Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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一 宇宙における人間の位置  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

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1  〈月〉〈日〉の概念の意義
 池田 過去・現在・未来――目には見えませんが、厳として実在する宇宙のリズムがあります。その一部を人間は暦や時刻として、目に見える形に表現しようとしました。時間・分・秒といった概念は、いつごろ、どのようにして生まれたのでしょうか。
 博士 現在、西欧で使っている〈月〉の名称や日数は、ローマ帝国のユリウス暦によって誕生しました。
 池田 今から約二千年前のことですね。
 博士 現在、私たちが用いている〈月〉〈日〉といった概念は、実は有史以前からありました。それは、人間が初めて宇宙の中で自分たちの位置を認識したときに生まれたのです。
 古代の人々は、〈月〉や〈日〉の概念を実生活に取り入れて生活を便利にしました。今日でこそ、〈月〉や〈日〉などと簡単に言えますが、こうした知識を獲得することはじつに大変なことでした。なぜなら、太陽と月の位置を同一の空間で同時に計測することは不可能だったからです。
 その後、星が姿を現す日没直後の空を眺め、太陽が沈んだ地平線上の位置に注目していれば、恒星間における太陽の見かけ上の運行の軌跡をたどることができることに気づいたのです。これを第一歩として暦が完成していきました。
 〈時間〉〈分〉〈秒〉という単位が生まれるには、それほど困難はありませんでした。暦の誕生で大事なことは、人間が自分の〈宇宙の中での位置〉を自覚して生きるようになったということだと思います。
 池田 宇宙と自分が、いかなる関係にあるのか――それを考えるのが、人間の人間としての証であるといえます。それは知性の働きであるし、また同時に宗教の使命でもあります。
 そこで、日本でも世界でも話題になっているものの一つに、イギリスのストーンヘンジがあります。博士は、これについてどうお考えですか。だれが、なんのために造ったのか……。
 博士 ストーンヘンジについては、私自身は調査・研究を直接行ったわけではありませんが、関心をもっている何人かの人たちと語り合いました。
 ホイル博士もその一人ですが、博士は、天文学者としてストーンヘンジを研究した人々のなかでは最初に、それはなんらかの〈天文台〉のような働きか、あるいは〈カレンダー〉の役目をしていた可能性がある、と主張しました。
 しかし博士の理論は、とくにイギリスの考古学者から批判を受けました。彼らは、ストーンヘンジを造った人々はあまりにも原始的であり、儀式や埋葬などの目的以外にそれを使う能力をもっていたはずがない、と言うのです。
 「せいぜい季節についての単純な計測程度の目的であって、天文学的な道具として使っていたなどとは、とても考えられない」と、まったく相手にしませんでした。
 池田 残念ながら証拠がないわけですね。
 博士 断定はできませんが、私自身は、天文学的目的のために造られた可能性も十分にあると思っています。ただ具体的な証拠となるとむずかしい。チグリス川、ユーフラテス川流域のメソポタミア地域では、かなり精密な天体観測を行っていたという証拠が発見されています。
 ストーンヘンジについては、私はどちらの説にも一理あると思いますが、現在の時点では、どちらかというと、考古学者たちの考えを否定できないのではないかと思います。ただ、原始的な諸民族の知性や天文学的な認識を過小評価することは禁物です。
2  宇宙の探究は平和、人間の探究
 池田 お考えはよく理解できました。話を天文学に戻しますが、前にも述べましたが、私は青春時代に恩師・戸田第二代会長のもとで、ガモフの宇宙論を学びました。当時むさぼるように読んだガモフの著作は、今でも宝として大切にとってあります。
 恩師は、よく語っていました。「これからは天文学の教育に力を入れるべきだ。学校でも社会でも、天文学を学ぶことで平和を愛する心を培うことができるだろう」と。
 ロマンあふれる宇宙への探究は、人類の心を大空のごとく広げます。また人類に一体感をもたらします。その意味で、天文学の発展が平和の発展へとつながっていくことを私は信じ、願っています。
 博士 それは〈エゴ〉を乗り越えるということですね。
 池田 そのとおりです。仏教では小宇宙である人間が自己を大宇宙の妙なるリズムに合致させゆくことによって、幸福への軌道を歩んでいけることを教えています。ここに人間本来の理想的な生き方があります。
 こうした仏法の観点からも、〈宇宙の探究〉は〈平和の探求〉であり、〈人間の探究〉と重なるはずなのです。
 博士 私も全面的に賛成です。それは〈エゴ〉を克服することであり、天文学は〈エゴ〉超克のために最適の背景を提供してくれるものと思います。
 人間は宇宙と深い結びつきがあります。古来、人間は自然に恐れをいだき、また崇拝してきました。この点で現代人は、傲慢で、あまりにも自己中心的になってしまった。宇宙全体と離れて自分たちだけで存在できると信じこんでしまったのです。
 池田 宇宙的なものと切り離され、〈閉ざされた人生〉になってしまった。それをもう一度、大きく天空へと窓を開け、扉を開き、広々とした〈開かれた人生〉へと人類を解放しなければなりません。天文学は、そのための有効な手段になると信じます。
 博士 エゴイズムやドグマ(独断)は、平和への脅威となります。
 本来はドグマと無縁であるはずの科学者でさえ、自分の学説以外の主張をかたくなに拒もうとする場合があります。残念なことですが、明らかな反証をも無視しようとする傾向さえ見られます。その背景には、巨額の研究費を使っている以上、自説をくつがえすわけにはいかないという事情もあるようです。
3  恐竜の絶滅と隕石
 池田 もう一つ、最近の興味深いニュースについて、ぜひ博士にうかがいたいと思います。
 今から約六千五百万年前、それまで約二億年にわたって繁栄してきた恐竜が絶滅しました。なぜ突然、絶滅したのでしょうか。
 その原因の一つとして、巨大な隕石や小惑星が地球に衝突したことによるという〈隕石衝突説〉があります。この説に有利な証拠が、メキシコのユカタン半島で発見されたというニュースです。
 つまり、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校の研究者たちが、ユカタン半島のクレーター(隕石等の衝突で地表にできた穴)から採取したガラス状の鉱物テクタイトを年代測定した結果、恐竜絶滅の年代と一致する数字が出たと発表しました。
 博士 たいへんに興味のある問題です。実は〈隕石衝突説〉を最初に提唱した(一九七二年)のは、ホイル博士と私でした。
 池田 ずいぶん早い時期だったのですね。
 博士 その後、一九七九年に、アメリカのノーベル物理学賞受賞者ルイス・W・アルバレスと、その息子で地質学者のウォルター・アルバレスらが、恐竜が絶滅した時期の地殻層から多量のイリジウムを検出しました。
 イリジウムのような重い白金属元素は、ふつう地球の奥深く沈んでおり、地殻中には微量しか存在しません。そのため、隕石にふくまれていたのではないかという考えが信憑性をおびてきたのです。
 今回、ユカタン半島の地殻層から発見されたのは、人間の体内にもふくまれているアミノ酸です。隕石や彗星にはアミノ酸などの有機物質が多くふくまれていることから、〈隕石衝突説〉を支える発見となったわけです。
 では、アミノ酸がどのように恐竜絶滅の原因となったかということですが、これには二説が考えられます。第一に、隕石の中に存在していた、アミノ酸をふくんだ微生物がもたらした疫病により死滅したのではないかという説、第二に、衝突時にアミノ酸がいわば〈化学薬品〉として働き、その毒性によって滅亡したのではないかという説です。
 池田 青酸カリなどの化学物質は微量でも人間を死にいたらせます。そのように毒として作用したということですね。
 博士 そのとおりです。次に、彗星はなぜ凶瑞と信じられたかという問題を取り上げてみたいと思います。地球の歴史は多くのデータから、隕石や彗星の衝突に密接な関係があると考えられます。
 いまから三十八億年前に、地球上に初めて生命が誕生しました。それ以前、地球が生まれてから七億年間は、彗星との衝突が頻繁に起こり、生命が存在する可能性はありませんでした。その後、生命誕生から現代にいたるまでにも、かなりの数の彗星の衝突が繰り返されました。
 ホイル博士と私の最近の研究では、一万年間の人類の文明は、彗星の衝突に密接な関係があると考えられます。イギリスの天文学者ビクター・クルーブ博士やウィリアム・ネーピア博士も、独自の研究で同じ結論を出しています。
 人類文明一万年の歴史において、彗星の地球への衝突は数多く起きました。これを目のあたりにした人々は、彗星が落下してくる空を恐れ、彗星を凶瑞と考えるようになったのです。
 池田 たしかにアジアでも、古来、彗星は凶瑞であると伝えられています。仁王経など多くの仏典にも説かれていますし、日蓮大聖人も「立正安国論」を著された一つのきっかけに、大彗星の出現を挙げられています。
 「又其の後文永元年甲子七月五日彗星東方に出で余光大体一国土に及ぶ、此れ又世始まりてより已来いらい無き所の凶瑞きょうずいなり内外典の学者も其の凶瑞きょうずいの根源を知らず」(「またその後、文永元年〈一二六四年〉七月五日、彗星が東方の空に出て、その光はほぼ一国に及んだ。これはまた、世始まって以来、前例のない凶瑞であった。内典の学者も外典の学者も、だれ一人としてその凶瑞の根源を知らない」)という一節がそれです。
 博士 千六百年という長い周期で彗星が激しく地球に衝突するという状況があったようです。エジプトのピラミッドも、彗星の衝突から王を守るために造られたという見方もあります。
 天体は宗教の性格にも影響しています。ユダヤ教においては、古代イスラエル時代に彗星が落下して共同体が破壊されました。当時のイスラエル部族の指導者であったヨシュアは、空から落ちてくる物体によって村落が破壊されていると述べています。
 次に、紀元前五世紀ころのギリシャ文明の最盛期は、地球が全体的に平穏な時代で、知的な活動が活発に展開されていきました。釈尊が仏教を説いたのとほぼ同時期になります。この時代に生まれた思想は非常に平和的で、静穏な性格をもっています。
 一方、キリスト教の形成期は、地球と彗星との衝突のショックから人心が回復していく過程にありました。したがって、初期キリスト教の指導者たちは、人々が安心できるように、彗星の衝突の犠牲になった人々を神が救済してくれる、また神の子供だから守られないはずがない、と強調したのです。
 また、西暦五〇〇年から六〇〇年のあいだにも彗星等の衝突が起こりましたが、これは西ローマ帝国の滅亡、そしてヨーロッパ中世の始まりと合致しているのです。
4  心の〈現実〉とがかわる宇宙論
 池田 博士の説で貴重なのは、「人間もその歴史も、宇宙との関係を離れて論じることはできない。宇宙と人間は一体であり、地上の人間の歴史も天空からの影響を深く受けている」ことを、現代人に思いださせる点でしょう。
 ともすれば人間の歴史を、人間の世界の枠内に限定して論じる傾向がありますが、これは人間のおごりの一つの表れでしょう。しかし、それでは決定的なところで、歴史の真実をとらえそこなう危険性があります。
 仏教は、宇宙をふくむ環境と人間が不可分であることを、「依正不二」論として説いています。これについては後ほど、くわしく論じ合いたいと思います。
 仏教の歴史観は、〈人間に対する宇宙の作用〉と〈宇宙に対する人間の作用〉の両面を見つめつつ、トータル(総合的)に歴史の実相に迫るものです。
 博士 仏教の再生を行った日蓮大聖人の活躍された十三世紀ころも、地球全体としては彗星の衝突は多くありません。宇宙の本質、生命の本質に思索をこらすには、ふさわしい時代だったのかもしれません。
 池田 ただ大聖人の時代の日本は、「天変地夭てんぺんちよう飢饉疫癘ききんえきれいあまねく天下に満ち広く地上にはびこ」という状況でした。自然災害、異常気象、伝染病など、病める国土、病める社会を変革するために、大聖人は根本である宗教の変革を断行されたわけです。
 ところで、お話をうかがっていて思いだすのは、戸田第二代会長の言葉です。
 恩師は「数万年前に、地球にはすでに高度に発達した文明が存在した可能性が論じられているが、否定はできない。その文明がなぜか滅亡し、人類は未開の状態にいったん堕ちて、そしていま再び文明の繁栄をむかえているのかもしれない。そういうサイクルが考えられる。
 問題は、文明を滅ぼす原因はいったい何かということだ。天災なのか、戦争なのか、その他の理由か、これを人類は十分に思索しなければ、また同じ悲劇を繰り返しかねない」と憂慮していました。
 もちろん、以前に起きたから、また同じことが起きるとは限りません。しかし、一つの周期の存在、またある程度の傾向性、方向性は研究の対象になるでしょう。また、それを考えたのが仏教なのです。
 博士 たいへん興味深いお話です。
 池田 現実ばなれしているかのような宇宙論も、実はさまざまな意味で、人間の心の〈現実〉と深いかかわりをもっているのです。
 博士 よくわかります。人間は天体望遠鏡をもたなくても、宇宙の理法を発見することができる。それを発見する〈方程式〉を胸中に秘めているのです。仏教発祥の当時には、現代におけるような優れた観測機器や高度な研究がなかったにもかかわらず、人々は内と外との宇宙への道を把握していました。それも現代では見失われていますが。
 池田 そのとおりです。そして、それは生命という根本への無関心にも通じています。そこで、生命とは生死を繰り返しながら永遠に存続する実在であるという仏教の考え方について、博士はどのように思われますか。
 博士 たとえば、死後はまったくの〈無〉であるとする思想もあります。しかし、私の考えは違います。もし生命が今世限りのものとするならば、より深く、より価値ある人生を生きようとすることは無意味となるでしょう。
 じつは実証科学の立場からは、〈死後の生命〉を否定する根拠はまったくありません。現在のところ証明することはできませんが、数千年にわたって多くの賢者たちが強く主張してきた信念に対して、現在だけの知見からそれを性急に否定することは、誤りであり傲慢であると思います。自分の直感としては、仏教で説く〈生命の永遠〉の教えには多くの真理が含まれています。
 池田 たしかに現代の世界的危機や科学的実証主義のなかには、残念ながら人間の傲慢が横たわっているように思える部分があります。まさにこの人間の傲慢こそ、真理と平和への脅威であり、それとの戦いを忘れてはならないと思います。

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