Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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五 西洋と東洋の諸科学  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

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2  空理空論で停滞
 池田 現在のところ、医学などの一部の領域を除いて、インド科学、中国科学、イスラム科学などは、かつてみなぎっていた創造のエネルギーを失っているようにさえ思われます。これらの科学がなにゆえに停滞したのかということを探索することも、現代における重要な課題であろうと思われます。
 これからの人類の科学は、当然のことながら、いまや全地域をおおうにいたった西洋近代科学を無視して語ることはできません。
 しかし、西洋近代科学とはまったく違うといってよい世界観や宗教を土壌として咲き誇った東洋世界の諸科学と、その文化の中に、人類の科学への貴重な遺産を再発見し、未来へと生かすこともできると思います。
 博士 私が思いますのに、東洋の諸科学が停滞したのは、あまりにも空理空論に徹しすぎたという単純な理由によるものです。東洋の科学は、事実を考慮に入れることを断固として拒否し、ますます書物の権威に頼るようになりました。これでは大失敗に終わるのは目に見えています。
 科学というのは事実を積み重ね、それを体系化することです。ですから、事実が二次的にしかみなされないようになったら、それはもう末期症状といってよいでしょう。
 最盛期にはインドの科学も中国の科学も、一種の全体論的・人本主義的な姿勢をたもっていました。これがたしかに有益な影響となって、その後の科学の質が向上したのです。これは西洋の科学者にとって良い教訓になります。彼らは相変わらず研究室で、あるいはたんに頭の中だけで、生物系や物理系を解剖したり分析したりしつづけるでしょう。だが、そうしている間にも、西洋科学では〈まだ発見されたことのない〉全体像があるのだということを、常に意識しておくべきでしょう。
 同時にもう一つ覚えておいてよいと思われることがあります。それは、東洋の科学はなぜ全世界に影響を及ぼすことができなかったのか、ということです。その理由は先に述べたように、空理空論を追い求める姿勢が台頭し、それが事実に優先するようになったからです。西洋科学も私の見るところ、それと同じ道をたどっています。つまり、空理空論を追求する傾向がますます強まっているのです。
 池田 私も博士と同じように、インドや中国の科学者たちがともすれば権威に頼り、古代の文献を重視するあまり、事実の観察からもたらされるデータを軽視し、また無視した結果、創造性と進歩を失ったとの見解に賛成です。
 そして、西洋科学における要素還元主義の限界が指摘されるようになった現在、東洋の全体論的思考法の重要性が増していることも事実ではないでしょうか。
 博士 インド人と中国人の思想を支配していた世界観は、〈上から下へ〉の世界観といってよいでしょう。概して、個々の下部構造のほうが容易に触知できるものであるにもかかわらず、それよりもそれらの集まりである大きな上部構造のほうが重要であると考えられたのです。
 すでに論じたように、こうした見方からいくつかの世界観が生まれたわけですが、それらは現在でも受け入れうるものです。
 しかし、それと同時に忘れてはならないことがあります。すなわち、この〈上から下へ〉の世界観は、ヨーロッパに起きた産業革命に類する発展は何ひとつもたらさなかった。その意味では大失敗であったということです。産業革命は〈下から上へ〉の世界観の直接的な結果であったと見てよいでしょう。
 東洋の〈上から下へ〉の世界観には一つ有益な面があります。それは、この見方は地球の環境保全をほかの何物にも優先しようとするであろうということです。また、アジアにはきわめて原始的な社会が残っておりますが、そうした社会で守られてきた人間に関する基本的価値観でさえも、工業化された現代西洋世界の価値観より多くの点で優れているのです。
 池田 東洋科学の全体論的態度は、人類を含めた生態系、さらに地球全体をこの相互関連においてとらえています。また人間生命も心身を包含し、さらに社会や自然環境との関連において思考しますから、人間の本質的価値を失うことはない、との博士のご意見に賛成です。
 博士 もっぱら〈下から上へ〉の見方に固執するのは危険なことです。そのうち細目にとらわれて、より大きくより重要な問題を見失ってしまうからです。そして科学もやはり、ますます範囲の狭い専門分野に細分化するようになります。
 各分野は専門家をつくりだしますが、畑の違う専門家同士では話が通じません。現代の創造的な科学者のなかには専門家があまりにも多すぎ、科学全般にかかわっている科学者があまりいないといえるでしょう。こうした状況は、西洋科学に全体論的な見方を同化させることによって変えることができると思います。

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