Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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二 近代科学とキリスト教  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

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3  今もキリスト教的発想
 池田 キリスト教会は、この苦い経験によって神学から哲学を切り離し、また科学を分離してきたのが近代の歴史でありますが、それでもなお近代科学の創造期に重要な役割を果たしたキリスト教思想は、現代西洋科学の重要な枠組みに取り入れられているのではないでしょうか。
 博士 現代の科学においては、キリスト教から入ってきたことが明らかな要素が強調されることはありません。いや、その事実が認められることすらありません。しかし、それにもかかわらず、そうした要素は今でも存続しています。
 宇宙論者たちが執拗に固守している見解の一つに、宇宙には始まり、つまり「創造」があったというビッグバン説があります。なぜこのパラダイムがいま実際に幅を利かせているのか。私が思うに、その理由は、そうした考え方の先例がユダヤ・キリスト教にあるという事実にあります。
 同様のことが地球中心説についてもいえると思います。地球中心的な姿勢が根底にあるからこそ、現在、生命の地球外誕生説を認めることに対して抵抗があるのです。
 池田 天地創造説、人間中心の宇宙観にもとづく自然観として「自然は人間のためにある」という思考法があります。唯一絶対の創造神によって自然は人間のためにつくられたのであり、人間が支配すべきものであるとするヘブライの自然観は、今日まで西洋科学文明の基底にありつづけました。
 この人間主体とその対象(自然)を区別するという思考法は、西洋近代科学の基本構造となって科学を発展させてきましたが、一方ではそれが要素還元主義につながり、また人間性喪失や自然破壊を引き起こしてきました。
 博士 自然界は人間のために存在するとの思考法は、ユダヤ・キリスト教神学の欠くことのできない構成要素です。人間は万物の究極であり頂点である、したがって、ほかの生物の運命を、いや地球自体の運命を好き勝手に変えることを許されている、というのがその考え方です。
 現代人が環境に注意を払わない原因は、根深い人間の独断にあると言われましたが、まったくそのとおりだと思います。私たちは一目瞭然の危険に直面しています。これを回避するうえで最も必要なことは、人間中心主義を捨てて、地球的な視点から環境問題に対処することです。

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