Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

三 近代科学とギリシャ哲学  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

前後
1  議論・厳正・論理を促進
 池田 西洋科学文明が、キリスト教とギリシャ哲学を母体として誕生したことはいうまでもありません。
 むろん、遠くは古代インドの科学や中国科学も、ギリシャ思想とともにアラビア・イスラムの科学と融合しつつ、西洋近代科学へと流れこんでいったことは歴史的事実です。しかし、やはり西洋近代科学の基盤をなすパラダイム形成の主体は、キリスト教とギリシャ哲学であったと思われます。
 キリスト教との関連についてはすでに話し合いましたが、ギリシャ思想との関連もきわめて強かったようです。
 博士 そうです。宇宙に秩序と調和が存在するという信念は、いうまでもなく紀元前にさかのぼります。ピタゴラスとその学派は、宇宙は幾何学的な秩序をもっているはずだから本質的に簡潔であるにちがいない、と主張しました。これはもちろん、全能の神の栄光や威光を守ろうとする試みとはまったく無関係でした。
 池田 またコペルニクスには、新プラトン学派の太陽中心の考えの影響が見られます。『天体の回転について』の中で、「不動という状態は変化・不定の状態よりも一層高貴で神聖と考えられる」「真中に太陽が静止している。この美しい殿堂のなかでこの光り輝くものを四方が照らせる場所以外の何処に置くことができようか」(コペルニクス『天体の回転について』矢島祐利訳、岩波文庫)などと述べています。
 博士 西洋科学は、それを発達させた社会の宗教的・文化的伝統に深く根ざしている、という点で私たちの意見は一致したことになります。そして、これにはギリシャやキリスト教の伝統も含まれることはご指摘のとおりです。
 私が考えますのに、議論・厳正・論理を促進したのがギリシャの伝統であり、独断的な信念という要素をもちこんだのがキリスト教です。まことに不思議なことですが、この二つのまったく正反対といってよい態度が互いに影響しあって、現在見られるような西洋科学が誕生したのです。
 西洋科学をそのときそのときに支配した〈世界観〉はいずれも、いうなれば文化のスナップ写真と考えてよいでしょう。つまりそれは、宗教的見解とギリシャ哲学との間に交わされた相互作用のさまざまな段階をとらえていたわけです。したがって世界観というのは、いうまでもなく短命なものです。
 これに対して、何世紀にもわたって行われた科学的な測定には普遍性があります。そうした測定の最古の成功例としては、地球の大きさの算出があります。その後に算出されたものには、太陽や諸惑星までの距離、さまざまな原子の大きさ、円周率(パイ)の数値、各種の分子・原子・原子核のエネルギー準位などがあります。
 これらの測定が西洋科学という状況の中でなされたことはもちろんですが、しかし、どう考えても西洋科学の独自のものでないことはたしかです。
 この種の測定に加えなければならないのが、蒸気機関から原子爆弾にいたる、産業革命後のさまざまな発見です。しかしこれらは、西洋科学によってなされた非常に多くの、純粋に〈事実にもとづいた〉発見のごく一部にすぎません。いずこの文化であれ――地球上の文化はおろか、たとえ地球外の文化であっても――条件さえととのえば、そうした発見はなされたはずです。
2  〈原子論〉にさかのぼる還元主義
 池田 私も博士と同じ意見です。ところで西洋近代科学の場合、測定の手法すなわち分析による還元主義のルーツをたどっていくと、ギリシャのデモクリトス、エピキュロスに代表される〈原子論〉にまでさかのぼることができます。また、近代科学が標榜する〈定量化〉への要請にしても、そのルーツはギリシャのピタゴラス学派にまでさかのぼれると思われます。
 博士 還元主義が西洋科学を支配していること、その起源がギリシャ哲学であることは、たしかにおっしゃるとおりです。東洋では、というかインドと中国では、還元主義的な考え方がそれだけの力を得たことはありません。まったく存在しなかったはずはないでしょうけれども――。
 還元主義的な態度はどの子供にも見られます。つまり、ただ中身がどうなっているのか知りたくて、本能的に花びらをむしりとったり、おもちゃを壊したりするのがそれです。そのような性質が西洋の子供にだけあるとは思えません。インドでも中国でも日本でも、小さな子供はみなまったく同様に振る舞うはずです。必ず花びらをむしりとるはずです。これは私たち自身の経験に照らしてもわかることです。
 ただ、おそらく東洋の子供の場合は、西洋の子供に比べて少しだけ長く花全体を眺め、その美しさ(還元できない性質)をじっくり見てとったうえで、花の解剖にとりかかることでしょう。多分こうした東西の差が原因となって、東洋における産業革命が出遅れたのではないでしょうか。
 還元主義が力を得なかった原因としてもう一つ考えられるのは、純然たる農村生活を送ることの満足感が東洋全体に広がっていたということです。
 東洋では、還元主義的ではなくて全体論的な考え方が有力になりました。それは、産業革命が遅く始まったからです。ですからその分だけ、立ち止まって花や生き物や風景の美しさに目をやることのできる時間が多くあったわけです。俳句をひねる時間的余裕があったのです。
 池田 ところが現在、この還元主義、すなわち対象を〈定量化〉できる〈要素〉に還元する手法そのものの限界が指摘されるようになってきました。それとともに、全体論的・包括的な見方が要請されています。
 博士 私の考えでは、一つの生命体全体の内部には、その存在が私たちの心には感知できるけれども、いまだに〈還元〉も〈定量化〉もできない性質があることはたしかです。同じことが人間性という性質についてもいえます。
 還元主義的な西洋科学が世の中に与えた影響は、社会に人間性の喪失をもたらしたことです。人間はまるで歯車の歯か、あるいは社会という大きな機械の部品みたいに考えられています。そして、その傾向はますます強まっています。これはたしかに長続きしてほしくない状態です。
 還元主義的な考え方のおかげで科学は多大の成果を収めてきました。それを全面的に捨て去るわけにはいきません。しかし、そうした考え方にはもともと限界もあるのだ、ということを心にとどめておくべきでしょう。

1
1