Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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三 業と輪廻の思想  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

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5  自由意思で変革できる業
 博士 私は、業の概念はまだ発見されていない心の本質と関連があるように思います。
 池田 それこそ、仏教が阿頼耶識を指して「業蔵」とも表現することに当てはまると思われます。この生命の根源流の中には、善悪の潜在力が業種子として内蔵されています。それのみならず、現象界のあらゆる存在を生みだす一切の種子が包含されているのです。
 人間生命を形成しゆくすべての存在、すなわち身体と心の働きは、死に際してことごとく阿頼耶識のなかに種子として潜在化していきます。次にふたたび現象界へと現れるとき、阿頼耶識の中の業種子が顕在化して、心身の働きを織りなしていくのです。
 博士 業そのものは実験的に真偽を検証することはできません。ですから、これ以上論議する余地のない自然の一法則であると断定するほかありません。
 池田 むろん業の法則も、仏教で説く〈縁起〉に広く包含されていますから、業の発現の仕方には、多種の環境条件が複合的に〈助縁〉として関連していることを忘れてはなりません。
 さらに重要なことは、業論の意義は、いかなる業であっても自由意思で変革できるという法則性を示すことにあります。つまり仏教の業論は、決して一般にいう宿業論やたんなる哲学ではないということです。現在の自己の生命は、過去世以来の業を内包しているという側面のみにとらわれると、宿命論・運命論のように錯覚する人がいるかもしれません。だが同時に、業の因果律によれば、あらゆる瞬間に私たちは新たな業をつくっているのです。この現在という瞬間にも、自由意思を働かせて新たな業をつくり、未来を切り開いているわけです。
 このように仏教では、人間は必然の中に自由を求め、必然に即しつつ、それを飛躍台として自在の境涯を創造していける存在なのです。ゆえに、〈自由意思〉で善業をつくり悪業を転換しゆく行為によって、すべての人間は、現在の姿がどうであれ、平等に自己実現・自己完成の道、つまり宿命転換の黄金道を開拓することができるのです。
 博士 仏教を批判する人は次のように述べるかもしれません。
 「仏教は、物質的な面での社会の発展に対して、あまりにも自己否定的で悲観的な思想である。もし、仏教が世界の舞台を長期にわたり支配してきたとしたら、今日の機械、産業、そして技術の進歩はなかったであろう。なぜなら、これらはすべて多かれ少なかれ利己的な人間の動機に起因しているからである」と。
 私はまた、業の思想はある場合において、人を過剰なほどの自己満足におちいらせたり、個人の自発性の欠如につながる、という意見を聞いたことがあります。たとえば歯が痛いとします。それは業であるとして、歯医者へ行くよりもその痛みを我慢するというかもしれません。
 これはもちろん、業の法則のたいへん狭い一つの解釈です。この欠点は当然、個人の無我を強調する上座部仏教に限ったものであることを私は認めます。大乗仏教、先生が信奉されているような教えは、より実践志向であり、社会全体の価値を認めています。
 池田 博士が極端な例として「歯痛の話」を挙げられたように、業論を宿命論・運命論ととらえれば、たんなる〈あきらめ〉となり、外部世界とのかかわりを放棄し、生命の躍動性・積極性を消失させてしまうことになります。現在の状態への自己満足にひたってしまう人もいるでしょう。しかし、造業のメカニズムに着目すれば、業の法則はきわめてダイナミックに躍動する生命の本質を表していることが了解できるはずです。
 この場合、とくに重要な視点は、造業は生命流転の各瞬間に行われているということです。現在の瞬間にも新たな業が創出され、過去からの業を変革すると同時に、未来への原動力となって働いているのです。
 このような各自の〈自由意思〉による新業の創出、未来への働きかけは、すでに述べましたように、身口意の三業という身体と心の両面にわたって行われているのです。意業としての心のあり方は、未来への志向性を示しており、同時に言語活動(口業)は、その心・意思の動向を現象界での社会活動へと具体化していく行為です。その行為が個人から社会へとかかわっていくことは、いうまでもありません。
 なお、大乗仏教では当然のことですが、進歩をもたらす利己的な動機を否定するものではありません。それどころか、大乗仏教の真髄は「煩悩即菩提」というように、欲望などの煩悩を離れて菩提はないと説いています。限りない自己変革と社会の創造のために、真に英知を発現させていく現実的方途を示したものなのです。
 博士が言及された批判にも示されているように、各種の衝動・欲求等は、現状を打破し、物質文明を築き上げてきた原動力です。だが、各自の利己的な欲求が社会の中で激突し、社会を混迷におとしいれ、結果として人間の心身から生態系まで破壊してしまう悲劇を避けなければなりません。
 その意味でも、この仏法を基調とした民衆運動は、科学技術文明の健全な推進力となるとともに、精神性・道徳性に満ちた新たなる文明創出の源流となると考えております。
 博士 ただ今のお話を要約しますと、業の連鎖の過程で、個々の人間は自己完成の機会を与えられているということになります。当然の論理的帰結として、社会全体さらには人類全体もまた、何世代にもわたって輪廻転生するなかで、次第に向上する機会をもつことになるといえるでしょう。
 池田 そのとおりです。それは個人にとどまらず、家族や民族や国家、さらには人類全体の生命そのものに刻印された宿業の変革へと、大いなる波動を呼び起こしていくにちがいありません。
 私は、仏教の説く宿命転換のダイナミズムが、深き因果の法理を自由なる飛翔へのバネとして、精神性・道徳性を喪失しつつある現代物質文明に色濃く漂い始めた人類の〈種〉としての死の影をぬぐい去って、生の輝きを取り戻す重要な概念になりうると考えています。
 博士 こうした思想が、今最悪の事態にあると思われる現代世界に、新たな希望を与えるというご意見に賛成です。ここで重要な社会的教訓は、私たちの未来つまり地球の未来は、私たち自身の手にゆだねられているということです。現代世界において、このような視座を仏教ほど明瞭に提示している宗教はほかにありません。

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