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日蓮大聖人・池田大作

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四 危機に直面する科学  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

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1  池田 アメリカの巨大科学を一貫して指導してきたノーベル賞物理学者レオン・レダーマンが、一九九〇年に「科学――フロンティアの終焉」という報告書を提出しています。これは科学研究者の現場の逸話を集成したものですが、その中で彼は、「一九六八年がいわゆる黄金時代の頂点であった」と述べています。
 この報告書は、アメリカの戦後科学研究体制をつくりあげたブッシュ報告書「科学――終わりなきフロンティア」に対応するものであり、またブッシュ政権が日本政府に要請してきたSSC建設への資金協力問題とも関連しているので、興味をもっております。
 この報告書を読みますと、現在の非常に費用のかかる科学技術を今後どのように発展させていくべきかを考えさせられます。
 一九六〇年代当時は、科学に対する社会一般からの支援が無制限といってよいほどありました。現代の世界で私たちが当たり前と思っているものの大半は、科学の恩恵によるものです。それにもかかわらず世論がこのように変化し、科学に対する風当たりが強くなっているようです。
 博士 おっしゃるとおり、近年、科学の発展が大きくさまたげられています。これから先も長期にわたって、こうした状態がつづくというのが一般の悲観的な見方です。しかし、私はそうは思いません。科学・技術にはこの数十年で大きなはずみがついており、これはどうにも止めようがないからです。
 科学・技術の施す恩恵はだれの目にも明らかであり、世界中に行きわたっております。科学は、ほんの一例を挙げるだけでも、マイクロチップやレーザーを生みだしました。そうした発明をもたらした真摯な試みに、引きつづき支援するだけの価値があるということを、相手がだれであれ納得させることは、それほど困難なことではないでしょう。
 池田 ここで問題となるのは、基礎科学の重要性はなかなか目に見えないということです。現在のエレクトロニクス技術は、たしかに十九世紀のマクスウェルの電磁気学の発見の結果ですが、日本の研究者が百年後に実を結ぶような研究に、現在、夢をもって取り組めるかというと疑問です。
 経済的に多少でもゆとりのあるときにこそ、基礎科学の振興や教育といった、重要ではあるがすぐには効果の表れないことに投資することが、世界の将来を展望するうえで欠かせないことではないでしょうか。
 博士 近年の科学的な発明・発見のなかで、最も価値のあるいくつかは、当初の計画にはなかったものであり、まったく思いがけない成果であったことは明らかです。実用面における研究というのは、往々にして限られた価値しか有していないものです。ところが不幸なことに、まさにこの種の活動を最重要とみなすことが今日の傾向となっているのです。
 各国の政府や民間の人々に、引きつづき基礎科学を支援していただくためには、科学が全体として費用の割りに効果の大きい事業であることを理解してもらわなければなりません。
 池田 基礎科学の振興にとって、ほかにも大きな障害はありますか。
 博士 最大の問題は、科学官僚体制が肥大化し、科学的な努力がますます非効率的になってきたことでしょう。支出を正当化するためには、なんらかの結果を公表しなければなりません。その圧力のゆえに粗悪な科学的成果が続出しています。
 また研究が、官僚体制をとりやすい政府系中央研究機関で寡占的に行われるようになり、中央のイデオロギーに反するような新しい考え方の芽が摘みとられております。最近の大学における研究の凋落ぶりは目にあまるものがあります。
 池田 あわせて、科学研究者のモラルの低下も一部で指摘されていますね。
 博士 そうです。いくつか例を挙げてみましょう。現在、アメリカの科学者ロバート・ギャロとフランス人科学者リュック・モンタニエが、どちらが先にエイズウイルスを識別したか、ということで醜い論争をつづけています。一九九〇年には低温度核融合の着想に関する不正行為があり、その結果、きわめてお粗末な研究の行われていたことが発覚しました。
 百五十万ドルの費用をかけて、ハッブル宇宙望遠鏡がスペースシャトルを使って打ち上げられたとき、人々の希望はふくらみました。ところが、まもなく、その鏡材を狂った測定器具を使って調整していたことが判明しました。新しい測定器と古い測定器が異なった値を示すことを知りながら、その原因を追究することなく、新しい狂った測定器を使っていたのです。幸いにも、失敗の原因が究明されたので、一部のデータを生かすことができ、将来、スペースシャトルで技術者を送って修理するめどもたちましたが、膨大な費用を浪費したことは事実です。
 こうした例は枚挙にいとまがなく、それらの行為が科学のイメージを著しく傷つけてきたことは明らかです。このため、科学に対する一般の人々の心証がひどく汚れたものになっています。ですから、科学者がすべての面で縮小を強いられる状況に直面していることは少しも不思議ではありません。
 池田 それでは、具体的にはどうすべきか、博士のご意見をうかがいたいと思います。
 博士 研究費がエスカレートする一方であることが問題なのです。その主な理由の一つは、巨大科学や高価な設備と法外な人力を必要とする事業を過度に重要視していることでしょう。いまこそじっくりと考察しなおし、あまり経費のかからない基礎科学の方向へ力点を移し、古い学説を調べなおし、これまでに得られた膨大な量のデータを虚心に査定しなおすべきときがきた、といって差しつかえないでしょう。
 私個人としては、異常に大きくなった科学界の余分な部分を取り除くことが、ゆくゆくは有益な結果を生むだろうと思います。しかし、さしあたって、さまざまな苦難に直面することは間違いないでしょうから、優先順位を考えなおさなければなりません。
 大事なことは、文化的な営為としての科学の重要性を見失うべきではないということでしょう。科学者が、宇宙を探査し、何千年にわたる私たちの偉大な文化的遺産を、今後も増やしつづける自由を常に享受できるようにすべきでしょう。
 池田 私たちは現在、さまざまな人類史的な課題を背負っております。いかにして貧困と疾病を追放するか、社会的な不正を解決するか、教育の水準を高め、次世代の人々の美的・知的な感性を育てあげていくか、人々が幸福を感じる社会を築くか、そして、宇宙へのロマンを実現しつづけていくか――これらの課題の解決に向けて、科学の営みを正当に位置づけていくことが重要だと思います。

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