Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

六 「心の平和」論  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

前後
3  「無明」から全ての煩悩が
 博士 釈尊が説いた個人の煩悩を克服する方法は、きわめて賢明な指導者の手助けがあれば別ですが、多数の人間がそれを成就することは、それほど容易なことではないでしょう。今日の指導者は、たいてい民主的な方法で選出されますので、民衆一人ひとりが正しい態度をとるようになり、国の運命を決定する指導者たちもそうなることが望ましいのです。ここに「正しい」態度とは、すでに議論しました仏教の〈全包括的世界観〉を意味します。
 今日の国家間の紛争は、機械論的生物学の伝統という狭い枠内でしか正当化されません。
 ダーウィン以後の生物学者たちと同じように、私たちが人間の本質は人間以外の動物と同等であるとみなすならば、「適者生存」の学説は人間集団にも無条件であてはまると考えられるかもしれません。もしそうであるならば、人種優劣説や富者による貧者の搾取、階級闘争、国家間の戦争はすべて正当化されることになります。事実、ネオ・ダーウィニズムの社会学者たちはこのような考えにもとづいて、自らすすんでヒトラーやナチズムを弁護さえしたのです。
 しかし、ここで無視されているのは、還元主義的見解を人間に適用した場合には限界があるということです。
 人類の長期的展望に関して、私は楽観的な見方をする傾向があります。人類の生存が新しい世界観にかかっていると考えられるならば、最終的にそうした新しい世界観が現れるはずである、というのが私の信念です。
 池田 仏教では、三毒などのあらゆる煩悩の根本は「無明」であると説きますが、これは、自らの生命や大自然、大宇宙の本来的なあり方、つまり、生命観や世界観に対する根本的な無知を指しています。つまり〈全包括的世界観〉に対する「無明」から、人々の世界観の限界性が生じ、偏見、差別、暴力性、貪欲などのあらゆる煩悩がわき起こると説いています。とするならば、今、人類に希求されているのは、まさしく世界観の抜本的な転換であり、それにもとづく善性の開発であるといえるでしょう。

1
3