Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

四 ガン告知の是非について  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

前後
1  不可欠な精神的・宗教的観点
 池田 それでは、ここで現代人の生と死にかかわる具体的な問題――生命倫理――に入っていきたいと思います。
 まず死に関係するものとしては、ガンの告知が挙げられます。ガンは現代における最大の病気の一つであり、死の恐怖を呼び起こす原因となるからです。このようなガンを告知すべきか否かということですが、欧米では、医師によるガン告知は広く行われているようです。一方、日本の現状は「原則として告知しない」ことが社会通念のようになっています。
 しかし、近年、ガンに関する知識が急速に普及して、治療を始めるとガンであることが患者にわかってしまうようになったこと、また、ガン医療の進歩により治るケースがずいぶん多くなってきたことなどにより、ガン告知の問題は医師の間でも意見が大きく分かれています。
 また、患者のほうも、もし自分がガンになった場合には知らせてほしいと希望する人が増加する半面、家族がガンになった場合は本人に知らせるのを躊躇するという人も多いようです。博士ご自身は、ガン告知についてどのようにお考えですか。
 博士 私自身としては、この問題を扱うにあたって、何事も包みかくさずオープンでありたいと思います。患者がまったく疑問の余地なくガンなどの病気にかかっていると診断された場合は、本人にその旨を伝えるべきだと思います。同時に、診断がどの程度確実であるのか、また医師のすすめる特定の治療法が施された場合に、生存の可能性がどれだけあるかについても知らせるべきです。
 もし、仮に私が末期的病状の患者であると診断された場合、私にとって一番大切なことは、あとどのくらい生きられるかというたしかな予測を得ることです。それによって、残された人生の計画を立てることができるからです。
 池田 博士が言われたように、告知によって残された人生を充実して生きるケースも多くあります。しかし、ガン告知がこのように問題にされるのは、ガン末期の苦痛や、手遅れになれば〈死にいたる病〉であるとのイメージによるものと思われます。
 したがって、ガンであると知った患者は強いショックに見舞われ、それによって急激に病状を悪化させ、死期を早める人もいます。しかし一方では、一時期のショックを乗り越えてガンと真っ向から対峙していく人もいます。
 ガン治療を本格的に行おうとすれば、ガンであることを本人が知っていたほうが、医師と患者の協力関係もスムーズに運びます。また患者自身の免疫力も強化されて、治療効果を高めることにもなります。
 以上のことを考えれば、ガン患者への対応の仕方は、患者や家族の状況をよく見ながら、ケース・バイ・ケースで対応していかざるをえないでしょう。博士は、具体的にどのような条件を主として考慮すべきであると思われますか。
 博士 私はどんな場合でも、虚偽より真実、知らないより知っているほうが望ましいと思います。もちろん、そうはいっても、医師が患者にガン告知をする場合は、それぞれのケースに応じた心理的配慮を十分にめぐらして、慎重に告知しなければならないのは当然だと思います。真実は伝えるべきですが、即座に大きな苦悶をもたらすようなやり方で告知すべきではありません。
 この種の情報を受けとる心がまえとしては、死をむかえる準備の場合と同じく、適切な精神的・宗教的視点が貴重な心の財産となるでしょう。仏教では生老病死を、この世の無常の諸相にすぎないととらえています。このように見れば、生老病死のいずれにまつわる苦悩も減少し、消滅さえするかもしれません。
 いみじくも先生が指摘されましたように、西洋では、たとえ告知を受ける患者にそのための心の準備がまったくできていなかったとしても、話すべきことはすべて話すべきである、とする傾向が強まっています。
 池田 ガン告知で考慮しなければならない条件としては、初期ガンか末期ガンか、ガンの種類、患者の性格――ショックに耐えられるように成熟しているかどうか、血肉化した死生観・人生観をもっているか否か、さらには家庭内の事情、社会でやり残した仕事の有無などが挙げられるでしょう。これらの条件を考慮し、手術過程も考え合わせて告知の仕方を決めるべきだと思います。結局は、その人が充実した人生の総仕上げをしつつ、尊厳なる〈生と死〉を覚知できるように、最大の援助をすべきでしょう。
 ガン告知をした場合、患者の心の中に吹き荒れる悲哀・絶望・憤りなどを転換し、勇気と安らぎと希望を与えるには、博士も指摘されているように、精神的・宗教的観点が不可欠です。そして、仏教の死生観を医療関係者も患者自身も血肉化しておくことは、きわめて有効であると思われます。
 ところで、仏教国であるスリランカでは〈告知すること〉が基本になっているのでしょうか。
 博士 スリランカでも日本と同じく、患者には概して事実を告げないようです。これは意外なことです。なぜならば、両国とも人々はその宗教的・文化的伝統のゆえに、ほかの国の人よりはるかに〈業〉の現象を受けいれる心がまえができているはずだからです。
 池田 日本でまだ多くの医師が〈告知〉に踏みきれないのは、患者のショックが大きく、その後の経過に重大な影響を与えることを心配するからです。日本にも、仏教の業ならびに輪廻にもとづく死生観がありながら、日本人の多くは、日常生活の中で生死について考えることが少なく、したがってたしかな死生観を確立できないでいるのが現状だと思われます。ここにも、医師がガンを告知したがらない理由があります。
 博士 医師は、患者の病気が末期的であると診断した場合、まず近親者に相談して、どのように事実を打ち明けるのが一番良いか決めるのが普通でしょう。自分の死が迫っていることを突然知らされたとき、その人がどれだけ早くそうした状況を受容できるようになるか――それは先ほど述べられたように、どのような宗教的知識をもっているかで決まるでしょう。
 こうした状況下で医師にとって大事なのは、患者の背景について近親者から十分な情報を得ること、そしてそのうえで告知を受けたときの患者のショックをできるだけ少なくするように行動することでしょう。

1
1