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日蓮大聖人・池田大作

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五 西洋と東洋の諸科学  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

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1  高い水準にあったインド
 池田 ここで、これまで地球上に登場した西洋科学以外の〈多く〉の科学――とくに東洋世界の科学――を取り上げてみたいと思います。
 たとえばインドにおいて、仏教誕生の時期を含めて、イスラムの侵入に至るまでのインド科学の発展はすばらしいものがありました。インドにおける〈0〉(ゼロ)の発見が数学に無限の可能性を開き、アラビアをとおして西洋近代の自然科学を大きく発展させるカギとなったことは、よく知られております。日本の岡倉天心は『東洋の理想』の中で、「この国では絶えて停止することのなかった科学の大いなる流れが表にあらわれてきた。一体、インドは全世界に向って知的進歩の素材を運び、撒布してきた国であり、これはサーンキア哲学と原子論を生み出した仏教以前の時代以来の話であり、五世紀には数学と天文学がアーリヤバタにおいて花ひらき、七世紀にはブラフマグプタが高度に進歩した代数を用いて天文学上の計算を行い(中略)いま考察している時代においては、アサンガ〔無著〕、ヴァスバンドゥ〔世親〕を始めとして、仏教の全エネルギーが感覚と現象の世界を目ざすこうした科学的研究に向けられて」(佐伯彰一訳、『東洋の理想他』平凡社所収)等と述べております。そのほか、アーユルヴェーダ医学、仏教医学も高い水準をたもっていました。
 八世紀後半にアラビアが世界各地の科学を吸収し始めたとき、真っ先にインド科学や思想に着目したのも当然のことと思われます。
 博士 インド文明は、たとえばインダス川下流にあるモヘンジョ・ダロの遺跡からはっきりわかるように、紀元前三〇〇〇年よりかなり以前にさかのぼります。
 考古学的な証拠から明らかなのは、高度の技術と科学が普及していたにちがいないということです。あいにく、そうした初期の文書記録は残っておりません。インドに文書が存在したという最初の直接的な証拠は、紀元前六世紀よりもずっと後のものです。
 インド文明は、知的な面でも哲学的な面でも高度に発達していました。それを示す記録は紀元前六〇〇年以降のものが豊富に残っています。中国の科学が大発展したのも大体この時期と一致します。これは古代ギリシャ哲学が出現するほんの少し前にあたります。
 インドの哲学者も中国の哲学者も、本質的に直覚主義者・内省主義者であって、還元主義者・経験主義者ではありませんでした。両者とも感覚による認識はおおむね錯覚であると考え、外的世界の観察をあまり重視しませんでした。インドの哲学者はとくにそうでした。
 ウパニシャッド哲学では、世界の万物はブラフマンが顕在化したものであると主張しています。これはとくに抜きんでた全体論的な断定です。
 しかし、そうした傾向にもかかわらず、インド人は実際には精緻な〈原子論〉を展開したわけですが、それでも決して観察する者と観察される物とを切り離して考えることはありませんでした。この点で量子力学における最近の考え方、つまり観察者と観察の対象物とは相互に密接な関係にあるという考え方に、なんとなく似ているといえるのではないでしょうか。
 池田 すでに量子論のところで話し合ったとおり、観察者とその対象物との相互関連の思考法は、仏教の縁起にもとづく認識論とも軌を一にしています。
 博士 インド科学がとくに優れていた分野は数学でした。これは先ほど話されたとおりです。数学のなかでも、幾何学よりはむしろ算数や代数学のほうで大きな力を発揮しました。宇宙観もまた非常に精密をきわめたものでした。このことについてもすでに話し合ったとおりです。
 池田 中国でも漢民族の文化に根ざして、独自の科学をつくりあげております。とくに中国漢方医学は今日でも、陰陽五行説という、西洋近代医学とは違った生命観に立つ医学として使用されておりますが、そのなかで、たとえば中国の脈診法は、イスラムからヨーロッパに影響を及ぼしたと言われております。
 中国の紙、印刷術、磁針、火器などが東方からヨーロッパへと伝わっていったことは、よく知られております。
 博士 西洋科学が誕生するずっと以前に、インドと中国の科学がすでにかなり高度の域にまで達していた、という事実には考えさせられるものがあります。
 中国では早くも紀元前二五〇〇年ころに天文学が始まったと考えられます。紀元前二一三六年には日食が観測されたという証拠が残っています。
 池田 ええ、予期しなかった日食が観測されたため、胤侯が酒におぼれて職務を全うしなかった司天官(=天文官)を誅殺した、と『書経』(巻二・夏書)に記されています。これは有名な話ですね。
 博士 また、それとほぼ同じころ、一年の平均の長さが三六五・二五日であることを中国人が発見したと考えられています。
 こうした事実から明らかなのは、中国には世界のどこよりもはるかに早く、精密な観測機器があったということです。ところが、それにもかかわらず、中国人が宇宙モデルを考えだした様子はありません。その点、たとえばギリシャ人は、恒星などの公転を示す宇宙モデルをつくっています。
2  空理空論で停滞
 池田 現在のところ、医学などの一部の領域を除いて、インド科学、中国科学、イスラム科学などは、かつてみなぎっていた創造のエネルギーを失っているようにさえ思われます。これらの科学がなにゆえに停滞したのかということを探索することも、現代における重要な課題であろうと思われます。
 これからの人類の科学は、当然のことながら、いまや全地域をおおうにいたった西洋近代科学を無視して語ることはできません。
 しかし、西洋近代科学とはまったく違うといってよい世界観や宗教を土壌として咲き誇った東洋世界の諸科学と、その文化の中に、人類の科学への貴重な遺産を再発見し、未来へと生かすこともできると思います。
 博士 私が思いますのに、東洋の諸科学が停滞したのは、あまりにも空理空論に徹しすぎたという単純な理由によるものです。東洋の科学は、事実を考慮に入れることを断固として拒否し、ますます書物の権威に頼るようになりました。これでは大失敗に終わるのは目に見えています。
 科学というのは事実を積み重ね、それを体系化することです。ですから、事実が二次的にしかみなされないようになったら、それはもう末期症状といってよいでしょう。
 最盛期にはインドの科学も中国の科学も、一種の全体論的・人本主義的な姿勢をたもっていました。これがたしかに有益な影響となって、その後の科学の質が向上したのです。これは西洋の科学者にとって良い教訓になります。彼らは相変わらず研究室で、あるいはたんに頭の中だけで、生物系や物理系を解剖したり分析したりしつづけるでしょう。だが、そうしている間にも、西洋科学では〈まだ発見されたことのない〉全体像があるのだということを、常に意識しておくべきでしょう。
 同時にもう一つ覚えておいてよいと思われることがあります。それは、東洋の科学はなぜ全世界に影響を及ぼすことができなかったのか、ということです。その理由は先に述べたように、空理空論を追い求める姿勢が台頭し、それが事実に優先するようになったからです。西洋科学も私の見るところ、それと同じ道をたどっています。つまり、空理空論を追求する傾向がますます強まっているのです。
 池田 私も博士と同じように、インドや中国の科学者たちがともすれば権威に頼り、古代の文献を重視するあまり、事実の観察からもたらされるデータを軽視し、また無視した結果、創造性と進歩を失ったとの見解に賛成です。
 そして、西洋科学における要素還元主義の限界が指摘されるようになった現在、東洋の全体論的思考法の重要性が増していることも事実ではないでしょうか。
 博士 インド人と中国人の思想を支配していた世界観は、〈上から下へ〉の世界観といってよいでしょう。概して、個々の下部構造のほうが容易に触知できるものであるにもかかわらず、それよりもそれらの集まりである大きな上部構造のほうが重要であると考えられたのです。
 すでに論じたように、こうした見方からいくつかの世界観が生まれたわけですが、それらは現在でも受け入れうるものです。
 しかし、それと同時に忘れてはならないことがあります。すなわち、この〈上から下へ〉の世界観は、ヨーロッパに起きた産業革命に類する発展は何ひとつもたらさなかった。その意味では大失敗であったということです。産業革命は〈下から上へ〉の世界観の直接的な結果であったと見てよいでしょう。
 東洋の〈上から下へ〉の世界観には一つ有益な面があります。それは、この見方は地球の環境保全をほかの何物にも優先しようとするであろうということです。また、アジアにはきわめて原始的な社会が残っておりますが、そうした社会で守られてきた人間に関する基本的価値観でさえも、工業化された現代西洋世界の価値観より多くの点で優れているのです。
 池田 東洋科学の全体論的態度は、人類を含めた生態系、さらに地球全体をこの相互関連においてとらえています。また人間生命も心身を包含し、さらに社会や自然環境との関連において思考しますから、人間の本質的価値を失うことはない、との博士のご意見に賛成です。
 博士 もっぱら〈下から上へ〉の見方に固執するのは危険なことです。そのうち細目にとらわれて、より大きくより重要な問題を見失ってしまうからです。そして科学もやはり、ますます範囲の狭い専門分野に細分化するようになります。
 各分野は専門家をつくりだしますが、畑の違う専門家同士では話が通じません。現代の創造的な科学者のなかには専門家があまりにも多すぎ、科学全般にかかわっている科学者があまりいないといえるでしょう。こうした状況は、西洋科学に全体論的な見方を同化させることによって変えることができると思います。

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