Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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三 核兵器は〈絶対悪〉  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

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3  求められる〈魂の力〉の蘇生
 池田 核軍縮への歩みが加速されているとはいえ、領土や民族・宗教を原因とする地域紛争が頻発している現状、また核拡散の状況を考えると、核の脅威はいまだに人類のうえに重くのしかかっています。私は、このような核戦争の脅威を文明論的に位置づければ、まぎれもなく西洋科学技術文明が直面している一つの破局の姿ではないかと思うのです。
 今日の核を中軸とした兵器体系は、宇宙の研究開発の副産物でもありました。さらに化学兵器・生物兵器も、科学技術文明の所産の一つです。
 博士 そこで、核兵器の発明につながる科学技術の発達がなかったならば、世界はもっと安全な状態になっていたであろう、という意見もあるでしょう。私は、核兵器に対して嫌悪の情をもよおすものですが、だからといって、こうした考え方に同意するものではありません。人間の知識に対する探究心をおさえることはできないのです。
 もちろん科学者たちは、彼らの発見した成果が悪用されたことで非難されるべきではありません。科学的発見の成果を責任をもって活用していくのは、政治家と世界の指導者の責務であるからです。
 池田 ご指摘のとおり、人間の真理探究の心を抑圧すべきではありません。科学技術は、宇宙から原子にいたるまでの広大な知識の領域を開拓してくれました。ひとえに、科学者の真理探究にかける偉大な努力のたまものです。しかし、その科学的成果をどのように人類の幸福と繁栄に役立たせていくかという人類の英知が、いまこそ求められているのです。
 いうなれば、核兵器という〈絶対悪〉に集約される〈外〉なる衝撃に対して、〈内〉なる道徳的・倫理的歯止め、善なる〈魂の力〉を失ったところに、現代文明の危機があると思うのです。
 博士 人類を文字どおり核戦争の勃発寸前の状態にまで追いこんだ科学が、ほぼ全面的にその基盤としたのはデカルトの還元主義哲学であり、徹底したレス・コギタンス(思惟)の無視、宗教的・道徳的価値観の確実な排除でした。再考の結果として、道徳的・倫理的配慮が再び取り入れられることもありますが、それらはかならずといってよいほど論争の的になり、効果はあがっていません。
 キリスト教は、中世から産業革命の黎明期にいたるまで数世紀にわたって、かがり火のように輝き、ヨーロッパ諸国の運命を導きました。キリスト教は美術や音楽、文学、哲学に影響を与え、社会の目的にもかなうものでした。また、家族や社会集団を結束させました。金持ちは金銭を教会に寄付し、それはまた貧しき人々に手渡されたのです。こうして教会は、社会を平等にするという役割を果たしました。
 罪人は永劫にわたって断罪されると信じることができた人々は、罰せられることを恐れて罪を犯しませんでした。教会は社会制度として強大な権力をもつようになり、その権力は、教会の教義(ドグマ)の正当性が疑われるようになるまでつづいたのです。
 すでに話し合ったことですが、十七世紀の半ばにガリレオとコペルニクスによって、キリスト教の教義への最初の挑戦がなされました。そして十九世紀後半には、ダーウィンが教会と重大な対決をしました。
 コペルニクスからダーウィンにいたる時代に、プロテスタント主義の出現とキリスト懐疑論の台頭をみました。還元主義の科学が進歩し、キリスト教の教義の矛盾が明らかになるにつれて、宇宙および人間の本質に関するキリスト教の基本的信条は着実に侵食されていきました。
 このような矛盾が科学にとって本質的な問題となるのか、あるいは、その矛盾が還元主義的アプローチの限界に起因するのかは、疑問の余地があるでしょう。しかし、キリスト教のもつ教化と抑制の力が社会に与える影響は、ここ数十年のあいだに弱まってきたことは事実です。教会が空になりつつある状況下で、私たちに残されるのは道徳的価値を失った社会なのです。
 人間は年月の経過とともに、だんだん道徳基準を失ってきており、私はこの点にさしせまった危険を感じます。道徳的価値観がなくなった人間の行為は、素朴かつ単純な捕食者でしかなかった原始的な人間の行為に近づきます。違う点といえば、私たちは地球上の全生命を破壊させるに十分な凶器、つまり核兵器で武装した捕食者であるということです。
 デカルト的レス・コギタンスをふたたび私たちの世界観にとりこむことが、絶対に必要であると思います。このことがキリスト教的価値観への復帰を意味するのかどうかは、これから見きわめなければなりません。私の推測では、二十一世紀をむかえるにあたって必要とされる全包括的な世界観を、キリスト教に求めることはできないでしょう。
 東洋の哲学では平和と慈悲が最高の位置を占めますが、その哲学に希望を求めようとする西洋の若者のグループに、私はいつも感銘をおぼえます。仏教は東洋哲学の最高峰の一つであると確信します。仏教は〈全包括的世界観〉を含んでいますから、当然のことながら、私たちが二十一世紀を安全に生きるための指標となる宗教の候補に挙げられます。
 池田 人類が宗教性を土壌として道徳観・倫理観を回復することが、二十一世紀の世界のカギだと思います。善心という〈魂の力〉を蘇生させた地球社会を創出しゆく民衆の平和希求の運動に支えられてこそ、国連を中心とした政治・経済次元での軍縮と非核の安全保障システムの提案が、人類に実りある果実をもたらすことができるからです。

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