Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

三 平和への仏教者の使命  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

前後
1  若き日の二つの原体験
 博士 池田会長は、多大な時間とエネルギーを、平和のための活動に傾注してこられました。世界平和に対するこのような変わらぬ関心と情熱をもつようになられた経緯について、うかがいたいと思います。
 池田 私が若き日にもった二つの原体験が、平和への志向力になったと思います。一つは少年時代の体験です。もう一つは恩師である戸田第二代会長との出会いでした。
 日本が韓半島(朝鮮半島)や中国、東南アジアで暴虐のかぎりを尽くした歴史について、少年のころ、父や長兄から繰り返し聞かされました。
 明治の末か大正の初めに、父は徴兵を受け、現在の韓国・ソウルに二年間滞在したことがありました。長兄も兵士として中国にわたる体験をしました。
 父と長兄は、当時としては非常に人道的な考えの持ち主でした。よく「日本はひどいよ。あの横暴さ、傲慢さ。同じ人間同士じゃないか。あんなことは絶対に間違っている」と語っていました。そのころ私は、小学五年生くらいだったでしょうか。二人の戦争への怒り、日本の侵略に対する憤りを、私は少年の魂に深く刻み込んだのです。
 長兄は終戦の年である一九四五年、ビルマで戦死しました。戦死の公報が届いたのは二年後の一九四七年五月三十日、大空に初夏を思わせる白雲が流れている日でした。悲しげな母の後ろ姿は今も忘れません。私は戦争とそれを引き起こす愚かな指導者を憎みました。
 博士 ご長兄の戦死の報に接した母上の苦しみ、つらさが、どれほど痛切なものであったか、私はよくわかります。なんという痛ましい人間生命の浪費でしょうか。先生の母上、そして世界中の数多くの母親たちが、どれだけ悲しみ、どれだけ涙を流したことでしょうか。
 池田 戸田第二代会長と出会ったのは、一九四七年八月十四日、私が十九歳のときでした。友人に誘われて出席した座談会で、自由闊達に、しかも人生の深奥を直截簡明に語る戸田先生を見て、「この人なら信じられる」と直感しました。
 先生は戦時中、あの無謀な戦争に反対し、軍部独裁の国家権力の弾圧にも毅然として節を曲げず、投獄されながらも自己の信念を貫きとおした人でした。二年間の獄中生活に耐え、軍国主義と戦った人物――これは決定的な要素でした。
 また、戸田先生の師にあたる牧口初代会長は、その著書『人生地理学』(『牧口常三郎全集』、第三文明社)の中で、「一世界民」の自覚をもって「世界万国を隣家として」交流すべきことを提唱しました。牧口会長は偏狭な日本軍国主義と戦い、獄中にその尊い生涯を終えました。
 牧口先生の思想を受け継がれた戸田先生も、「私自身の思想は地球民族主義である」と語っていました。国家・民族を超え、人類という視座から、民衆一人ひとりが〈地球民族〉〈世界共同体〉としての自覚をもつとき、その土壌から平和にして安穏なる社会が現出するにちがいないと、鋭く見抜いていました。
 先生は一九五七年九月、五万人の青年を前にして「原水爆禁止宣言」を発表し、人類生存の権利にもとづいて、核兵器、ひいては戦争そのものに内包された〈悪魔性〉を鋭く喝破されました。この宣言の核心にあるものは、平和を破壊し、民衆の幸福を破壊に導く〈権力の魔性〉であり、この生命に巣くった見えざる魔性に絶えず挑戦していく以外に真実の平和も幸福も望みえない、という深い洞察でした。
 二十一世紀を目前にした今日、多くの人類的課題のなかでも最大の懸案は核廃絶です。私は、国連軍縮総会を初め機会あるごとに平和提言を行ってきました。
 いうまでもなく、平和が人類全体の焦眉の課題であることを知らしめる衝撃となったのは、原子力兵器の出現でした。わが国の〈ヒロシマ〉〈ナガサキ〉の実例から見ても、核兵器は人類の〈種〉そのものを絶滅しうる、まさに黙示録的な武器となりました。
 そこで私は、全人類的、さらに大自然をも含んだ全地球的な視野に立つ仏教のグローバルな世界観から、二十一世紀の平和を展望するとき、〈権力の魔性〉との戦いの具体的なあり方として、民衆次元の運動とともに、全世界が国連の機能強化を中軸にして未来を切り開いていくことが最良の道である、ということを指摘したいと思うのです。
 第三回国連総会で「世界人権宣言」が全会一致のもとに成立しました。それは、個人の基本的自由、さらに経済的、社会的、文化的な面における基本的権利を細かく規定し、戦後、人権保障のモデルを世界に示したものとして大きな意義をもっています。
 その後、国連は「世界人権宣言」を法的拘束力をもつものとして条約化し、その実施を義務づけるために国際人権規約を起草し、総会決議をもとに各国が署名できるように開放したことは周知の事実です。
 私はかつて、その先例にならい「世界不戦宣言」(第九回「SGIの日」記念提言「『世界不戦』への広大なる流れを。」『「世界不戦へ」への潮流をSGI会長講演・提言集』第三文明社、に所収)を国連決議として成立させることを提言しました。(一九八四年十一月二十六日)それが恒久平和実現への貴重な突破口となると信じたからです。
 博士 国連の起源は、当時アドルフ・ヒトラーと戦ったすべての国家が共同して事に当たることを決議した、第二次世界大戦の経過にあることを忘れてはなりません。一九四一年六月十二日のロンドン宣言には、ヒトラーと交戦状態にある国はすべて、「侵略の脅威から解放され、あらゆる人々が経済的・社会的安定を享受できる世界」を樹立するために、他の自由主義諸国の人民と協力し合っていくことがうたわれております。諸国の連合をもたらしたのは、皮肉にもヒトラーの戦争だったのです。
 国連によく似た国際的組織である国際連盟が、第一次世界大戦を終結させた数々の平和条約によって設立されたことも、私たちは思い起こすべきです。
 国際連盟も国連とほぼ同じ大志を掲げました。国際連盟規約はその目的を「以テ国際協力ヲ促進シ、且各国間ノ平和安寧ヲ完成セムカ為」と述べています。この大志を実現することに国際連盟が失敗したことは、何よりも、種々の対立が第二次世界大戦へと発展していったという事実の中に明らかです。
 過去にこれだけの教訓があるわけですから、国連がその使命を果たすうえで前車の轍を踏まずに成功することを期待したいと思います。
2  NGOは現代の菩薩道
 池田 そのためにも、私たちは、民衆次元からの平和構築をめざして、NGO(非政府機関)レベルで地ならし作業に取り組んでいくことが重要であると主張しています。国家レベルの論議はどうしても戦術・戦略論が先に立ち、民衆の素朴な反戦・不戦への心情が組みこまれにくいのです。その点、NGOならばその性格上、民衆の心情をより的確に反映させることができると思うのです。
 博士 国連憲章の冒頭の一節には「われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い」とありますが、国連が存在するというだけでは平和の保障にならない、ということに注目することは大切です。全世界のすべての加盟国、すべてのNGO、すべての人間が、この国連の目的を達成するために絶えず努力しなければなりません。
 池田 私どもSGIも、国連広報局、同経済社会理事会のNGOとして正式に承認されておりますが、このNGOの活躍の場は、今後さらに広がっていくと思われます。
 周知のように、初の国連軍縮特別総会を開催する牽引力になったのは、非同盟諸国およびNGOでありました。不戦という理想を実現していくうえで、トランスナショナリズム(脱国家主義)に立脚したNGOのもつ意義は、大きいのではないでしょうか。〈世界不戦〉の流れは、民衆が主体的に、可能な場から構築していくことが何よりも要請されているところですから、SGIも庶民の生活の場から粘り強い行動を展開していきたいと思っております。
 私は、NGOとしての行動の中に、現代における菩薩道のあり方が見いだせると思うのです。『法華経』の根本精神として説かれる〈慈悲〉と〈寛容〉による平和運動の現実世界への具現化が、民衆の総意による国連支援となるのではないでしょうか。私はここに、現代における菩薩としての仏教者の使命を感じています。
 博士 戦争を放棄するために、また第三次世界大戦への接近を回避するために全力を尽くすことは、地球上のすべての人間の義務であると信じます。私たち一人ひとりのそのような熱望を成就するための機関として、国連がその役割を果たすことに私も期待をかけています。
 この視座から見れば、SGIのようなNGOのほうが、個々の国連加盟国と関係する団体よりも、党派心にとらわれずにはるかに重要な役割を果たすことができる、というご意見に私も賛成です。

1
1