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市井の哲人  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

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1  池田 博士は、世界のさまざまな所で多くの一流の人物と交流しておられます。またさまざまな市民と交わるなかで、問題解決と平和実現へのアイデアを生みだしておられます。
 これまで交流してこられた人物のなかで、とくに印象に残る人をあげていただけますか。
 ガルトゥング 各国の事情を深く研究する者はだれでもそうですが、私もこれまで私なりに、各国の大統領や副大統領、首相、外相等と会ってまいりました。
 これらの人々も、おおむね余人と変わりのない、普通の人間です。もちろん、彼らがひどい暴力に訴えることなしにみずからの意思を押し通そうとすれば人々を引きつける以外にないわけで、そのため彼らは、人間的な魅力とか五体から発散するエネルギー、能弁などの点ですぐれていることが多いものです。冷酷な独裁者は、人々に選ばれた指導者に比べると、人々を引きつけるこれらの資質をさほど必要としません。しかし、注意すべきは、こうした独裁者は、自分の冷酷さをわざわざ隠す必要がないため、他の人々よりもかえって正直な場合があるということです。
 私がこれまでに会った高い地位の人々のなかには聡明な人、想像力に富んだ人、思いやりのある人も何人かはおりますが、多くはそうではありません。一般に、これらの人々には一つの共通点があると考えられています。つまり、彼らは権力欲が深く、しかもやることが実質的でなく、道理に適っていないようです。私には、これらの特質がはたして政治指導者に限られるものなのかどうか、はっきりとは言えません。しかし、この傾向を私は大学教授から配管工にいたるまで、あらゆる種類の人々にみてまいりました。多くの政治家は、権力というものを、あたかも生まれながらに備えているかのごとく当然のものと思っていますが、なかには、権力を得るために苦闘する人々もいます。ところが、権力のためにもがけばもがくほど、彼らは真の権力を得ることが少ないようです。しばしば彼らは、権力の象徴のみを手にするのです。
 私は、クワメ・エンクルマ、フィデル・カストロ、ジュリアス・ニエレレ、ダライ・ラマ等々、第三世界の初代の指導者たちから大きな感銘を受けました。第一世界の指導者たちは、何代目であろうと、世界に対する自分たちの支配力を維持しようと懸命になっており、解放や発展をもたらすのではなく抑圧や搾取をしがちであるため、私はあまり彼らから感銘を受けることはありません。
 たぶん私の生い立ちや、社会科学者としての訓練のせいでしょうか、私は政治上ないし思想上の傾倒だけでは得られない、一般庶民への感受性をいっそう強くいだくようになりました。
 かつてノルウェーでは、私のような「良心的参戦拒否者」は、兵役に就く代わりに六カ月間余分に非戦闘的業務を務めることが必要でした。しかし、その業務が平和にとってなんら意味のあるものではなかったため、私はそれに応じませんでした。この拒否の結果、ノルウェーの裁判所は、私を半年間、投獄しました。この体験のなかから、私は、その日その日をようやく生き延びるべく苦闘中の英雄たちと、接触することができたのです。
 これと同様の体験を、私は、第三世界のいたるところで、また第三世界のなかでも私が最も精通している二つの地域、すなわちラテン・アメリカと南アジアの、それも女性のなかに見てまいりました。これらの人々は皆、私に深い感銘を与えてくれました。そのほかに私が挙げたいのは、たとえば冷戦の終結をもたらすのに非常に大きな力を発揮した、東欧・西欧の女性平和活動家のように、力強い、非暴力的な行動をとる人たちです。
 池田 日本のある財界人の方々と懇談した折、次のように尋ねられたことがあります。「池田会長は、世界を回り、各界の幅広い人たちと交流を広げているが、いつも心がけている点は何か」と。
 私は、躊躇なく、次のように申し上げたことを記憶しております。「世界には、いろいろな方々がいます。各国の元首のような立場の人々、博識な学者、あるいは巨億の富を手にしている人等々、まさに十人十色です。しかし、いかに権力や富、学識などをもった人でも、必ずかかえているのが“生老病死”の次元での悩みや課題です。これだけは逃れようにも避けようにも、どうしようもないものです。一切をはぎとった、その『心』と対話するように努めています」と。
 実際、そういう視点からみると、本当に偉い人というものは、庶民の世界に、世の脚光をあびる表舞台よりも陰の舞台に、多くいるものです。また、そうした庶民の哲学者と語り合う時がいちばん楽しく、疲れません。
 その点について、アメリカの哲学者のウィリアム・ジェームズが、おもしろいことをいっています。ジェームズが、彼の生涯に聞いたいちばん感銘深い哲学的な言葉は、かつて彼の家の修繕に来ていた無学な一労働者の、次の言葉であったというのです。「人間てものは、つきつめてみれば、誰だってほんの僅かしか違うものじゃない。けれど、そのほんの僅かばかりの違いってやつがひどく肝腎なことなんだ」(『ウィリアム・ジェイムズ著作集1』大坪重明、日本教文社)と。私も、このように、いぶし銀のような光沢を放つ、市井の哲人の滋味ある言葉を、数多くの心の宝としております。

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