Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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六 人類共同体意識と天文学の使命  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

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3  共通の目的にめざめさせる宇宙
 博士 私は、エゴイズムという疫病を取り除く方法は一つにとどまらないのではないかと思います。池田先生が提言された仏教教義の信奉による方法もその一つです。仏教は私たち人間の個々の存在を宇宙的な観点でとらえる優れた思想をそなえています。
 エゴイズム克服のもう一つの方法としては、地質学や天文学上の事実を教育することも当然考えられます。四十五億年にわたる地球の歴史の中で、私たち人類(ホモ・サピエンス)の歴史はわずか九万年にすぎないことも忘れてはなりません。このことを本当に肌で理解したときに、エゴイストはエゴイストのままでいられるでしょうか。私は変わると思います。
 数十億光年の広がりをもつ途方もなく広大な宇宙、そのなかに存在する何十億、何百億もの恒星、必ずあるにちがいない生物の生息する膨大な数の惑星、宇宙に遍満する生命の基本的構成要素――これらの事実に深く思いをめぐらすことは、すべて厳粛なる教育的経験となるにちがいありません。
 池田 同感です。
 博士 また、人類の文明史全体が宇宙内の出来事によって支配されてきたとする見解があり、それを裏づける証拠もあります。
 たとえば約一万五千年前に、地球軌道と交差する軌道をもった巨大な彗星が破壊されて、何十億という破片に分裂したことがわかっていますが、それからというもの、千六百年ごとにその破片が激しい流星雨となって地球をおそっています。
 そのなかで最初の流星雨は、ほぼ一万年前に最後の氷河時代に終わりをもたらしました。そのころできあがり始めていた集落は、ときどき隕石の落下によって破壊されました。これこそ、古代の人々が不吉の徴候として彗星を恐れるようになった理由なのです。最近(一九九〇年)のことですが、ウィリアム・ネーピアとビクター・クルーブが共著『宇宙の冬』の中で、そうした説をくわしく述べています。
 冷厳なる事実は、人間は自己の運命をまったく自由に変えることができるわけではない、ということです。今日までの歴史は、地球外からのさまざまな衝撃によって区切りをつけられてきたように思われます。フレッド・ホイルと私の推測によれば、エジプトの一王朝の終焉、ユダヤ教の発生、ヨーロッパにおける暗黒時代の開幕等は、すべて隕石の落下と関係があります。
 現在は、私どもが考えている隕石落下周期のなかで、落下の可能性が最も少ない時期にあたっています。それでもツングースカの隕石落下のような事件が起きているのです。一九〇八年、シベリア中部に衝突したこの隕石は、数千平方キロにわたって樹木をなぎ倒しました。この珍事は、隕石や彗星の衝突する危険がなくなったわけではないことを、改めて私たちに思い出させてくれます。
 最近、天文学者たちはスイフト・タットル彗星をふたたび見つけ、西暦二一二六年八月には地球と衝突する距離にまで接近するという予測をたてました。計算はまだ不確実であり、大多数の科学者は今のところ、彗星はわずかの差で地球と衝突しないだろうと考えていますが、はっきりしたことはわかりません。この発見により、他の物体の地球に衝突する可能性が注目されるようになりました。
 興味深いのは、アメリカの航空宇宙局(NASA)が、宇宙から飛来する小さな物体を発見し、地球にぶつかる前にそれを破壊するという計画に、五十万ドルの予算を用意していることです。
 これだけにとどまらず、もっといろいろな意味において、私たちは広大な宇宙とつながりをもった生き物なのであり、いまでも宇宙で発生する大事件から影響を受けています。たぶん私たちの身近な環境や伝染病の流行、生命の進化も、地球の外にあるさまざまな要因によって左右されるのです。
 池田 宇宙には〈ロマン〉があり、〈永遠〉があり、広大なる〈生命〉の広がりがあります。そして宇宙は、その神秘を探ろうとする人間の英知の世界でもあります。
 宇宙を思うとき人間の境涯は無限に広がり、そこに、かけがえのない地球と人類への慈愛の念も触発されてきます。また宇宙の子供であり、小宇宙である人間としての自覚も深まっていきます。人類が地球の歴史に思いをはせ、さらに広大なる天空を見上げて生きれば、心のせまい争いの愚かさと平和の大切さに気づくにちがいありません。荘厳なる〈永遠〉を仰いで進めば、小さなエゴの対立などあまりにもむなしいことが理解されるでしょう。
 その意味でも、天文学と宇宙探求は、人類を共通の目的に向けてめざめさせる崇高な教育的役割を担っているのではないでしょうか。
 博士 天文学は、人類を共通の目的に向かわせるための世界観を形成する余地を与えているという点で、科学のなかでも類例のないものです。
 人間は外的世界を探検したいという基本的な衝動を常に感じており、これに応えて自然に発達したのが天文学であるといってよいでしょう。この天文学の沿革をたどってみると、それが世界中のさまざまな文化に深く根づいていることがわかります。最も初歩的な段階の天文学は、文明そのものの始まりにまでさかのぼらなければなりませんが、それがある程度、複雑化し始めたのは紀元前七千年ころです。つまり、それまでの狩猟・採集生活から農耕中心の生活に移行したころのことです。
 天空を研究することによって原始人は、たとえば四季のような天文学上の現象に明るくなりました。その結果、農耕を計画的に行ったり、また生活全般にわたってその水準を高めたりすることができるようになったのです。
 天文学はまた、航海においてもきわめて重要な役割を果たしました。おかげで私たちの祖先は海をわたり、地球のそれまで知られていなかった地域を探検することができたのです。
 池田 天文学は古代中国やバビロニア、エジプト、インドなどの農業国家で発生しています。中国では、紀元前十四世紀の殷の時代から暦法を中心に発達してきたとされており、また紀元前七世紀ころから日食の日付を書いた記録も残っています。
 博士 天文学史を一見しただけで、この研究が実に世界各地で行われてきたことがわかります。チグリス、ユーフラテス両川の間の平原に住んでいたメソポタミアの人々は、ニネベが滅ぼされた紀元前六一二年に至る幾世紀もの間に、古くからのきわめて優れた天文学の伝統をつくりあげていました。彼らは星座や惑星を詳細に観測し、その結果を粘土の平板に記録しました。これらの記録は今日の天文学者にとっても興味深いものです。
 そのほかの古代世界の国々も、天文学思想の発展にすばらしい貢献をしました。これにはマヤ族、ギリシャ、インド、中国などが含まれます。天文学はそもそもの出発点から、一国や一民族の境界内に閉じこめることのできない学問であった、ということがわかります。まことに国境を超えたものであり、また今後とも常にそうでなければなりません。
 ニュートンの時代から第二次世界大戦終結までの間にみられる天文学の進歩発展のなかで、その主なものはほとんど例外なく西欧と北米の諸国によるものです。一九四五年以降、ソ連、日本、オーストラリアが、少し遅れてインドと中国が頭角を現し、天文学の研究に本気で取り組んでいる国々の仲間入りをするようになりました。
 現代世界では物質主義的な考え方がますますはばをきかせています。ですから、よく次のように尋ねられます。「なぜ天文学をやっているのか」「天文学はいったいなんの役に立つのか」と。二番目の質問に対しては「なんの役にも立たなくて申し訳ない」と答えることになっています。
 しかし、こうした返答は基本的には間違っています。もちろん食糧とか衣類、エネルギーの生産を増大するという意味では、天文学は直接の役には立ちません。しかし、もっと大事な貢献があります。天文学は人間の文化的遺産の一部として欠くことのできないものであり、それゆえに尊重され維持されなければならないのです。
 インドにおいても、天文の研究を無視することは、歴史と縁を切り、数千年にわたって築きあげられた知的伝統との関係を断つことになるのです。同じことは中国や中東についてもいえます。
4  菩薩的な〈世界市民〉に
 池田 天文学の果たす役割は、宇宙時代をむかえていちだんと増大していくようです。たとえば米ソの緊張緩和に先がけて、すでに宇宙観測の分野では、一九八六年のハレー彗星の探査にさいして、データの取り方とその交換について東西各国の間で協力が行われ、多大の成果を収めました。
 広大なる宇宙空間に目を向け、きらびやかな星座と語りつつ〈宇宙意識〉〈宇宙生命意識〉を養いゆくことは、地球人類としての〈連帯〉の感情と自覚を自然のうちにうながしていきます。〈宇宙存在〉のもつ積極的な意味が、今後の人類文明史にとって真摯に問い直されてもよいのではないでしょうか。
 博士 天文学は今日、まことに国際的な研究科目になっています。ただ今、一九八六年のハレー彗星観測にさいして国際協力が行われたことを話されました。ご指摘のとおり、この例からみても、天文学が国家間の抗争や憎悪を超えて人々をつなぎ、共通の目標に向かわせることができるのは明らかです。こうした協力がこれからますます多くなることは確実です。
 多くの国々の共同的努力によって得られた豊富な知識を、一国や二国の専有物とみなすわけにはいきません。それは人類全体を豊かにするためのものです。ですから、人類を地球的な規模で一致団結させるのにかならず役立たせなくてはなりません。
 今日、地球は人間同士の角突き合いに絶えず悩まされていますが、宇宙科学の発展の結果として現れるであろう新たな視点から見れば、そんな争いなど取るにたらないものでしょう。
 池田 私も人類が宇宙を詳細に、また深く知ることによって、未曾有の〈意識変革〉が生起すると考えております。すでに百人を超える宇宙飛行士たちが宇宙での生活を体験し、そこでの鮮烈な体験によって〈地球人類意識〉〈地球生命意識〉を獲得しています。彼らは宇宙から地球を見る広大な視野を与えられたことによって、国家や民族への帰属意識から、地球への帰属意識へと意識が転換したのです。
 同じように、天文学の進歩と宇宙論の展開は、人類の意識を地球全体に拡大し、〈人類共同体意識〉を形成しつつ、さらに生態系との共存を希求する〈地球生命意識〉へと発展させていくでしょう。このように天文学は、現象宇宙としての〈外なるコスモス(宇宙)〉への認識を拡張していきます。
 一方、仏教は、人間生命の内奥に展開する〈内なるコスモス〉を探索し、宇宙根源の大生命にまで至ります。この宇宙大の生命は〈外なるコスモス〉を生みだす源泉でもあります。
 そして、仏教の説き示す菩薩道は、宇宙生命を〈大我〉として生きる人間群を、民衆の大地から湧現させていくのです。ここに、宇宙根源の生命に立脚しつつ、地球を舞台に他者と連帯しゆく、自由にして慈愛にあふれた〈菩薩的人格〉の形成が可能になるのです。仏教の菩薩的人間こそ、〈世界共同体〉を担うにふさわしい世界観と道徳性をそなえた〈世界市民〉といえましょう。
 私は、天文学・宇宙論と仏教との共同作業によって〈地球文明〉への精神の覚醒をうながし、コスモポリタンとして活躍する菩薩的人間の出現を期待しうると確信しています。
 このような天文学のもつ人類的意義からしても、博士の研究がますます重要な成果を生みだし、宇宙の真実の姿を開示することによって、壮麗なる〈宇宙時代〉を創出しゆく崇高な使命を果たされるよう念願しております。

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