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日蓮大聖人・池田大作

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五 現代科学の宇宙論をめぐって  

「宇宙と人間のロマンを語る」チャンドラー・ウィックラマシンゲ(池田大作全集第103…

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6  宇宙の有限、無限
 池田 仏教の宇宙論では、宇宙は無始無終であると考えております。ある日、突然、なにかの出来事によりつくられたわけではない。また、星や宇宙間物質の生成・消滅は当然のことですが、宇宙そのものは、ある日、消え去るというものでもなく、永遠、無限なる存在であるとされています。
 博士 もう一つ言わせてもらえば、科学的観点とは別に、哲学的観点からいっても、ビッグバン説は私には満足できない理論でした。池田先生がビッグバンの前には何があったのかと問われましたが、現在のビッグバン説では、このような質問はできないし、だれも発言しないという状況があるのです。
 池田 宇宙論といっても、その人の宗教的・文化的伝統に制約されてしまうという博士の意見は正しいでしょう。人間は自分の住む時代・世界の枠組みの中から踏みだした発想をすることは、なかなかできないものです。
 ガリレイの『天文対話』には、サグレド、サルヴィアチ、シムプリチオの三氏が登場します。この本の「読者諸賢へ」の中で、ガリレイは「かれ(=シムプリチオ)がアリストテレスの解釈で得ていた栄誉こそ、かれが真実を知るうえでの最大の障害をなしているように思いました」(青木靖三訳、岩波文庫)と書いています。学識のあることが、かえって新しい発想に立っていくためにじゃまになる場合もあると言えるでしょう。
 「宇宙は有限か、それとも無限か」という問題は、ギリシャの昔から人々の関心を集めてきました。かなたの恒星天の外には何も存在しないとする閉じた有限宇宙観に反対し、宇宙は無限であり一様に広がっているとして、開いた無限宇宙説を説いた十六世紀のイタリアの若き哲学者ジョルダーノ・ブルーノは、そのため一六〇〇年に焚刑にあっております。宇宙観は科学を超えて、宗教とも密接なかかわりをもつ切実な問題です。
 現代の宇宙論にも、ビッグバン宇宙論のほかに、前にもふれましたが、ホイル博士らが提唱する「定常宇宙論」の考え方があります。これは、宇宙には始まりもなければ終わりもない、永遠の過去から無限の未来まで、大局的な姿は変わらないという完全宇宙原理の立場に立つ宇宙論であると理解しております。
 たとえば、宇宙の平均密度についても、これはいつもほぼ同じであるという立場に立っているようです。宇宙を観測すると、銀河がたがいに離れていっていることがわかります。するとそのために、宇宙の密度はその分だけ小さくなりますが、それを補う分だけ、空間の中で絶えず新しい物質が生みだされ、新しい銀河が形成されていくという説であると理解しております。
 ホイル博士の定常宇宙論は、将来、主流になっていくと思われますか。
 博士 ええ、そうなると思います。一九四八年にホイル博士とトマス・ゴールド博士、ハーマン・ボンディ博士は、それまでに得られた天文学上の証拠は必ずしもビッグバン宇宙論が正しいことを示してはいないと主張しました。このようなことを言ったのは彼らが初めてでした。
 これらの天文学者たちは、宇宙は現在とほぼ同じ形態で存在しつづけてきたのではないか、また外観も現在とほぼ同じものを保ってきたのではないかと示唆しました。これは無始無終という完璧な宇宙論の原理です。ここに本質的には〈定常〉の状態にある宇宙の姿が浮かび上がってきます。
 この宇宙論の結末は当然のことながら、宇宙の膨張によってできたすきまを埋めるように、エネルギーの場から物質がつくりだされなければならないということです。銀河が膨張してたがいに遠ざかっていくと、定常宇宙の全体像がそのまま保たれるには、あいた空間を満たすために〈新しい〉物質が必要になるでしょう。このために必要な創造の平均率は、たとえば典型的な集会場ほどの空間の中で、一千年ごとに水素原子一個に相当する質量をつくりだすという、非常にゆっくりとしたペースであると推定されました。
 定常宇宙論の現代の諸説は、物質が「リトルバン」によって創造され、新しい物質から銀河がつくられるという可能性を考慮に入れています。私はこの見解が気に入っております。こちらのほうが既存の諸データとよく合致していると思います。
 池田 宇宙の中で、新たなる創造が絶えず起きているという理論は、まことにロマンに満ちたユニークな学説です。実際に確かめることができればすばらしいと思います。
 博士 一九五〇年代以降、二つの対立する宇宙論、つまりビッグバン宇宙論と定常宇宙論が、ますます厳密に検証されるようになりました。
 一九六〇年代初期、マーティン・ライルとその同僚が電波望遠鏡を使って最も遠くの銀河を研究しましたが、その結果、宇宙が遠い過去においては現在よりもう少し凝縮していたことを示していると主張されました。これは取るに足らない程度とはいえ、ビッグバン宇宙論に有利に働きました。しかし、その後、ジェイヤント・ナーリカー、ジェフリー・バービッジとその同僚たちが新しい観測結果を厳密に分析した結果、事実は違うらしいということが示唆されました。
 こうして、一九六〇年代の終わりごろまで定常宇宙論の反証として主張された電波天文学上の証拠は、大半が消え失せてしまったように思われます。
 その間に本質的には誤りとされなかった観測は、すでに話に出ましたが、アルノ・ペンジアスとロバート・ウィルソンが一九六五年に「宇宙マイクロ波背景輻射」を偶然に発見したことです。もちろん、「宇宙マイクロ波背景輻射」の存在は、かならずしもそれが宇宙の初期の状態から発生したことを意味するものではありません。
 現在輝いている恒星や最近まで輝いていた恒星は、「宇宙マイクロ波背景輻射」を説明するのに十分なエネルギーを放出しています。このエネルギーをマイクロ波エネルギーに転化するメカニズム(機構)を考えれば、それで「宇宙マイクロ波背景輻射」の説明はつくのです。
 ホイル博士と私は、そうしたメカニズムを一つ考えだしました。それは細い糸のような鉄の粒子を媒体とするものです。これらの粒子は超新星が爆発するときに飛びでるものと考えられています。この鉄の粒子が宇宙全域に分布していると仮定すれば、「宇宙マイクロ波背景輻射」について判明している特性はすべて説明がつくのです。
 池田 現在主流となったガモフたちのビッグバン理論も、最初は無から有を生じることなど信じられないと、多くの学者に受け入れられませんでした。しかし、この「宇宙マイクロ波背景輻射」の発見で支持を集めるようになりました。
 新しい事実の発見によって、一つの宇宙論が脚光を浴びたり捨て去られたりする。表面的なことに一喜一憂するのではなく、事実の奥に秘められた真実を探求しつづけていくことがますます大切ですね。
 博士 ホイル博士と私が、最近、アイアン・ウィスカーが宇宙的規模で相当大量に発生している可能性があることを突き止めたことによって、大きな進展がもたらされました。これによって、「宇宙マイクロ波背景輻射」の説明ができることは、すでに述べました。
 また、生まれてまだ間もない多数の銀河が存在すること、そしてビッグバン宇宙の推定年齢よりも高齢の恒星があること、それらの事実が今、ビッグバン宇宙論者たちをひどく当惑させ始めています。さらに生命の起源を説明しようと思えば、宇宙が時間的にも空間的にも無限であることがどうしても必要となるでしょう。
 以上の考察が正しければ、ビッグバン宇宙論の主要な支柱は少々不安定になったと考えられましょう。反対に定常宇宙論は、まだあまり人気はありませんが、現在までに得られたすべての事実と一致するという長所がたしかにあるのです。なんらかの形の定常宇宙論が、機が熟したときに――たぶん西暦二〇〇〇年の夜明けに間に合うように――復権するものと私は確信しております。
 池田 現在の時点では、博士も述べられたように、ビッグバン宇宙論の考え方が定説のようになっており、定常宇宙論は一般には認められていないように思います。私は専門家ではありませんが、しかし、先ほども言いましたように、仏教では無始無終の宇宙観を説いています。仏教を学ぶものの心象として、定常宇宙論の発想にもうなずけるものが少なくありません。その意味でも、今後の議論の展開に注目していきたいと思います。
 また、生命の起源を説明しようとする観点から定常宇宙論を考える博士の試みは、たいへん興味深い発想です。この点については、また後ほど話し合いたいと思います。大マゼラン雲に出現した超新星爆発で、宇宙塵ができていることが観測されていますので、この観測から博士たちの説が確かめられればすばらしいことです。

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