、十四世紀以前には見いだせないし、子ども用の服、玩具、本などが十六世紀以前に見られないのは、そのためである。つまり、フランスなどの西欧社会では、子ども時代という新しい概念が誕生するのは、ほぼ十七世紀以降のことである――と。
日本においても、近代国家が成立する以前には、“子やらい”と呼ばれる教育の習慣がありました。“子やらい”というのは、子どもを前にやり、後から押していくという意味で、子どもを未熟な者と見たてて、前から引っぱっていこうとする近代教育のあり方とは、ちょうど逆をいくものです。ヨーロッパと同じような現象がみられるということは、近代文明の性格を考え、それを逆照射していくうえで、たいへん示唆的です。そこには明らかに、子どもを「未人間」「半人間」とみなす、知識偏重教育の問題が横たわっているからです。
大人と子ども、子どもと家族、これらの関係は、非常にゆるやかに変化しています。ゆえに教育においても、長期的で確実な改善の展望が不可欠です。小手先や思いつきの方法では、結局、子どもたちが翻弄され、行き詰まってしまうでしょう。その意味で、博士が進めておられる“体験重視の教育”の意義は大きいと思います。
じつは、博士のお考えとも共通すると思うのですが、著名な教育学者であった牧口常三郎初代会長が、「半日学校制度」というものを提唱しています。
つまり、児童・生徒が半日を学校生活に、残りの半日を生産的な実業生活、あるいは専門的な学習や、個性に応じた教育にあてる制度です。学習を生活の準備とするのではなく、生活しながら学習する、それを生涯を通じ、実行していく――これが主眼です。また校舎や教師の労力を、二部制、三部制に編成すれば、より多くの生徒を収容でき、受験地獄の一掃にもつながります。さらに、校舎の費用の負担を軽減することもできる、としたのです。
授業の効率化については、こう見ています――教授法の改良によって「試験のためのにわか暗記で、後では大部分忘却してもよいような知識は、思い切って低減することができる」と。
また、博士が述べられた「内なる対話」の重要性については、もちろん私も同感です。しかし、やはり通常の教育機関のもつ役割が重要なことは、いうまでもありません。
平和は当然、今までも重要な問題でしたし、これからはより以上、「崩れざる平和」の構築への現実的、具体的な行動が求められています。何を、どのように、いつ、なすべきか――最も「効果」を上げるためにも専門家の育成は重要です。そして、そのための自己訓練、鍛錬を行う場は、やはり大学など高等教育の機関ということになるでしょう。
ガルトゥング
専門家には「高い精神性」と「生命の尊厳と人間の可能性への確信」が求められます。そうした資質や方向性を生みだす重要な源泉が仏教であり、またガンジー主義などがもつソフト・パワーの側面です。そこで、平和の専門家の育成を促進するうえで、創価大学はどんな役割を果たし得るとお考えでしょうか。
池田
平和の構築には、「倫理的側面」と「政策決定の合理性」という二つの側面があります。このうち、政策決定には高度な専門的知識が要求されます。ゆえに博士のご指摘のとおり、“平和への思想を民衆と共有し”なおかつ“合理的な政策決定のための情報提供をなし得る”専門家を養成する必要があります。その点で、創価大学には多くの可能性があると信じますし、創立者として真剣に支援したいと考えています。
創価大学を開学するさい、建学の精神の一つとして、「人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ」を掲げました。建学の理念の柱として「人間教育」「文化」「平和」を据えたのです。そのなかでも「人間教育」が根本であることはいうまでもありません。こうした考えのうえから、創価大学において、平和構築のための人材、専門家を養成したいというのが私の強い願望でした。
ガルトゥング
その希望を、私も分かち合いたいと思います。現在、平和学は、これまでの知識構築という焦点(平和研究)から技術面の焦点(平和訓練)へと進展しつつあります。この分野では、創価大学は指導的な役割を演じることができるでしょう。
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