Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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九 釈尊と大乗仏教  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

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1  真の自己と法が光明
 博士 偉大な平和思想を説いた「ブッダ」(仏陀)の最も簡単な解釈は、「比類なく賢明で、完全なる覚者」となります。
 私が子供のころに教わった仏教では、シッダルタ王子は実在の人物であり、後年、仏界つまり悟りの境地に達し、ついに入涅槃したと説かれていました。
 彼は王子として生まれましたが、当時の社会は争いで乱れていました。いたるところに貧困とカースト制度と人種差別がはびこっていたのです。しかし、彼自身の幼少時の生活はこの上もなく贅沢なものでした。そのことを彼は門下の僧たちに次のように語っています。
 「私は優雅に育てられた。あまりにも優雅に育てられた。とてつもなく優雅に育てられた。一例を挙げれば父の家には蓮池が三つあった。一つは青蓮の池、一つは紅蓮の池、いま一つは白蓮の池だった。それはすべて私を喜ばすためのものだった。栴檀香も迦尸国から取り寄せたものでなければ用いなかった。私の上衣は迦尸製の布で作られていた。チュニックやマントもそうであった。夜も昼も白い天蓋が私の頭上にかざされ、暑気や寒気、ほこりや籾穀や露が私に触れないようにした。私は宮殿を三つもっていた。一つは冬宮、一つは夏宮、いま一つは雨季用の宮殿であった。四カ月にわたる雨季の間、私は吟遊詩人達にかしずかれたが、それは全部女性であった。その四カ月間、私は宮殿を離れることがなかった」(Sayings of the Buddha<Wheel Publications,Kandy,SriLanka〉)
 彼は悟りを得るためにこの歓楽の生活を捨てました。そして幾年もたゆまず努力した結果、万物の本質を悟り、苦から解脱にいたる道を発見したのです。釈尊は、苦の原因は誤った態度にあると考えました。つまり、私たちが苦しむのは私たちの欲求や欲望のせいであるというのです。
 釈尊は、私たちを苦から解放するために「八正道」を説きました。しかし、彼はしばしば門下の僧たちに、その道は自分で発見するように勧めています。たとえば、弟子・阿難への次のような臨終の言葉が『マハーパリニッバーナ経』に述べられています。
 「自分こそ自己の主である。何となれば他のだれびとが主になり得ようか。あなた方はそれぞれ自己の灯明となりなさい。自己以外の何ものにも避難所を求めてはならない」(MahaparinibbanaSutta,2.26)
 池田 おっしゃるとおり大般涅槃経(『マハーパリニッバーナ経』)で、阿難が釈尊に最後の説法を懇請したのに対して、「自灯明、法灯明」として伝えられる説法をしています。
 自己、そして法こそが、生死の闇を照らす導きの光明となると釈尊は説いたのです。つまり、釈尊の説くところの真の自己とは、宇宙と生命の法にかなった行為のうちに実現するものでした。そして釈尊が、もろもろの事象は過ぎ去るものであるから、怠ることなく修行を完成しなさい、との臨終の言葉を残しているのも、人間完成、自己実現への努力、精進の道を示す仏教という宗教の特質をあますところなく示すものです。
2  久遠本仏と根源の一法
 博士 私は、この独立独行の思想にたいへん魅力を感じます。しかもそれは、現在の独断に支配された時代にとってきわめて適切な考え方だと思うのです。そこから当然に引きだせる結論は、釈尊だけが唯一の仏であるはずはないということです。釈尊以前にも諸仏がいたにちがいないし、また以後にも多数の仏が現れることでしょう。
 池田 まったくそのとおりです。宇宙と生命の真理を覚知した人を「仏」と呼ぶのです。この宇宙には多くの仏が出現し、法を説き、衆生を救済していることが推測されます。
 大乗仏教には、多くの仏の出現が説かれています。そこで、仏教史のうえから、釈尊入滅を起点として大乗仏教の興隆にいたる流れを追ってみたいと思います。
 仏教史上に現れたところを見ますと、釈尊の死を契機として、釈尊への追慕の念とその死の意味への問いかけが起こり、そこから「仏身論」が展開されていきます。
 最初は、宇宙と生命の法と一体である永遠不滅の法身としての仏が、民衆救済のために、この現実世界に釈尊という姿をとって出現したと解されました。つまり応身です。やがて、この法身と応身の二身をあわせもつ仏が渇仰され、そこに報身仏という考え方が現れます。
 同時に、仏身論と並行して「仏陀観」が進展してきます。まず、釈尊および種々の仏が過去にも出現していたという過去仏思想が現れ、また将来に弥勒菩薩が下生するという未来仏思想が現れます。さらに来世仏や他土仏思想が出てきます。西方世界の阿弥陀仏、東方世界の阿仏、兜率天(都率天)への上生を示す来世仏思想、そして十方に遍満する仏を説く現世仏思想が現れてきます。
 博士 大乗仏教の諸伝統は、多数の仏が存在するという概念をきわめて効果的に利用してきました。釈尊は、仏教の中で特別な位置を占めているのでしょうか。つまり、後年に出現した日本仏教の諸伝統に出てくる他の仏たちと、なにか異なるところがあるのでしょうか。
 池田 今まで述べてきました仏身論、仏陀観を包括し統合したのが法華経という経典なのです。法華経は、日本仏教でも中心的な役割を果たす経典として尊重され、広く信奉されてきました。
 その法華経の最重要品である「寿量品」には、次のように説かれています。釈尊は、久遠という永遠の昔から仏であり、この娑婆世界すなわち現実世界で説法し、衆生を教化してきたのであるが、釈尊はあらゆる衆生を救うためにさまざまな仏として出現し、相手に応じて法を説くのである。いま釈尊がこの世を去ろうとするのも、本当は菩薩道を行じて完成した寿命は尽きることはないのであるが、この入滅という方便によって人々を教化するためである、というのです。
 ここに「寿量品」を中心として久遠本仏思想が明かされるのですが、これについて中国の天台大師は、次のように解釈しております。
 「寿量品」で、釈尊が説法教化する相手に応じてさまざまな仏となって現れたことが示されることによって、大乗仏教に登場したすべての仏は、ここに釈尊一仏に統合されることになったのである、と。
 ここから天台大師は、「寿量品」に説かれる釈尊を本仏と呼び、仏身論においては、すでに述べた法身・応身・報身を相即し、しかも報身をもって正意とする仏身である、と述べています。つまり「寿量品」は、歴史上の釈尊という具体的な人格の存在をもって本仏とし、超歴史的仏つまり本仏の、歴史的現実のうえへの顕在化とみなしたのです。したがって、仏の寿命は無量であると説きます。これが久遠本仏の思想です。
 以上のように、諸仏を本仏に統合し、歴史的に存在する釈尊という一人格体に永遠の生命(寿命無量)を観じとったことが、法華経という経典の特質となっています。
 こうして、「寿量品」を中心として明かされた久遠本仏思想によって、大乗仏教の仏身論と仏陀観が包括され、統合されて、ここに永遠性と具体性を兼ねそなえた釈尊という衆生救済の大慈悲に満ちた人格的存在が、文の上から明示されることになるのです。
 日蓮大聖人は、こうした天台大師の解釈を基本的に承認されていますが、さらにこの久遠本仏の根底に、一切の仏を仏たらしめる根源の一法があることを開示されたのです。

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