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日蓮大聖人・池田大作

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ノルウェーという風土  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

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1  池田 博士の生地のノルウェーには「人道の国」というイメージがあります。
 最近では、ノルウェーを舞台にイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の秘密会談が十数回にわたり開かれ、これが最終的にパレスチナ暫定自治の基本協定調印に結びつきました。会談は、ノルウェーのホルスト外相の自宅や農家で行われたということですが、ノルウェーの“人道外交”を象徴するような出来事だと思います。
 貴国の著名な極地探検家フリチョフ・ナンセンは、後年、国際連盟の初代の難民高等弁務官を務め、難民の救済とその生活保障のために尽力したことでもよく知られています。第一次世界大戦直後の混乱期、五十万以上といわれた戦争捕虜を故国へ帰還させる活動や、祖国を追われた幾百万の難民の救援に全力を注いだ「人道」のための活躍は高く評価されるところです。
 また、ノルウェーは、第一次世界大戦後、飢餓が広がり困窮状態にあったソ連領アルメニアに援助の手を差しのべています。
 さらにはアルフレッド・ノーベルがノーベル平和賞の選考をスウェーデンでなく、ノルウェーの手にゆだねたという意義も考察する必要があるでしょう。ダイナマイトを発明し、それが戦争に使用されるという悲劇のなかで、ノーベルは苦悩のうちに平和賞を構想し、その選考をノルウェーにまかせる結論に到達したといわれています。
 よく「風土が人をつくる」といわれますが、こうしたノルウェーの風土は、博士の人格形成にどんな影響を与えておりますか。
 ガルトゥング これはノルウェー人としてはお答えしにくい質問です。平和は地球全体が享受しなければならないものですが、そのなかでノルウェーはほんの一小国にすぎず、世界全体からみれば遠くの片田舎のようなものです。しかし、ノルウェーは積極的に、あらゆる国際機関への参加をしております。また私たちの祖先であるバイキングですら、ある意味では世界市民でした。ただし彼らは、やがて海上貿易者となり、その後、多くが地域定住者となったのですが、やはりいくぶんかの帝国主義的な要素も残しておりました。
 個人的には、私自身、世界市民の一員であり、もはや人類という枠を超えた、過去から未来へとつながる“全包括的な生命”の一部であると考えています。私自身の優先順位表の中では“ノルウェー人”という位置は“平和活動家”とか“平和研究者”とかの位置よりも下位にくるのです。
 フリチョフ・ナンセンは、たしかにあなたがおっしゃったとおりのことを――そしてそれ以上のことを――やりました。しかし、実際には他の人たちも皆そうなのでしょうが、彼にも曖昧なところがありました。時として彼は、やはりノルウェー人でありながらナチスのシンパであったヴィトキン・クイズリングに連なるたぐいの運動に危険なほど近い、ノルウェー民族主義者でもあったのです。
 ノーベル平和賞の選考がスウェーデンではなくノルウェーに任されたのも、はたしてこれがノルウェーに敬意を示すものであったのかどうか、私は疑問に思っております。当時、両国はまだ、同一の国王のもとに統合されていました。片やスウェーデン側が、成熟した、国際的な、発展した地域と見なされていたのに対し、ノルウェーのほうは、いうなればやっと思春期に入ったばかりで、ある種の民族的ロマンチシズムに拘束されていました。ですから、ノーベル賞選考の割り振りも、ソフトな平和賞を道徳主義的なノルウェーに任せ、学問的精査を要する各賞を学術的で近代的なスウェーデンに残しておいた、と解釈している人たちもいます。
 しかし、このように申し上げはしましたが、母国ノルウェーが私に深い影響を与えていることは認めざるをえません。この影響は、むしろ傍から見たほうが、私自身が感じているよりもはっきりとわかるのかもしれません。一例として、私が受け継いだノルウェー人の自然を愛する心のおかげで、私は環境保護の運動にただちに共鳴できたのです。それにまた、私たちノルウェー人は――ないしは少なくともかつてのノルウェー人は――この世の栄耀栄華には、あまり感銘を受けません。ノルウェー人には厳正な公平観があり、社会的尊敬などもあくまでそれに値する人間にのみ与えるべきであって、たんに地位役職に応じて与えられるべきではないことを強く主張します。たとえば、だれかが部屋に入ってきたとして、それが首相であったとしてみましょう。でも、私たちノルウェー人は、追従的にお辞儀をするということはありません。もし首相であるのなら、その人はよい仕事をして、自分がその役職にふさわしいことを実証しなければなりません。地位役職そのものは、たんなる抜け殻にすぎないのです。
 私たちノルウェー人の平和的思考が形成されたのは、一つにはノルウェー人がもつはなはだ強い平等主義的な気質によるのであり、もう一つには――これも同じく重要なことですが――デンマークやスウェーデンのような強国によって小国であるアイスランドやノルウェー、フィンランドが数世紀にわたって統治された後に、私たちが一つの連合体――平和的、平等主義的な北欧諸国の共同体――の創設に成功したことによるのです。これらの国々には、自国内にも各国間にも構造的暴力や直接的暴力が比較的少なく、そこから私の「一般的には、より少ない構造的暴力がより少ない直接的暴力をもたらす」という(平和理論の)命題の一つが導き出されたことは、間違いありません。
 多くのノルウェー人がもつどちらかといえば寡黙で内気な性格も、またその慎み深い態度も――それが本物にせよ見せかけにせよ――私にはあてはまりません。ノルウェー人はまた、あえて自分の意見を公然と発表する人たちを“出る釘”式に叩きつぶす傾向があります。これはノルウェー人の平等観が悪い方向に出た例です。あるいはこれも当然の報いかとは思いますが、私自身もそうしたあつかいをたっぷりと受けており、私がしばしば母国よりも国外に住む方を好む理由の一つも、そこにあるのです。
 しかし、私がノルウェー国外に住む主な理由は、「平和」の概念自体が普遍的なものであるからです。つまり、たまたま私が、地球上で最も美しい国の一つである人口約四〇〇万の共同体に生まれたからといって、私の責務の範囲はノルウェー一国に限定されるものではないということです。
 ノルウェーの人道主義、平和志向の風土との関係で、ここでリンデ家のことについて少しふれさせていただくことをお許しください。リンデ家は傑出した実業家の一族であり、彼らにはノルウェー人のもつ人道主義的な精神が典型的な形で現れています。同家は、ノルウェーの社会科学全般、ことに平和研究を支えるのに必要な資金を提供したのでした。この両分野での仕事は、十分に価値のあるものであることが証明され、やがてさらに新規の、リスクの大きい計画のためにさえ、この資金が得られるようになりました。平和研究は、ノルウェーの外交政策にはほとんどないしは、まったく影響を与えておりませんが、リンデ家の資金になる「社会研究所」と、そこから派生した「オスロ国際平和研究所」(PRIO)の内外に生まれた、豊かな、実りの多い社会科学の環境が、また別の興味深い形で、ある影響をもたらしています。それについては、また後にお話しいたしましょう。
 池田 世界の海へ向かったバイキングや、ナンセン、アムンゼン、ハイエルダールといった探検家を輩出したこと、あるいは積極的な移民政策がとられたことなどは、なんらかの世界精神をかきたてずにはおかないノルウェー的な風土抜きでは考えられません。南の暖かな太陽や海の彼方への本能といえるまでの憧れや衝動が、厳しい自然環境のなかで培われてきたともいわれています。
 また、ノルウェーは、世界の最高水準といっていい社会保障のいきとどいた国、そしてフィヨルドや雪原などの北欧らしい大自然の美しい国という良いイメージでわが国では受け入れられております。
 お国の人々は、長い冬をともなう厳しい自然環境を生きていかねばなりませんし、そのためには、生活は、現実的かつ計画的でなければなりません。そこから高度な社会保障制度も生まれたといわれます。けれども、その現実性は、博士のお話にもあるように、決してたんなる俗物性に堕していません。自然と平和を愛し、高潔な人格を求めるというような地についた現実感覚であるようです。それは、厳しい自然が鍛え上げた、骨太いノルマン魂の一つの要素でもありましょう。
 さらに、私が想像する美しく澄みわたった大気や、どこか哲学的な雰囲気を漂わせる自然とも無縁ではないと思えてなりません。あの、わが国でもよく知られている巨匠ムンクの「叫び」などの作品の画面をつつむ空気なども、俗社会の汚れを寄せつけないような澄みきった、内省的なものを感じさせます。ですから、たんなる民族的ロマンチシズムとかたづけてしまうわけにはいかないお国の美質の一つが、そこにはあると思います。このようなことから、ノルウェー独特の自然と人間の深いかかわりがあろうかと考えるしだいです。

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