Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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四 人間のための宗教  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

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1  民衆の大地に根を張る
 博士 池田先生が若かったころ、日本において仏教がそれほど人々を引きつける魅力ある宗教であったとは、私には思われません。日本の大多数の人々は、仏教よりもむしろ神道を信奉していたのではないでしょうか。うかがいたいのは、先生がどのような経緯で初めて仏教に関心をおもちになったのか、ということです。
 池田 私の青年時代、たしかに既成仏教の魅力は消失していましたが、だからといって人々が神道だけを信奉していたわけではありません。日本人は第二次世界大戦の終戦以前には、思想統制のもとに神道が国家によって強制されたために、一応、形のうえでは礼拝していました。しかし、心から受け入れたものでなかったことは、戦後、一転して捨て去られた事実からみても明瞭です。
 権力によって強制されたものは、決して人々の心の中に入りこむことはできません。日本において既成仏教が魅力を失っていったのも、長いあいだ権力に迎合して、民衆から遊離していたからです。
 私が仏法に関心をもったのは、前にも話しましたように、戸田第二代会長をとおしてです。先生は権力の弾圧に屈することなく信念を貫きとおしましたが、その戸田先生が信奉していたのが日蓮大聖人の仏法でした。
 常に民衆とともに歩みつづけた仏法者――私が最も心を引かれたのは、まずこの点でした。私も戸田先生の弟子として、日蓮大聖人の仏法を奉じるものとして、民衆の真っただ中で行動してきました。
 博士 戸田先生が池田先生の人生に深甚の影響を及ぼしたことがよくわかりました。ところで、現代日本において、宗教がきわめて大きな関心を集めるにいたったのはなぜでしょうか。
 池田 日本人は、戦後四十数年を経て、物質的に豊かにはなりましたが、それと反比例するように、心の飢餓感を強めているように思われます。人間は、自らの生き方に価値を見いださずには生きていけない存在です。ですから、だれびとも心からの納得と満足を与える哲学、宗教を、心の底では求めているのではないでしょうか。
 博士 よくわかります。人間のみが宗教をもつことができます。宗教心はむしろ人間の本能であるとさえいえます。
 池田 ベセル博士と語り合ったとき、博士は「宗教には、人々を権威に従属させる独断的な宗教と、自分でものごとを考える人間を生みだす手助けとなる宗教の二種類がある」と指摘していました。その〈自律〉の力を培っていく〈人間のための宗教〉を人々は求めています。
 日蓮大聖人の仏法は、生命内奥への洞察と自己認識を深め、〈自律の人間〉〈自律の社会〉を創出しゆく本源的な力を顕在化させる法を説いています。それゆえにこそ、日本のみならず世界の人々が大いなる関心を寄せているのだと、私は考えています。
 しかし、宗教が広まりゆくには、広める人の存在が不可欠です。また、宗教を広く民衆に知らせていくためには、その基盤が必要です。日蓮大聖人は「心ざしあらん諸人は一処にあつまりて御聴聞あるべし」と言われています。信仰の組織は、信仰者が励まし合い、啓発し合い、語り合い、平和と繁栄をめざしてともに行動するところに、必然的に要請されてくるものです。
 戸田第二代会長は、啓発しあう人間関係なくして真実の信仰の深化はないことを洞察していました。この〈人間共和〉の場があったからこそ、今日の創価学会があるといえます。真実の宗教は、民衆の大地にこそ根を張っていくものです。
2  在家が弘教の主役
 博士 ただいまベセル博士の言葉を引かれましたが、私も博士と同じように考えています。
 私が仏教に魅力を感じるのは、仏教が独断的な宗教ではないからです。極言すれば、主だった宗教のなかで、自己信頼と自己認識を最重要視しているのは仏教だけである、といってよいでしょう。なかんずく自己認識というのは、自ら努力をしないかぎり得られるものではありません。その意味で、仏教は現代科学の精神と十分に両立しうると思います。
 釈尊と日蓮大聖人は、そうした自己認識によって悟りを得た典型的な例であると、私は考えています。この二人の教えは、幾世紀にもわたって日本人を含む多数のアジア人を導く光明となり、生気を与えてきました。
 私が重要だと思うのは、仏教でいう悟りとは、過去幾世紀かの間に時に応じて出現した仏に限定されるものではない、ということです。仏道修行に努力することによって、すべての人々が成仏することができるのです。この点は、仏教の優れた特徴というべきでしょう。
 仏教の説く道は必然的な結果として、知恵、心の平和、慈悲、善意、地球上の平和等をもたらすのです。
 先生も私も幸いにして、若いころからそうした仏教の概念にじかにふれてきました。ですから、それを自明の真理として受け入れています。しかし、西欧世界では大半の人々が、私たちのような幸運に恵まれていないのです。
 仏教理念の実践がもたらす社会的利益は膨大なものでしょう。ですから、それらの理念を世界中に広めることを最優先しなければなりません。先生は、そうした活動を行うためには組織が必要であると言われましたが、まったくそのとおりです。
 古代の世界では、僧伽(僧団)がまさにその役割を果たしていたわけですが、現代においては、そうした集団が適切でないことはいうまでもありません。しかし、SGIなら、布教に果たした僧伽の伝統的な役割を担うことができるでしょう。在家団体ですから、自由に国や文化の境界線を超えて世界の人々に、できるだけ広く仏教の教えを伝えることができるわけです。
 池田 恐縮です。今の博士のご発言は、私どもの未来にとってたいへん重要な意味を含んでいると思います。

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