Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

三 近代科学とギリシャ哲学  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

前後
2  〈原子論〉にさかのぼる還元主義
 池田 私も博士と同じ意見です。ところで西洋近代科学の場合、測定の手法すなわち分析による還元主義のルーツをたどっていくと、ギリシャのデモクリトス、エピキュロスに代表される〈原子論〉にまでさかのぼることができます。また、近代科学が標榜する〈定量化〉への要請にしても、そのルーツはギリシャのピタゴラス学派にまでさかのぼれると思われます。
 博士 還元主義が西洋科学を支配していること、その起源がギリシャ哲学であることは、たしかにおっしゃるとおりです。東洋では、というかインドと中国では、還元主義的な考え方がそれだけの力を得たことはありません。まったく存在しなかったはずはないでしょうけれども――。
 還元主義的な態度はどの子供にも見られます。つまり、ただ中身がどうなっているのか知りたくて、本能的に花びらをむしりとったり、おもちゃを壊したりするのがそれです。そのような性質が西洋の子供にだけあるとは思えません。インドでも中国でも日本でも、小さな子供はみなまったく同様に振る舞うはずです。必ず花びらをむしりとるはずです。これは私たち自身の経験に照らしてもわかることです。
 ただ、おそらく東洋の子供の場合は、西洋の子供に比べて少しだけ長く花全体を眺め、その美しさ(還元できない性質)をじっくり見てとったうえで、花の解剖にとりかかることでしょう。多分こうした東西の差が原因となって、東洋における産業革命が出遅れたのではないでしょうか。
 還元主義が力を得なかった原因としてもう一つ考えられるのは、純然たる農村生活を送ることの満足感が東洋全体に広がっていたということです。
 東洋では、還元主義的ではなくて全体論的な考え方が有力になりました。それは、産業革命が遅く始まったからです。ですからその分だけ、立ち止まって花や生き物や風景の美しさに目をやることのできる時間が多くあったわけです。俳句をひねる時間的余裕があったのです。
 池田 ところが現在、この還元主義、すなわち対象を〈定量化〉できる〈要素〉に還元する手法そのものの限界が指摘されるようになってきました。それとともに、全体論的・包括的な見方が要請されています。
 博士 私の考えでは、一つの生命体全体の内部には、その存在が私たちの心には感知できるけれども、いまだに〈還元〉も〈定量化〉もできない性質があることはたしかです。同じことが人間性という性質についてもいえます。
 還元主義的な西洋科学が世の中に与えた影響は、社会に人間性の喪失をもたらしたことです。人間はまるで歯車の歯か、あるいは社会という大きな機械の部品みたいに考えられています。そして、その傾向はますます強まっています。これはたしかに長続きしてほしくない状態です。
 還元主義的な考え方のおかげで科学は多大の成果を収めてきました。それを全面的に捨て去るわけにはいきません。しかし、そうした考え方にはもともと限界もあるのだ、ということを心にとどめておくべきでしょう。

1
2